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国葬儀(国葬)-岸田首相と菅前首相の弔辞は同じスピーチライター(荒井勝喜 首相秘書官)が原稿を作成

国葬が行われた日の午後10時過ぎ、菅に電話すると、反応の大きさに驚いていた。これに対し、岸田の追悼の辞に対する評価は「役人が書いたような文章の棒読み」など、散々だった。評価はまるで真逆。ところが、である。岸田の追悼の辞も菅のそれも、実はスピーチライターは同一人物(荒井勝喜 首相秘書官)だった。

四国新聞(2022年10月9日)朝刊 2面
田崎史郎 政治の「ツボ」= 岸田、菅の「話す力」追悼の辞で明暗

先程(2022年10月25日午後1時から)衆議院本会議で安倍晋三元首相を追悼する演説が行われました。野田佳彦元首相のブログに2022年10月17日付で「最短で10月25日(火)午後1時から行われるでしょう。所要15~20分。今週は言葉を練りに練り仕上げにかかります。」と書かれているので、長時間かけて自ら原稿を準備されたようです。

一方、多忙を極める大企業の社長や政令指定都市の市長や都道府県知事や首相や大統領や国王や国際機関のトップが連日行う膨大な数の演説や講演を自分独りで作文することは難しいため、通常は秘書やスピーチライターが原稿を準備し、演説や講演を行う本人も手を入れながら、最終稿を仕上げるようです。例えば、安倍晋三元首相のスピーチ原稿の多くは谷口智彦内閣官房参与(当時)が手がけていたようです。

2022年9月27日に行われた国葬儀(国葬)における現首相の弔辞と前首相の弔辞は大きく評価が異なりましたが、(本稿末尾に全文を引用した)2022年10月9日付の田崎史郎氏のコラム(四国新聞・朝刊)によると、二つの弔辞の原稿は同じスピーチライターが作成したそうです。下記に引用した FLASH やNHKの報道を併せて読むと、荒井勝喜首相秘書官が二つの弔辞の原稿を作成したようです。

四国新聞 2022年10月9日 朝刊 2面
田崎史郎 政治の「ツボ」= 岸田、菅の「話す力」 追悼の辞で明暗


作者は同じでも原稿の出来栄えに多少の優劣があった上に、分刻みのスケジュールに縛られた現首相と時間に余裕がある前首相とでは国葬儀に先立って弔辞の準備にかけた時間に大差があったようです。政治状況や経済状況次第では、菅義偉前首相の再登板に繋がる布石となったかもしれません。

荒井勝喜秘書官はSNSやインターネット全般に明るいようですが、安倍元首相が国葬儀の3ヶ月前に引用でふれたように、菅義偉前首相の弔辞に引用された山縣有朋の歌が、凶弾に倒れる3週間ほど前に、安倍元首相が Facebook(葛西敬之氏への弔辞)で引用されていたことと、弔辞の中で紹介された岡義武著「山縣有朋 明治日本の象徴」を安倍元首相が2015年1月に読了されたと Facebook に掲載された同書の表紙の写真に書き添えられていたことはご存じなかったようです。

尚、安倍元首相を二度目の総裁選に出馬させるため銀座の焼鳥屋で3時間口説いたエピソードはパーティー等で何度も披露された絶対にすべらない鉄板ネタだそうです。


『総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。 そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。 最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。 それが、使命だと思ったからです。 三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。 私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。』


国葬儀の翌日(2022年9月28日にテレビ朝日系列局で放送された)モーニングショーで玉川徹氏が「僕は演出側の人間ですからね。テレビのディレクターをやってきましたから。それはそういう風に作りますよ、当然ながら。政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ電通が入ってますからね。」と発言し、騒動に発展しました。実際には、電通は制作や演出に関わっていなかったようで、玉川徹氏は(録画メッセージで)謝罪した上で(引き続きテレビ朝日報道局員の立場で番組に関わるものの)レギュラーコメンテーターの座は降りたようです。


“官僚の作文”と酷評の岸田首相のスピーチライター

2022.10.06 20:56 FLASH編集部

(前略)

9月27日に行われた国葬では、菅義偉前首相の弔辞が評価されたのに対し、岸田首相の弔辞は「まるで官僚の作文だ」と揶揄された。

その官僚の作文を書いたスピーチライターが、経産省出身の荒井勝喜(まさよし)首相秘書官(55)だ。首相の国会での演説や答弁、記者会見のスピーチを担当する。その人物像を、官僚の世界に詳しい「インサイドライン」の歳川隆雄氏が語る。

(中略)

総括審議官を経て、2021年には主要局長のひとつである商務情報政策局長に昇進。岸田首相とも消費者庁を設置したころ、準備室で部下として働いていた縁があるが、同じ経産省出身の嶋田首席秘書官が強く推して総理大臣秘書官に就任したといわれています。

