優しい言葉は、だれのためのものか?
「叱らない教育」なるものが、さもマナーのように言われていますが、はたして「誰のためのマナー」なのでしょうか。
ひいては、今の職場を取り巻く「優しい言葉」や「気遣い」は、いったい、だれのためのものなのでしょうか。
↓のようなことがちゃんとしたメディアに載るくらいには、叱らない教育に対しての揺り戻しが(ようやく)来ているように感じています。
この記事では、社会人というか「成果を他人から求められること」に慣れている人からは当たり前すぎることを、わざわざ文章にしていきます。
「叱らない教育」は、どこから来たのか
- 叱らない教育の起源はアドラー心理学
「叱らない教育(Positive Discipline)」は、20世紀初頭の心理学者アルフレッド・アドラーと、その弟子であるルドルフ・ドレイクルスの理論に基づいて提唱されています。
Positive Disciplineでは、従来の罰や物理的な報酬に頼らず、子どもたちが自ら責任を持ち、社会的に有能な人間に育つ新しいアプローチになることを目指しています。
アドラーは、「個人心理学」の中で、人々は社会的な所属感(sense of belonging)を持ち、認められたいという欲求を満たせないと、不健全な行動に走ることがあると説明しています。
この理論は「社会とのつながりを重要視し、人が健全な自己成長を遂げるためには、コミュニティへの貢献や社会的なつながりが欠かせない」という叱らない教育の基本理念としてまとめられました。これは後に、ドレイクルスによる実践的な教育手法へとつながり、学校現場へ導入されていくことにつながります。
その後、叱らない教育の理念は、1970年代以降、教育者ジェーン・ネルセンの著書『Positive Discipline』を通じて普及し、主にアメリカの学校や家庭で実践されていくことになります。
同じく20世紀初頭に登場したモンテッソーリ教育も、叱らない教育の考え方に影響を与えました。マリア・モンテッソーリは、子どもの自主性や自己管理能力を育むことを重視し、教師は「指導者」ではなく「サポーター」として関わるべきだと説いています。
このように、アドラーやモンテッソーリの教育思想は、「叱る以外の方法で、自己規律を促す」という共通の哲学を持っています。
- 罰則ではなく報酬
「叱らない教育」では、子どもがミスや問題行動をした際に罰則を課すのではなく、適切な行動を引き出すために報酬や肯定的なフィードバックを用います。このアプローチは、長期的な行動変容を目指し、内発的動機づけを促すことを重視しています。
具体的なアプローチ例をいくつか紹介します。
1. ポジティブ・ディシプリンのクラスミーティング
アメリカの学校で実践されている「ポジティブ・ディシプリン」では、クラスミーティングを定期的に行い、子どもたちが自分たちの行動を振り返る機会を設けます。
教師は問題行動を指摘するのではなく、どのような行動が望ましいかを話し合う場を提供し、生徒が自ら解決策を見つけるよう支援します。このように、自分で考えた解決策を実行することで、責任感と自信を育むことが狙いです。
2. 報酬としての「選択の自由」
モンテッソーリ教育の中では、子どもに小さな成功体験を積ませ、その報酬として「次にやる活動を自分で選ぶ自由」を与えます。
たとえば、ある課題を終えた子どもに次の活動を選ばせることで、自分の選択が尊重される感覚が生まれ、モチベーションの向上が期待できます。これは単なる物質的な報酬ではなく、「自由」という内発的な満足感を重視する方法です。
3. 肯定的なフィードバックと自己評価の促進
罰を避ける代わりに、行動のプロセスを褒めることが効果的とされています。
たとえば、ある子どもが苦手な課題に取り組んだ場合、その結果にかかわらず「挑戦した勇気」を評価します。これにより、挑戦すること自体がポジティブな価値を持つと学習します。
また、自己評価の機会を設けることで、子ども自身が成長を実感できるようになります。
- 報酬の設定がポイント
このような「報酬型の教育アプローチ」は、罰則に依存する教育と比較して、以下の効果が報告されています。
