「21世紀のアルジャーノン」が突きつけるものーミニ読書感想「惑う星」(リチャード・パワーズさん)
リチャード・パワーズさんの最新長編「惑う星」(木原善彦さん訳、新潮社、2022年11月30日初版発行)は、読んだ後も心の中に残響をこだまさせる名作でした。帯の惹句にある通り、これは21世紀版の「アルジャーノンに花束を」。人間の善や生き方について問うた「アルジャーノン」に対して、本書は地球環境に対する人類の怠慢や欺瞞を突き付ける重たい物語でした。
ダニエル・キイスさんの名作「アルジャーノンに花束を」は、知的な障害のある主人公が科学的措置で超人的な知能を獲得する話。その措置は永続するのではなく、やがて知的な退行に直面する主人公の苦悩を描きます。
本作の主人公の少年ロビンは、障害というより、発達的な困難を抱えている。その背景には、絶滅危惧種の保全や環境保護に尽力しながら、道半ばで不慮の死を遂げた母親の不在が影を落としている。
日に日に強まる困難をなんとか和らげるように、少年はfMRI(機能的磁気共鳴映像法)を活用した実験に参加する。これは、特殊な機械を使って、他者の感情を追体験するというもの。少年は、母親の生前の脳データを追体験することで、自らの感情の起伏をコントロールできるようになります。
しかし、大団円とはいかず。まさに、「アルジャーノン」のよう。完全に同じなのか、違った道筋をたどるのか、「アルジャーノン」を知る読者は手に汗を握ることになります。
本作と「アルジャーノン」が明確に異なるのは、著者の問題意識。訳者解説によると、著者は本書の前に発表しピュリッツァー賞を受賞した「オーバーストーリー」でも、地球環境をテーマにしました。「オーバーストーリー」は主人公が複数の群像劇で、そちが「交響曲」だとすれば、本書は「ピアノソナタ」に当たるといいます。
少年は、母親の意思を継いでか、人類の手によって追い込まれている動物たちに深い共感を寄せる。その共感は痛々しいもので、「なぜ死にかけている動物のために人々は何もしないのか」と心の底から感じている。
実は本書には実際、「アルジャーノン」が登場します。移動中の車でオーディオブックを聴くのです。その時の少年の反応は、以下の通り。
このシーンは少年の、そして本書の本質を示すシーンでもある。
少年には、同じ地球に生きる動物の声が聞こえている。助けてくれ、殺さないでくれ、と。だから「アルジャーノン」を読んだ少年は、主人公のチャーリーではなく、実験動物として扱われるアルジャーノンに心を寄せる。
大抵の人間はチャーリーの変化に心を動かし、物語として消化する。そこで黙殺される、あるいは道具として使われるアルジャーノンの悲劇に本気で向き合う読者はおそらくいないでしょう。
「アルジャーノン」において、ネズミのアルジャーノンに「花束をあげてほしい」と語ったのは主人公のチャーリーだけだったと思います。「耳を傾けるもの」としての存在が本書の少年に引き継がれ、「無視する大衆」が私たち読者として、再び顕在します。
耳を閉ざしてはいけない、と少年は叫びます。叫び続けます。それが、本書を読み終えた後の残響なのだと思います。
「アルジャーノン」の読後に残るのは静かな感動だったと記憶しています。本書は、もっと厳しいものを残します。それは原題の「BEWILDERMENT(当惑、困惑、紛糾)」に近いものでした。
本書を読み終え、改めて「アルジャーノン」を読み直し、考えてみたいと感じました。初読は学校の課題図書。なので今回、書店で再購入しました。本書とつなげながら再読したいと思います。