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芥川の命を奪ったもの

 昨夜はなかなか寝付けなかった。というよりほぼ寝ていない。
 イラついていたのか、悩んでいたのか、焦っていたのか、悲しかったのか、自分でもよくわからない。理由らしい理由もなく心が落ち着かない、そんな時間がある。
 芥川流に言えば、「ただぼんやりとした不安」ーーであろうか。

 無理やり寝てしまってもよかったのだけれど、なんとなくその「ぼんやり」したものを観察していて、深夜に思い立ち、なんとなく薄暗いキッチンへ行って、なんとなく焼きそばを作り、食べてみることにした。
 ーーが案の定、私は焼きそばを半分以上も残して、その後は胃腸の重みから本格的に気分が悪くなり、一晩中うなされ、たまらず早朝から起き出してきてこれを書いている。

 若い頃には夜中にラーメンを食べたりして血糖値を爆上げして、一時的にでもストレスを解消したつもりになれたものだったけれど、今ではそんなものはまやかしであると私は知っているはずだし、もともと胃腸が貧弱なほうであること、ましてや今はもう若くないのだしドカ食いなどしなくたって普段から胃もたれの常習犯であるというのに、このストレスという得体の知れないものは人間を訳もなく狂わせる。
 眠れぬ真夜中に、なんの解決にもならないと知りながら、胃弱の中年女性に食べられもしない焼きそばを非情にも焼かせるのであるーー。

 この「ぼんやりとした不安」の正体はなんなのか。
 何かを間違えたなら正せばよいし、なにも今とつぜん立ち止まって思い悩まなければならないような事態は勃発していないではないか。
 なのになんだ。この対処のしようのないストレスは。この後戻りできないような、突き動かされるような不安は。脱皮でもするのか。

 この理由なき不安にとりつかれた人間は、芥川のように自死するしかないのだろうか。ならばなぜ死なずに耐えうる場合もあるのだろう。現に私はまだ生きている。

 もっとよく観察してみるとこの不安は、気がつくとやって来ていて、また、去っても行くのである。24時間ずっと苦しみが続いているわけではない。
 とつぜん理由もなく不安になったり死にたくなったり、あるいは間違いを犯したくなったり、そしてまた、理由もなくそれらの不安が去り気分が晴れることもあるのである。ではどういうタイミングでそれらは訪れるのか。

 長年このような自身の現象と付き合ってきて、いよいよ私は確信に近いものを感じている。どうか、研究者や精神科医やカウンセラーや、あるいは教師とか保護者とか、しかるべき立場にいる皆様におかれましては「幼少期から自殺願望がありながらも中年になってもまだ生きてる健気な私」が体感したものを、脳の片隅にでも置いていただけるとうれしい。

 この「ぼんやりとした不安」の正体は、じつは「便秘」ではないかーーと思うのである。

 自殺や、犯罪を犯す人々の「動機」は気になるところであろうが、みな同じである。「悩み」があるのである。いじめとか、嫉妬とか、モテないとか、才能がないとか、親がバカだとか、会社に行きたくないとか、借金とか、死別とか、不正がバレて追い詰められたとか、悩みがないのが悩みだとか、幸せすぎて怖いとか。私やあなたとすっかり同じそれである。
 誰もが同じ悩みを抱えている中で、問題はそれよりも、彼らが踏みとどまれなかった理由はなんなのかだ。何が起爆剤となったのか。なぜ昨日は死ななかったのに今日は死ぬのか。もしかしたら、レントゲンでも撮ってみたら分かるのかも知れない。腸に便が詰まっているタイミングだったのではないだろうかーー。

 最近は様々な研究が進み「腸は第二の脳」とも言われている。
 我々は欲を節制し飲食をわきまえ危機管理に勤めるが、たびたび暴飲暴食を繰り返したり、緊張のために下痢をしたり、ストレスで吐き気や胃痛を引き起こしたりと、消化器と理性とはかなり密に連動しているように見える。
 私はいつまた、あの理由のない「ぼんやりとした不安」に襲われるやも知れない。
 そうなったら何も判断せずに、しばらく待とう。そしてトイレに行った後で、どれだけ気分が変わるかをしっかり観察しよう。それで死なずに済むかも知れないのだーー!

 さて。私の目の前には今、はっきりとした問題がある。昨夜の食べ残しの焼きそばだ。焼きそばパンでも作ろうか。


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