• 自主性の向上:子どもたちが自ら問題解決に取り組む姿勢が育まれる。
• 関係性の改善:叱責が減ることで、教師や親との信頼関係が強化される。
一方で、「報酬」が不適切に運用されると、短期的な成果に依存した動機づけに陥るリスクもあります。そのため、報酬は「外的なもの」ではなく、内的な満足感や達成感に結びつけることが重要です。
外的な報酬の例: モノや金銭、特権やトロフィーなどの「ご褒美」
内的な報酬の例: 達成感、成長の実感、満足感
このように、罰則に頼らず、報酬や肯定的なフィードバックを通じて行動を変容させるアプローチは、学校だけでなく家庭や職場など、さまざまな場面で応用可能だと言われています。
ここから先、実際のところについて話を深めていくために、「叱る代わりに与える内的な報酬とは何だったのか」が、非常に重要ですので、覚えておいて下さい。
日本企業での「叱らない教育」の実態
日本企業での話に戻って来ましょう。
日本では、少なくとも10年ほど前から「叱らない教育」と名付けられたアプローチが注目されつつありますが、その実践には課題が残っています。
「本人が希望する内発的動機付けが、どうしても、組織としての利益や規律の維持につながらない」のです。
一度でも新人教育に関わったことのある方にとっては、目を覆いたくなる事実がそこにはあるのです。
具体例を見ていきましょう…。
上司Aさんのアプローチ:内発的動機づけの試み
部下を持つ読者の方なら、一度は経験したことのあるやり取りではないでしょうか。そして、その結果もご存じのことだと思います。
そう、このケースでも、結局部下Bさんは自発的に仕事をもらいに行くような姿勢は見せず。結局上司はあきらめ、部下を叱ることも、内発的動機付けもせず、ただ部署異動になるのを待つこととなるのでした…。
そもそも「内発的動機付け」は、日本では以前から行われていた
これらの事例は、いわゆる「内発的動機付け」が教育として成立していないことの証拠ではありません。
冷静に考えてみると「がんばった人にはチャンスを与える」教育と言うのは、日本企業では、教育としてではなく当然のこととして行われてきていました。
少なくとも、アドラー心理学が日本にたどり着く以前から「抜擢」という言葉はありました。実績は不足しているが、能力や熱意のある人を高い地位につけたり、大きな権限を与えることで更なる飛躍を促すものです。
そもそも、内発的動機付けを用いた人材育成は、日本では当たり前に行われていたものなのです。
では、なぜ、「叱らない教育」の弊害が注目されているのでしょうか?
答えは簡単です。
「叱られる」ような仕事をする人にとって、仕事の中に、内発的動機付けに値するものが存在しないからです。
言い方を変えれば、内的な報酬による教育に値しない人に対して、無理やり「叱らない教育」を適用してしまっています。
どのような教育手法でも、万能ではありません。必ず教育対象に合わせて、適切なアプローチを使い分けなければならないのです。
今回のケースは、まさに「やり方を間違えている」だけ。
さきほど紹介した上司Aさんと部下Bさんのやりとりに注目してみましょう。
上司Aさんは、これでもかというほど、成長機会や達成感の演出など、アドラーの謡った内発的動機付けを取り上げています。しかし、それらがすべて、部下Bさんにとっては無価値のものだったのです。
一方、Bさんは「給与や待遇」とった外的な報酬について言及しています。言い換えれば、部下Bさんは、上司Aさんに対して外的な報酬を高めることを要求しています。それが、部下Bさんにとって、会社に求めている価値だからです。
ここにギャップが生じており、組織は、内的な報酬による教育機会がそもそも存在していないことを認めなければいけません。
「人とやり方の組み合わせを間違えた」
この一点だけなのです。
「叱らない」のは、「わざわざ叱りたくもない」人のためのもの
ここまで、叱らない教育の、日本企業における社会人への教育効果をこき下ろしてきました。が、では、なんのために「叱らない教育」なるものが取りざたされているのでしょうか?
