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大卒フリーターが記者になるまで~後篇

割引あり

高校、大学受験と就活に失敗した筆者がフリーター、設計者、独立を経て新聞記者の夢を叶えるまでについて、まとめたものを以下の5回に分けて無料公開します。後篇の一部は300円となります。Xでリポストすると100円です。今回はプロット形式で展開を紹介します。


■はじまりは、移住スカウトサービス「SMOUT(スマウト)」だった

生き方を見失っていた矢先、ネットで移住支援の体験旅行に応募したことで運命が動き出した。そこでJリーグ傘下の地域リーグに所属する『アルテリーヴォ和歌山』の取材をきっかけに新聞記者になることを決意した。
発行部数二万部ローカル紙で約一年以上続けた。日曜祝日以外は締切りがあり、主に市政、警察回り、高校野球などの地域スポーツなどの取材、記事の執筆、校了までをほぼ毎日やっていた。記者の仕事だけではなく定期購読を継続的に獲得してきた。取材先で購読をお願いすることもあった。学童野球の取材で試合内容を工夫しながら、読者の信頼を得て定期購読につなげる。打点を挙げた選手だけでなくチャンスをつくった選手にスポットを当てたり、流れを変えた守備を紹介することでとても喜ばれた。
コラム記事で、批判覚悟で後先考えずに紀三井寺運動公園の駐車場問題を指摘。予想通りに批判が殺到した。しかし、効果もあった。後日、運営管理者が県に意見書を提出してくれたのだ。勇気を出して書いたことで改善の一歩になった。改めて、ジャーナリズムの面白さに気づくことができた。地域の良いところだけスポットを当てることが地域に寄り添うことではない。地域の悪いところも向き合ってこそ、県紙の役目といえる。
年の暮れには、ある高校の硬式野球部で体罰問題が起きた。校長に学校側の今後の対応について、しつこく質問したが「そっとしてほしい」と拒絶された。「会見を開いて、学校側の姿勢を世間に示してこそ、信頼回復の一歩になるのでは」と説得したが、聞き入れてもらえなかった。その夜、校長から電話が来る。「あなたには私の立場がわからないでしょうね」と怒鳴ってきたが、「私は何も、学校を追い詰めるために取材しているのではない。学校の信頼回復のためにやっていることだ」と思いをぶつけた。しかし、校長一人でどうすることもできないことはわかっている。警察の捜査や野球部の保護者の配慮もある。1時間ほど話し合った結果、校長は少しずつ、冷静さを取り戻してくれた。「君の気持ちはわかった。君が球場で丁寧な取材をしてくれている姿を見ている。だが、今回だけは許してほしい。また、近いうちにゆっくり飲みにいきましょう」。この取材活動が記事になることはなかったが、しつこくすれば相手の本音に迫れることを学んだ。

国や県から地方紙に圧力があると聞いたが、小さな地域でも、圧力を感じることはあるし、気づいているけど知らんふり「なかったことにしたい」構造がある。地域の良いところだけスポットを当てることが地域に寄り添うことではない。地域の悪いところも向き合ってこそ、県紙の存在が保たれる。しかし、一人では闘えない。同じ志を持った仲間と戦いたい。また、賞与がなく、とても生活ができないと考え、発行部数約二十万部以上の全国の県紙を片っ端から応募した。その中でP新聞社だけがとんとん拍子で選考が進んだ。

最終面接の前夜に東京入りし、翌日の午前中に新幹線に飛び乗った。
最寄りの駅に到着したのは、正午。面接まで1時間ある。駅前のスーパーに入店し、2階の窓際のベンチで面接のイメージトレーニングをした。
15分前にはスーパーを出た。道の側溝にはまだ雪が残っている。
歩道橋を登ると、10階建ての社屋がそびえたつ。壁には竣工日が刻まれいる。1973年とあった。2階にあがると、人事部の社員が待っていた。受付を済ませ、控え室に通される。しばらくすると、木暮の他に志願者が二人入ってきた。彼らも記者職なのだろうか。聞く余裕もなく名前が呼ばれた。別の人事部の男性に案内され、重厚な扉の前に立った。

扉を開けて、椅子までお進みくださいと言われる。

失礼します、と扉をたたくと、どうぞ、と返ってきた。椅子に座るまで、まともに歩けたのかよく覚えていない。

「それでは、質問に移ります」。
背筋がピンと伸びる。
真ん中に座っている社長が木暮に向かって鋭い視線をそそぐ。
「弊社は、地域づくりによって県内を盛り上げよう、という思いを胸に新聞を発行しています。あなたは弊社で何を実現させたいですか?教えてください」。面接官は社長、常務、取締役二人、木暮ひとりという最終面接だ。

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