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井伏鱒二の伝えた「善き生き方」ーミニ読書感想「ドリトル先生アフリカゆき」(ヒュー・ロフティング)

岩波少年文庫でこの夏、2冊買うとオリジナルブックカバーがもらえるというフェアをやっていた。そこで買ったヒュー・ロフティング「ドリトル先生アフリカゆき」がとても胸に響いた。あとがきを読んでびっくりしたことに、訳者は井伏鱒二。連載中に第二次世界大戦が発生して中断、戦後に世に問うた。本書には、井伏鱒二が願いを込めた「善き生き方」が描かれているのではないかと感じた。


井伏鱒二が込めた思い。たとえば、ドリトル先生の次の台詞から感じられた。

  むろん、わしは、おまえほどうまく船はあやつれんなもしれぬ。しかし、鳥や獣や魚という友だちのあるかぎり、海賊のかしらごときは恐るるにたらんのだ。
「ドリトル先生アフリカゆき」133p

航路の途中で襲われた海賊のお頭に対する言葉である。

ドリトル先生が誇っているのは、自らの力ではない。むしろ、自分の船を操る技能については、お頭の方が上手だと率直に認めている。

しかし、ドリトル先生には信頼できる友がいることを強調する。それこそが、自分の持つなによりの財産であると。

物語の随所では、この友たる動物たちに無心の愛をささげるドリトル先生の姿が描かれる。それは「非資本主義的」にも位置付けられる。ドリトル先生は英国の片田舎で知らぬものがいないほどの医学知識を持っていたが、それを使って金持ちになることを望まなかった。動物嫌いの客が離れていくとしても、愛する動物のためにその技能を駆使した。

ドリトル先生が無私の姿勢で愛するほど、動物たちは絶大な信頼をドリトル先生に返した。その信頼を、その信頼だけを、ドリトル先生は受け取った。それがドリトル先生の誇りだった。

井伏鱒二は大戦を経験し、「敵」をつくることの恐ろしさと、「友」を失う虚しさを、感じたのではないかと想像する。そして、「奪う」ことの醜悪さと、「与える」ことの難しさも痛感したのではないか。だからこそ、本書で友に与え、友から与えられたものを受け取る尊さを丁寧に訳出したのではないか。

時代考証と背景考察としては甘いものはあるだろうが、井伏鱒二が戦後に日本の子どもたちにこの物語を届けた意味を、そのように見出した。

つながる本

井伏鱒二の作品の魅力は、伊坂幸太郎さん編「小説の惑星 ノーザンブルーベリー篇」(ちくま文庫)で知りました。ここに収録された「休憩時間」という井伏鱒二の作品は、青春のきらめきを閉じ込めた宝石のような作品でした。

ドリトル先生シリーズのうち、「ドリトル先生航海記」は、科学者福岡伸一さんの訳で新潮文庫に収録されています。ドリトル先生が大好きという福岡さんの翻訳も、生き生きして楽しめます。

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