それは、ダメな部下に対して時間や情熱を注ぎたくない上司たちにとって、「叱らない教育」はとても良い言い訳に利用できるからです。
叱ることは、部下の教育や成長に熱意のある人であるほど、エネルギーを大量に消耗する「疲れる」行為です。叱るからには、ポイントを見定めなければなりません。事実確認も重要です。相手に伝わり行動が変わるように、相手の反応を見ながら言葉を選び、表情を作っていきます。これを、叱っている最中はずっと、休みなく行わなければならないのです。
そして、「叱る」ことが許されている組織では、ミスを頻発する部下がいた場合、上司は部下を叱らなければなりません。組織として、叱ることは教育面でも人事面でも効果的な優れた行為だからです。
そのため、「叱る」組織においては「叱らない」ことは職務怠慢を意味します。なので、上司は、叱りたくもない相手にもきちんと叱らなければならないのです。ものすごく大量のエネルギーを使って。
そこに、どうでしょう、「叱らない教育」という一見先進的な教育アプローチが提唱されました。やりがいや挑戦の機会に訴えさえすれば、教育をしたことになるのです。上司はみな仕事ができる人達ですから、これを利用しない手はないわけです。
「叱らない教育」は、教育熱心な上司を、どうしようもない自覚のない無能へ割く時間から解放しました。
「叱らない教育」を実践したのです。トレンドにもなっているアプローチです。なのに、彼は/彼女は、成長や変化の兆しが見られない。うーん、現場ではこれ以上はお手上げかもしれません。
「叱らない教育」「新しい教育アプローチへの挑戦」は、この言い訳を可能にしました。叱らない教育や、優しい言葉は、叱りたくない上司やデキる大人のためのものになったのです。
「叱りたくない(無駄な時間は使いたくない)」
「叱られたくない(自分が無能だと突きつけられたくない)」
相思相愛の素晴らしい関係ですね。
行き着く先は、叱られたくない人が組織から取り除かれるだけ、なのですが。
(参考)叱るとほぼ同義に扱われる「説教」の効果について、過去に簡単に触れました
結局、上司から叱られない部下は、顧客から怒られる
幸運にも、私はこの部下Bさんが、その組織内でどのようなことを経験していくのかを追跡調査することができました。
簡単に、事の顛末を箇条書きで記載していきますので、みなさんもぜひ想像しながら読み進めてみてください。
部下Bさんは、その後1年間、上司Aさんの部署で仕事をしていた。
しかし、部下Bさんが自分から仕事を取りに行ったり、先輩同僚を自発的に助けるようなシーンは現れなかった。
部下Bさんは、上司Aさんからの(悲痛な)訴えにより、人事部を経由して営業部へ配属されることになった。
この会社の営業部は法人ルート営業が中心で、営業担当者ごとに担当顧客を持つルールであった。
部下Bさんは、営業部の先輩からX社を引き継いだ。
BさんがX社を引き継いでから半年間、決められた頻度で客先へ訪問し、適宜ヒアリングなどを行っていた。定期的な営業会議でもX社からの受注は安定しており、Bさんも問題ないと報告していたため、営業部長は問題ないと判断をしていた。
Bさんの担当顧客が何社か増えてきた頃。X社から、Bさん宛の電話が営業部にかかってくるようになった。この会社では営業部員には携帯電話が支給されており、基本的に顧客からの連絡は営業担当本人が受けるようになっているはずなのだが…。
X社の担当は「なかなか携帯がつながらない」「メールの返信が数日返ってこないときがある」という。営業部長がBさんのスケジュールや勤怠を確認したところ、確かに外回りはしているが、必ず毎日会社には戻ってきていた。
営業部長がBさんにこのことを指摘したところ、Bさんはとても驚いた表情で「この会社は叱らないと聞いていたのですが」と返した。想像もしていなかった返しに営業部長は言葉を失い、Bさんを仕事に戻した。
その後、X社からの電話の案件を対処した報告もなく、Bさんは定時退社。定時後、X社から営業部へ電話があり「今日までと約束した資料が届いていない」というクレームを受けた。その時、営業部長はBさんがやりかけの仕事を放置したまま帰宅したことを知った。
翌日、営業部長はBさんにそのことを伝えようとしたが、営業部長がX社の話であることを切り出した時点でBさんは目を伏せ、すっかり押し黙ってしまった。その様子に営業部長は呆れかえってしまい、Bさんへ指導することも諦めた。念のため、X社の前担当者に、Bさんの状況を伝え、もしもの場合は担当を剥がして対応するように依頼をした。
後日、BさんはX社との打ち合わせのあと帰社予定だったところ、体調不良であるとして早退し直帰した。
Bさんは翌日も休み、そのまま出社することなく、退職を申し出た。X社の担当はカンカンだったが、前担当者が、Bさん早退後に素早く電話をかけフォローに入り、もともとの関係も良好だったため、会社レベルでのトラブルになることはなかった。もちろん、営業部長と前担当者は、X社へ謝罪に訪問し頭を下げることにはなったのだが。
