【蘇る名作】「弱くても勝てます」(2014/3/1発売)
野球を愛した秀才たちの悪戦苦闘(笑)
39年連続で東京大学合格者数1位(ちなみに初代校長が高橋是清)。そんな超進学校、開成高校にも硬式野球部があります。その野球部は「知る人だけが知る攻撃野球の名門校」。実際に平成17年には全国高等学校野球選手権東京都大会でベスト16まで進出しています。
そんな開成高校硬式野球部を追いかけた著書の高橋氏は初めて開成高校の練習を見た感想をこうしたためています。
「下手なのである。それも異常に」
聞けば練習は週に1回。テスト期間中はもちろんテスト前1週間も練習禁止。そのテスト期間も1週間あるため、練習が2回しか行われない月も年に何回かあることになります。
下手クソなのに圧倒的に練習量も足りていない。そんなチームがなぜ東京都大会ベスト16まで進出できたのでしょうか?
その秘密は青木秀憲監督にありました。
青木監督は東京大学野球部出身。東京大学大学院に進み、修士論文は投球動作と上半身の筋肉の活動について研究した「ボールを投げるグレーディング」という、秀才な頭脳が野球ウイルスに侵された開成高校野球部監督にうってつけの人物です。
青木監督は本の中でこのようなことを述べています。
・甲子園常連校の野球部が異常で開成の方が普通
・そんな異常な高校と戦うには一般的なセオリーは通用しない
・10点取られる前提で15点を取る野球を目指す
・勢いに任せて大量得点をとるビッグイニングを作ってドサクサに紛れて勝つ
・10点取られる前提で守るので少ない練習時間を守備に割いている時間はない
・「試合が壊れない程度に運営できる守備力」があればいい
・うちの選手たちはサインを見る習慣がないから出しても無駄。大量得点にはサインがいらない
夏の甲子園をかけた東東京都大会開幕直前のある練習試合。開成は10-5で勝利しました。しかし、青木監督は試合後に怒りました。
「これじゃまるで強いチームじゃないか!」
チームが強くて怒られるのは日本中で恐らく開成高校だけだと思います。
「俺たちは小賢しい野球、ちょっと上手いとかそんな野球はしない」
上手くなって勝とうとするのではなく、下手は下手なりに勝たなければならない。正攻法で戦っては帝京や国士舘には勝てない。10点取られても15点を取って勝つ。それもドサクサに紛れて。
それこそが弱者の兵法であり、開成高校が強豪校を倒せる唯一の道ということなのでしょう。
選手たちの頭がいい。
故に野球も理屈から入ってしまうのが開成高校野球部の宿命です。
セカンドの佐伯君は言います、
「調子が良い時に下手に練習をすると調子を崩す。調子が悪い時に練習を増やした方がいいのかもしれないが、ずっと調子が良いのでその必要はない」
サードの藤田君は言います、
「反省してもしなくても、僕たちは下手だからエラーが出るんです。反省したりエラーしちゃいけないなんて思うと、かえってエラーする。エラーしてもいい。エラーしても打ちゃいいやと思うとエラーしない。と言ってもエラーしますけどね。下手だから」
「勉強と違って、野球の試合は真面目である必要はないと思うんです。勉強は真面目にやれば、それだけで成績が上がります。でも野球は真面目に一生懸命やろうとすると、それだけで緊張しちゃうんで、むしろ不真面目がいいんじゃないでしょうか」
守備の苦手なサード志望の多田くんは言います、
「『来い、来い』と言っても、もう1人の自分が『本当は来てほしくないんだろう』と言うんです。それで球が来ると、やっぱり『来た』って思っちゃう。でも僕は『来い』と言いたい」
ボールがバットに当たらない渋谷くんは言います、
「2アウトランナー3塁という場面でバッターが打つ確率とホームスチールが成功する確率を比較してどちらが高いかを考えなきゃいけないのに、自分はそんなことも思いつかない。ぜんぜん考えつかないんです」
開成高校で野球を始めた稲積くんは言います、
「バッティングの難しい点は、球が前から来ることです」
彼らは体を動かす前に頭で考えます。動くより先にまず理屈と論理があるので、「なんとなく」や「とりあえず」という風にやり過ごすことができないのです。
「つべこべ言わずに練習しろ!」
「いいからもっとバット振れ!」
そんな言葉は彼らの耳には届かないのです。
ここまで来ると野球に頭の良さは必要なのか疑いたくなってしまいます…
そんな彼らだからこそ、質問の仕方を間違えると無意味な問答が延々続いてしまいます。それは例えばこんな風に。
「外野は涼しいから」という理由でレフトを守っていた八木くんがあるときキャッチャーをしていました。
不思議に思った著者が、
「なぜキャッチャーに?」
と守備位置が変わった理由を尋ねました。
八木くんは答えました。
「僕は前からキャッチャーですよ」
中学時代はキャッチャーだったのかと尋ねると、
「中学の時はファーストです」
「前から」とは一体いつから前のことなのかを尋ねると、
「数ヶ月前からです」
確かにそれも「前から」と言われれば前からだけども…
そもそも知りたいのは守備位置が変わった理由です。それを改めて尋ねると、
「前のキャッチャーが抜けたからです」
いやだから……
他にも部員がいる中で前のキャッチャーが抜けたらなぜ君がキャッチャーに選ばれたのか、その理由が聞きたいんだってば……
「僕らの代は他にキャッチャーになる人がいないからです」
彼らは行間に潜むニュアンスを汲み取って話をするなどしてくれません。
「他に誰もいないという状況下で君は率先してキャッチャーになろうという意思を守ったのか?」
著者はこのように訊くべきだったのだろうかと自省していました。
青木監督は彼らの扱いが慣れたもので、グラウンドにコーンが出しっぱなしにされているのを見つけて怒るときも「それをどかせ!」とは叫びません。
「そこにコーンを置いたやつはコーンを置くことの趣旨を理解していない!」
と叫んでいたそうです。
怒るにしてもそこに客観性と正確性がない伝わらないののです。
なんと面倒臭い子たちなのでしょうか。ここまで来ると頭が良すぎることに罪悪感を覚えて欲しい気さえしてきます。
ちなみに彼らがグラウンドでやっていることは「練習」ではなく「実験と研究」なのだそうです。
あらかじめ各自が仮説を立てて、それぞれが検証する。結果が出たらそれをフィードバックして次の仮説に生かす。それを繰り返して体得すれば、そこで初めて「練習」と呼べるようになるのだそうだそうです。
もう何がなんだかです……
それでも彼らは彼らのやり方で、ドラフト候補の投手を打ち崩し、強豪高校を倒すことを真剣に目指しています。そんな彼らが、常人とは全く違う発想、考え方で真剣に野球に向き合っている姿がとても面白く、愛おしくさえ思えてきます。
3000文字ではとてもこの本の面白さを伝えきれないので是非買って読んでいただきたいです。
ちなみにこの本、後に二宮和也主演でドラマ化されたようです。