じつは、当時早大生だった荒井氏の息子が、今年3月にケンカ騒ぎで逮捕される事件が報道されたんですが、この事件も彼にとってはマイナスにはなりませんでした」

荒井氏は、スピーチライターとしても本来は有能な人物なのだと歳川氏は言う。

「岸田首相は8月にニューヨークを訪れ、核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議に参加し、その翌日にはNY証券取引所を訪れています。9月には国連総会にも参加していますが、これらの訪問の際、英文の演説のスピーチライターを務めたのが荒井氏でした。日本では評価されませんでしたが、演説は現地で好評だったと聞いています」

“普通の感覚”を大事にするのがモットーだという荒井氏は、家族や高校の友人、ネット上の意見に至るまで幅広く情報収集し、世論の反応を詳しく分析しているという。動画サイト、ユーチューブやツイッターを使い、岸田首相のメッセージの発信も試みている。

「苦労しているし、フットワークや喋りもいいし、それで文章も書けるから、そりゃ官邸サイドからすると、ありがたい秘書官でしょうね」(歳川氏)

(後略)

岸田首相とともに国会入りする首相秘書官の荒井勝喜氏(岸田首相の右隣)

2021年12月15日

岸田官邸の心臓部 8人の総理秘書官に迫る!


(中略)

経産省から起用されたのは、商務情報政策局長だった荒井勝喜(54)。
(平成3年入省、横浜市立南高校→早大政経)

岸田、嶋田(首席秘書官)とは縁が深い。

岸田が13年前の平成20年、消費者庁の設置に向けた担当大臣を務めた際、準備室の企画官として仕えた。嶋田が事務次官の時は、直属の総務課長だった。

経産省の中で岸田、嶋田と最も近いとも言われる荒井にとって、秘書官に登用されるのは自然なことだった。

官邸で岸田のスピーチライターを務める荒井は、「普通の感覚」を大事にしているという。家族や高校の友人、ネット上の意見に至るまで幅広く情報収集し、いわゆる「世間」の相場観を知ろうと努めている。

(後略)

荒井勝喜 秘書官





全文引用

四国新聞 2022年10月9日 朝刊 2面

田崎史郎 政治の「ツボ」= 岸田、菅の「話す力」 追悼の辞で明暗


1年余り前の8月26日、岸田文雄は自民党総裁選出馬を表明する記者会見で気迫に満ちていた。岸田は「わが国の民主主義が危機にひんしている。もって、わが国の民主主義を守るために、総裁選に立候補いたします」と宣言し、時の首相・菅義偉に挑戦状をたたきつけた。

岸田はこの会見で紙をほとんど見ず、2時間近く記者団の質問に答えた。一方、菅は同6日、広島市の平和記念式典で行ったあいさつで、事前に用意した原稿の一部を読み飛ばすなど、原稿の読み間違いを繰り返していた。

ところが、9月27日の元首相・安倍晋三の国葬における追悼の辞ではその評価が逆転した。

● ライターは同一人物

国葬が行われた日の午後10時過ぎ、菅に電話すると、反応の大きさに驚いていた。

「私の携帯のメール着信音が嗚りっ放しだ。まだ、収まっていない。かつてこんなことはなかった。メールは、国葬の意味が分かった、良かった、涙を流した、という人がほとんどですね」

これに対し、岸田の追悼の辞に対する評価は「役人が書いたような文章の棒読み」など、散々だった。

評価はまるで真逆。ところが、である。岸田の追悼の辞も菅のそれも、実はスピーチライターは同一人物だった。

岸田の追悼の辞もよく読めば、従来の演説などと違ってなかなかの出来栄えだった。岸田は安倍が1993年衆院選で初当選した同期だったことを振り返り、こう述べた。

「わたしたち世代の旗手として、当時あなたが、戦後置き去りにされた、国家の根幹的な課題に、次々とチャレンジされるのを、期待と、興奮をもって眺めたことを、今、思い起こしております」

そして、安倍内閣で外相を務めたことを「わたくしは、外務大臣として、その同じ時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、日本外交の地平を広げる仕事に、一意専心取リ組むことができたことを、一生の誇りとすることでしょう」と述べた。

● 念を入れたか

菅の追悼の辞にも、共に仕事をしたことを誇るくだりがある。

「総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8カ月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします」

このくだリで夫人・昭恵は目頭をハンカチでそっとぬぐった。私は本当に幸せでした、という言葉に自分を重ね合わせ、感情移入してしまったのだろう。このひと言は、菅が挿入した。

菅は、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人をしのんで詠んだ歌を引用した。

「かたりあひて 尽しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」

この歌はライターの原案段階から入っていた。ただ、菅は衆院第1議員会館の安倍の事務所を数回訪ね、オレンジ色の蛍光ペンで引かれた岩波新書108ページのくだりを自分で読んでいる。

スピーチ原案のライターが同じなのに、評価がなぜ分かれたのか。私はどれだけ「念」を入れたかの違いだと思う。岸田には、総裁選出馬を決断した時の初志を思い出してほしい。

(政治ジャーナリスト)

=敬称略=

四国新聞 2022年10月9日 2面

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