いかがでしょうか?Bさんの営業部内での立ち位置や営業部長との関係、そして最後の仕事になったX社との打ち合わせで何があったのかまで、リアルに想像することができるかと思います。
そうです。社内で叱られなくなった結果、「顧客から言われなければ何もしない」ことで顧客との信頼関係を損ね、本当に些細なミスをきっかけに顧客の怒りを買い… というストーリーですね。
社内から叱るのを諦められるほどに信頼を失うような人は、当然、顧客をはじめとした社外の人とは一層信頼を構築できないため、わずかなミスで命取りになる。自ら首を絞めているのです。そんなことにも気づけないから、内的な報酬を提示されても、行動を改めることができないのです。
これは、教育ごときではどうにもできません。
こういう人が部下になってしまったら、早々に諦め、人事部へ(嫌がられても)適切なエスカレーションを出しましょう。上司であるあなたの時間は、熱心で前向きな、内的な報酬を持っている有望な人材に使われるべきだからです。
もしここまでの話が「自分のことのようだ」と胸に刺さりながらもここまで読んでくれた方は、まだ、きっと、変わることができます。
そんなあなた向けのアドバイスを、次のセクションでお伝えします。
(おまけ、叱られたくない人へのアドバイス)心配しなくても、他人はあなた自身に興味はない
「叱られたくない」あるいは「企業や組織がやっていることに興味がない」
けれど
「転職したほうがいいのか、会社にしがみついた方がいいのか」と悩んでいる方へ。
今の給与などの待遇に不満がないようでしたら、会社にしがみついた方が絶対に良いです。
例えば、第二新卒で待遇が良くなるなどの情報がありますが、嘘です。たまたま給料が上がった人の声が届いてきているだけです。第二新卒として転職して給料が下がったというような人の声は、夢も希望もないリアルな話なので、だれもシェアやリツイートしません。
もっというと、第二新卒としての転職に失敗して失業した人は、そんなことをインターネット上に書く余裕もありませんし、書きたくもありません。
なので、今の待遇に大きな不満がなければ、絶対に会社にしがみついた方がいいです。転職して待遇が良くなる人は、そもそも叱られたりしません。
では、今の会社にしがみつきつつ、叱られたくもないあなたがとるべき行動はなんでしょうか?
とてもシンプルです。「叱られることに比べたら」多少の難しい仕事や忙しさ、残業、成長の努力の強要を受け入れることです。
当たり前の事実として、会社はあなたの人生を保証する責任などありません。そこそこの仕事量を、許せる範囲でのミスに収めて進めてくれれば、それに見合った賃金を支払うというだけの関係です。
ですので、あなたがすべきことは2つしかありません。「そこそこの仕事をこなしつつ」「叱られるようなミスはしない努力もする」この2点です。
努力ができるならしているのだと思うかもしれません。ですが、「あなたのいう努力と、他の人が考える努力は、そもそも違う」ことに気づいてください。
あなたがするべきことは、とにかく「マネ」です。
叱られずに、成果も出している先輩がどういうことに気を付けているのか。
休憩時間のコーヒー一本でも奢れば、あなたがよほど高慢で傲慢で失礼な人間でなければ、ほとんどの先輩は快く教えてくれます。そして、あなたに教えたということも、数日もすれば忘れます。デキる先輩は忙しいからです。
なので、変に貸し借りなど気負う必要もありません。心配しなくても、周囲の人は、あなたが思っている以上に、あなたに興味がありません。あなたがモブになりさえすれば、そのあとは叱られることもなく、最低限の期待をこなすことで会社にしがみつき続けることができるようになります。
周囲はあなたに興味が無いので、あなたがそのように会社にしがみついているということも気にしません。「そういう人もいるよね」で終了です。
ヒーローにはなれないかもしれませんが、そもそも、しょうもないことで叱られる人はヒーローにはなれないものです。あなた自身が企業や組織に興味がないのだから、当然のことです。受け入れましょう。
…努力はしたくないが、ヒーローにはなりたい?
悪いことは言いませんので、会社を辞めずに転職活動してみるか、自分の履歴書をもう一度よく読んでみることをおすすめします。それでも諦められないときは……… まぁ、がんばってください。
本日の内容はここまでです。最後までお読みいただきありがとうございました。
読者のみなさんが、「叱らない教育」や「優しい言葉でのフィードバック」の甘い罠に騙されずに、上手く活用して、楽しく仕事が続けられることを祈ります。
おもしろい、学びがあったと思われましたら、ぜひ、スキやフォローしていただけると嬉しいです。
世知辛い話を終わらせて、気分転換をするのには、リラックスした睡眠が一番です。
精神的な緊張は目に現れます。逆もしかりで、目からしっかり休めることで精神的な緊張も和らげることができるのです。
目を休めるには、目を使わずに温めることが一番。