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孤独につながるーミニ読書感想『つながる読書』(小池陽慈さん)

予備校で現代文を教える小池陽慈さんが編者となった『つながる読書』(ちくまプリマー新書、2024年3月10日初版発行)が面白かったです。副題は『10代に推したいこの一冊』。小池さんとつながりのある研究者やエッセイストらが、若者に薦める渾身の一冊をプレゼンするという内容です。その熱量は、10代をとうに過ぎたアラフォーにも響きました。


紹介される本は十人十色。だけど、プレゼンターたちには本を愛する気持ちが共通する。本を読むことの魅力とは何か?なぜ私は本を読まずにはいられないのか。そんな問いを深める補助線をくれるのが、本書の特徴だと感じました。

特に心に残ったのは、エッセイスト宮崎智之さんの「本は友達」という考え方です。

なぜなら、現実の友達と同じく、本も友達なのですから。本はいろんなことを語りかけてくれます。ときには、こちらの話も聞いてくれます。嘘だと思うなら、今回のこの本のプレゼンを通して気になった一冊を見つけ、何度も読み返してみてください。連続して読んでもいいし、十年くらい間をあけて読んでみてもいい。その時々で、本は違った表情を見せてくれます。違う表現で話してくれます。そして、同じ内容を読んでいるはずなのに、まったく別の感想を抱くときもあります。お互いを知り尽くしてからも付き合っていくのが、本当の友達ですよね。本はそういう存在です。

『つながる読書』p31

本が好き、特に10代で本が好きだというと「内向的」という言葉につなげられることが多いと思います。「本を読むこと」と、外遊びやゲームで「友達と関わること」は相容れないものと捉えられる。だけど、本は友達と考えると、そんなレッテルは消えていきます。

たしかに、本はその時々で返答をかえるパートナーだと思う。10代に読んだ時の感動は、10代の時にしか味わえない。その代わり、同じ本を20代、30代に読むと違った学びを得られる。

本という存在は、いつでも私たちを待ってくれている。そしてこちらの悩みに呼応し、さまざまな助言を授けてくれる。時には何も言わずに、ただそこにいてくれる。

本を読むことは孤独な行為である。でも本を読む時、私たちは孤独ではない。この不思議について、別のプレゼンターの国文学研究者・木村小夜さんは、こんなふうに語っている。

人が言葉を発せられない状況までも、言葉で表現してしまえるのだから、不思議。取り上げるに値しないものは何一つない、というのが小説の世界。だから、小説が手元にある限り、あなたはひとりぼっちではないのです。

『つながる読書』p170

人とうまく関われないという悩みがあるとする。でも本は、そんな悩みさえ言葉にしてしまう。何も解決しないとしても、悩み、深める本という友が、そこにいる。

本書を手に取ったのは、在野の知的活動者・読書猿さんのエッセイや対談が収録されていたからなのですが、読書猿さんも孤独をキーワードに10代にこう呼びかける。

読者は、あなたに背伸びすることを、実際よりも大きくあろうとすることを、つまり嘘をつくことを要求する。
 ありのままの自分にとどまっていては何かを読むことは叶わない。
 (中略)
 だから私たちは隠れて本を読もう。
 どんな本を読んでいるかはもちろん、何かを読んでいることだって誰にも教えなくてかまわない。
 誰だって魂の内に、息をつける秘密の場所を持っていいように。
 孤独とは何か、何のために存在するのか知るために、一人で本を読もう。
 孤独を感じるのは心に血が通った証拠だ。魂が呼吸を始めたのだ。

『つながる読書』116-117

あえて孤独になることをすすめる。読書の本質は孤独である。でもそれは、心に血が通うことでもある。読書を通じて孤独になった人間は、温かくなるという不思議を、読書猿さんは大切にする。

ふと浮かんだのは、宇多田ヒカルさんの『道』の歌詞でした。イッツロンリーロード、バットアイムノットアローン。本を読む人は孤独である。でも一人ではない。孤独を通じてつながりあえる。本書を通じてそんなことを教わった気がします。

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