言葉は相反する二つの力を持つーミニ読書感想『校正のこころ』(大西寿男さん)
校正者・大西寿男さんの『校正のこころ』(創元社、増補改訂第二版は2021年5月20日初版発行)が心に沁みました。原稿をチェックし、誤りを発見、言葉を整える校正という仕事。本書は、校正者だけではなく、広く一般に校正の本質を伝えます。大西さんは、「言葉には相反する二つの力がある」と言います。その力に目を向けた時、自らの言葉を省みるきっかけをつかみました。
言葉が持つ二つの力とは。一つは「できるだけ多くの人に届こうとする力」。反対にもう一つは「ごく限られた人にのみ受け止めてもらおうとする排他的な力」だと言います。
この例えは非常にわかりやすいし、味がある。たしかに、パートナーや親友に本心を打ち明ける時、「分かってもらいたい」と「分かってはもらえない」が同居する複雑な心境になる。それは誰しもが経験のあるアンビバレンスではないでしょうか。
注目したいのは、著者は二つの力が働くものを著者ではなく言葉そのものだと指摘している点です。つまり、アンビバレンスを抱えているのは人の心のみならず、言葉それ自体だということです。
本書の後段で登場しますが、「言葉そのものが力を持つ」と言う時に考える足場として重要なのはSNSです。私たちはなぜ、何気ないつぶやきですら「イイね」が欲しいのか?それは、どんな小さな言葉にも「誰かに届きたい」という力があるからです。誰かに受け止めてもらえなければ、言葉はその力を持て余してしまうのです。
そう、受け止めてほしい欲求。言葉は誰もに届きたい一方で、ある特定の人に受け取って欲しいというわがままも抱えている。だから、「イイね」が欲しいと同時に、「イイね」では物足りない。
SNSの言葉が過激化、先鋭化する要因がここに見えてきます。持て余した力を抱えた言葉が、受け取り手を探して暴走してしまうのです。
教訓を引き出すこともできます。「言葉は届きたがっている」。だから、たとえ独り言に近い言葉だとしても、それは受け手を探して彷徨う。これを肝に銘じなければいけない。発した言葉は必ずどこかに走り出してしまう。
一方で言葉は、容易に理解されることを拒む。だから、語り手からしたら「誤解」に思える受け取り方も往々にして発生する。
校正者の言葉に耳を傾けて見えてくるのは、言葉が太古から持ってきたであろう本質でした。