村上春樹をつくった翻訳文学ーミニ読書感想「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」(邵丹さん)
中国の研究者・邵丹さんの「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」(松柏社)がとても興味深かった。1970年代末に「風の歌を聴け」でデビューした村上春樹は米作家ブローディガンとカート・ヴォネガッド作品をおおいに学んだとされる。本書この二つの作家の作品の翻訳に焦点をあてる。いわば、村上春樹を「つくった」翻訳文学を解明する一冊だ。
ブローディガンは「アメリカの鱒釣り」という作品で、それまでにない語り口や、現実と虚構が入り混じるような独特の世界観を提示したそうだ(恥ずかしながら未読)。この作品を日本に伝えたのは、当時翻訳家としては新人だった藤本和子氏。著者は藤本氏と特質性を60〜70年代のカウンターカルチャーや地下芸術といった時代背景に絡め、かつ本人へのインタビューも行って、見事に浮かび上がらせる。
面白いのは、そういった時代の申し子的な側面だけではなく、藤本氏が日本から米国に移住した越境者としての自己認識を強く持ち、自らが受けた差別的体験や、マイノリティとしての体験を昇華している点に目を向けていること。実際、藤本氏は翻訳だけではなく、米国社会でマイノリティの黒人女性らへの聞き書きという仕事もやってきている。
「アメリカの鱒釣り」のブローディガン自身も、専門的な文学教育を受けなかった市民的作家で、かつ米国の文壇から常に距離を置いた。そうした「疎外感」を、越境者で自身もマイノリティだった藤本氏は見事に汲み取っていると言えそうだ。
そして、その「疎外感」は「アメリカの鱒釣り」を通じて村上春樹にも取り込まれたことは疑いがない。「カフカの海辺」「ノルウェイの森」など、村上作品はこの疎外感や違和感、「普通になれない」感覚が大きなテーマとして扱われていると思うし、まるでDNAのように引き継がれているのが分かる。
一方、カート・ヴォネガッドは複数の日本人訳者によって日本の読者に届けられた。藤本氏がブローディガンを伝えたのと対比的に描かれ、また別の時代背景が浮かび上がるのが面白い。
これ一冊で、50年代、60年代、70年代の文学シーンや時代変遷がすっかり学べるくらい濃い内容。その分、一般書より論文に近い(あとがきによると、実際研究論文のようだ)読み心地ではあるけれど、苦手な人でない限りは楽しんで読める。歴史の教科書を読むような感覚。
村上春樹をつくった時代背景にスポットをあて、どこまでも掘り進めた本書。村上春樹のまわりを描くことで、結果的に村上春樹の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。
翻訳というのは、原著の「引き写し」や「転移」ではなく、バトンリレーのようにその本の魂をつなぐことなんだと分かった。だからこそ、翻訳の存在は大きい。翻訳者の思いは読者につながり、この円環の中に村上春樹という大作家も登場したのだ。
つながる本
カート・ヴォネガッドの訳者の1人は、日本にSFを根付かせた名編集者の福島正実さんで、彼の回顧録「未踏の時代」(ハヤカワ文庫)は同じく70年代前後の日本のSF界、翻訳界の躍動が感じられる一冊でした。