雪裡梅花只一枝
『正法眼蔵』の大部分は「読む」というよりは「登攀する」という感覚に近く、雲間から一瞬見える絶景を撮ってはこうして見ていただいているわけですが、たまに穏やかな日が差して高山植物の咲く平らな場所に来たりすることもあります。たとえば第六十四・優曇華(うどんげ)に引かれる師・如浄の偈(詩のこと)なんかがその一つです。
瞿曇打失眼睛時 瞿曇、眼睛を打失する時
雪裡梅花只一枝 雪裡の梅花ただ一枝
而今到処成荊棘 而今、到処に荊棘を成す
却笑春風繚乱吹 却って笑ふ、春風繚乱として吹くを
「瞿曇(くどん)」はブッダの俗姓ゴータマの音写。ずいぶん差がありますけど。「打失」の打は動詞につける接頭語みたいなもので特に意味なし。眼睛は眼と睛(ひとみ)で、要するに眼のこと。「打失眼睛」は、ふつうに視力が衰えた–––ブッダは長寿だったので晩年は目が不自由だったと推測–––ということかもしれないし、もしかするとそれ以上の意味があるかもしれない。なんせ仏の眼なので、その可能性も考えられる。
「打失眼睛時」に、雪中に梅花がただ一枝あったのです。「雪裡」は "in the snow" です。それは、白く霞む視界のなかに梅樹だけが一枝見えたということか(晩年のモネみたいに)、見えないけど梅の香がして、あるとわかったのか。
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