映画「怪物」を観たんです
第76回カンヌ国際映画祭で脚本賞、クィア・パルム賞を受賞した
是枝裕和監督の
映画「怪物」
を観て参りました。
今回はストーリーに触れているので、鑑賞後にご覧いただく方が良いのかもしれません。まあ、大した事は書いてないんですけれど、なんか考えさせられちゃったんです。
先ず、ワタクシ、カンヌ国際映画祭のクィア・パルム賞って言うのを知らなくて、受賞ニュースを見た時に調べました。
2010年創設って事は、14年前からあるんじゃん!って驚き…。OMGですわ。
いつものように、鑑賞前は予告編による情報しか持ってないワタクシです。
ここで初めて、この映画がLGBTに関わってることを知りました。
なるほど。
それでも
との事です。
この辺りのことを帰国後の会見で制作過程として語っているので、そのリンクを貼っておきます。
何でワタクシが、映画鑑賞後に気になって、この件を調べちゃったかと言うと、
もちろん作品はLGBTについても描かれているのですが、ワタクシが一番感じたのはソコとは違う事だったのです。
もちろんソコに関わってはいるんですけどね…。
ちょっとストーリーについて見て行くと、
って事なんですが、
先ほどの記事に書いているストーリーの方がわかりやすい。
先ず、この部分が母親の視点から描かれて行きます。
次に、教師の視点から描かれ、
最後に、子供たちの視点から描かれ、
物語の真相が、矛盾が明らかになって行きます。
こうした羅生門方式の描き方を作品はコレまでもあった。日本映画では奏かなえ原作の「告白」もそうだったかと。
今回、羅生門方式を取った事により、永田瑛太さんと田中裕子さんの印象がかなり違っている事がわかります。
そして、
それぞれの視点によって見方が変わってしまう、他者の印象が変わってしまう怖さ。
「らしいよ」「そう聞いた」などの伝聞の怖さ。
聞き手、受け手の思い込みの怖さ。
コレらが、羅生門方式をとる事により、
真相が見えて来ると共に、
観ている側への注意喚起
となっている気がしました。
しかし、ワタクシが一番感じたのがソコではありません。
ワタクシが一番感じたのは
子どものイジメに対する教育=対応を早急にすべきだと言う事でした。
今回、小学5年生の星川依里(柊木陽太)は女の子っぽいと言う理由からか、クラスの男子からイジメに遭っています。
しかし、クラスの女子は彼と仲が良さそうなものの、イジメっ子には対抗しない。もうひとりの少年、麦野湊(黒川想矢)ですら、帰宅後などは仲良く遊び、依里に好意を持つのに、「みんなの前では話しかけないで」と言ったりします。
依里には家庭でも味方はいない。母親はおらず、父親は依里がおそらくLGBTである事に自覚がある事に気づき、「おまえの脳みそは豚の脳みそだ、おまえ病気だ、俺が治す」と否定し、日常的に虐待しています。
特に男子に関して言えるのですが、小学校時代、女の子っぽい、女の子の方が仲が良いと言う理由でいじめを受けた経験を持つLGBTは多いらしい。映画の世界だけではなく、現実に何年も前から起こっているコトなのです。
(当事者でないので、ここでも「らしい」としか言いようがないのですが、Twitterで当事者の思い出などで語っているのを多く見ました。)
記者会見で是枝裕和監督は、LGBT児童関連の団体に相談して、その団体は「この年齢だと、自認意識が曖昧」と言われたと語っていますが、その事でイジメが起こっている事が問題なのです。自認意識は取り敢えず置いておいて構わないと思いますが。
学校側は、当事者が女の子っぽいと言う理由でイジメが起こる事を避けるべきであり、
同性を好きだと言うコトがイジメの原因にならないようにすべきなのです。
人は簡単に言えば身体的に男女の性別があるように一種類ではない。人種で考えれば、アジア人、白人黒人、中東系、ミックス…。
20人いれば20種類の個性があるコトを教えるべき。
例え女の子っぽかろうと、男の子っぽかろうと、同性を好きだと言っていようが、それは個性でしかない。
また、
イジメは被害者に問題があるのではなく、
加害者に問題があるコトを子どもに言い聞かせるコトが必要なのです。
映画の中でイジメっ子が「コレは遊びだから」みたいに言っていますが、
イジメは遊びではない。被害者がイジメだと感じられたら、イジメである。
とにかく、今、学校で早急に指導する必要があるのは
イジメは加害者に問題がある
と言うコトです。
この指導は幼ければ幼いほど必要な事だと思う。
加害者にありがちなのは、自分が加害者である意識がない。悪いのは被害者だと思っているから。なので、悪いのはイジメている自分だと気づかせる必要があるのです。
そして、勿論、イジメがあったら、当事者だけでなく、周りも声をあげるコトを指導し続けるべきです。
そうしたら、本作品でも早くに星川依里くんへのイジメが明らかになり、その原因が何なのかも明らかになる。その事で本作品で起こるような様々な出来事は起こらなかったかもしれない。
勿論、芸術として、本作品においては、イジメが必要で、
その事で派生した孤立した少年2人の秘密の世界が描かれているのだし、
羅生門方式を取ることで、紡がれたストーリーがより豊かになっていて、
俳優たちの素晴らしい演技により、
フィクションであるのに、
真相が明かされて、幾つもの伏線が回収されて行く中、ノンフィクションにすら感じる効果を生み出していました。
少年たちの想いや秘密の世界に浸るに連れ、ワタクシは少年たちの抱く孤独さや
自分の恋愛感情に抱く恐怖心に
少年たち同様に胸が潰されそうになってしまったほどでした。
そう言う意味では、感動に震えて泣くとか、大満足〜と大喜ぶする映画ではないけれど、
とんでもない傑作だと言えるでしょう。