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初めて聴くのに懐かしい。
「蝉」
初めて聴くのに懐かしい。
こんな感覚ってないだろうか。
この曲なんかに似てない?でもこれだってのは思い浮かばない…
僕は好きな音楽にはだいたいこういう感覚を覚える。
きっと前世の記憶だろうとか、そういう非科学的な片付け方をしてしまうのだけど。
いつの時代に聴いても古くも感じないし新しくも感じない。
でも、シンプルに、いい曲だなぁ。
っていう曲づくりがしたいと常々思っている。
それには、自分の頭だけで考えてもダメで
かといえばトラディショナル(伝統的)なものに身を入れすぎても上手くいかない。
僕が曲を作っている時のことを思い返してみた。
いつもなにげなくやっていることは、無音を聴こうとすること。
散々指を動かして、鼻歌を歌ってみたところで、結局自分の引き出しの中にあるものしか発音されないことに気がつく。
そんなとき
一度立ち止まって
静寂を想像する。
そうすると、旋律の"核"はどこかから聴こえてくるような気がするのだ。
この核というか、タネのようなものを整理して、構成していくのが僕の意識的な部分の役目。
曲がまるっと降りてくるなどというつもりはない。
が、片鱗はどこからともなく贈られたものでもあると感じている。
自分一人で生み出したのではないその感覚は
表現の違いこそあれ、多くのメロディメーカーたちは共感してくれる気がする。
依然、頭のどこかでは、それは巧妙なパクりかもしれないし、周到な盗みかもしれない、とも思いつつ。
でもそんなふうにしてこの曲はできた。
静寂を想像する。
その中から"聴こう"とする。
…
入道雲が浮かんでいる。
夏だ。
たくさんの蝉が鳴いている。
一匹、また一匹と殻を着た蝉が土から顔を出す。
ふとその中の一匹の蝉が
どっかりとかまえた偉大な入道雲に問いかけた。
僕はなんのために生まれたの…?
どうせすぐに死んでしまうのに。
生きていく意味を教えてください。
入道雲は掴めそうで掴めない、低く、大きな声で穏やかに答えた。驚くほどゆっくりと。
必ず、終わりは来る。
でも君は歌うために生まれたんだよ。
精一杯、力の限り歌いなさい。
…
その蝉は不器用に歌い始めた。
歌い続けること、生きることの意味は、ついにわからなかった。
しかしその蝉は、しがみついた樹を掴む力がなくなるその瞬間まで、
出る限りの声をあげて歌った。
そこにある命を燃やすよう。
片時の夢を忘れぬよう。
"おしまい"
デビューアルバム「Sain'o O」から「蝉」について書きました。
記事を気に入ってくださった方はぜひ楽曲もご試聴ください。
https://soundcloud.com/roku-records-japan/kcyrnfesqfsl
CD予約販売も承っております。
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