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笹原秀雄の現代批評

言葉にならないくるしみが、笹原を覆いました。なぜ、俺は俺でしかないのか、なぜ、俺は俺の人生しか歩めないのか。笹原は不思議で仕方がなかったし、つよい憤りすら感じていたのです。


笹原は午前2時の人通りも車通りも少なくなった道路で踊る。ゆるやかに身体をひらき、まわし、ときに低く高く唄いました。(俺が、俺がひとつの舞となれば、俺がもはや個人というものから抜け出してしまえば、俺が、他人の心をこのからだにそそいでしまえば、俺はすこしはマシになれるだろ?)


なれるだろうか、笹原は懐疑する理性がありましたから、考えることをやめはしませんでした。事実、笹原は驚いていたのです。俺は俺でしかないこと、三笠は三笠でしかないこと、梨花は梨花でしかないこと、それぞれの苦しみがあって、そして誰にも代われないこと。その重みを感じ続けていたのです。


あ゙あ゙! 笹原は叫びます。深夜2時、宇宙全体の重さが笹原に迫ってくるように感じられます。散りすぎた桜の花びらの、残りがまだ散ります。どこかで都美子が踊っているのか・・・・・・、笹原は足元から突き抜ける快感にとまどっています。


草いきれ、季節は夏へと舵を切ろうとしていたのです。笹原秀雄はなにを思って、この世に生まれて来たのでしょう! 天体がぐるぐると回っていることを彼は感受します、生きていることは代替不可能な奇跡である事を、彼はすでに受け入れざるを得ないようです。


言葉にならないくるしみが、笹原を覆っています。なぜ、俺は俺でしかないのか、そして「俺である」とはなにか? なぜ、俺は俺の人生しか歩めないのか、そして「生きている」とはなにか? 笹原はそのとき、哲学の門前に立っていることを知りませんでした。彼は鹿踊りのように跳びながら踊ります、春の終わりの風が、交わるように彼を突き抜けます。俺は生きている・・・・・・、俺は生きている・・・・・・、彼は唯一無二の彼の苦しみから、あたらしい批評文学を産みだそうとしています。


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