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嫌いな人を嫌いっていえますか? 嫌いな気持ちに向き合うこととは、自分を癒すことだった。

あなたを嫌ってるって思ってる人を、あなたも嫌いですか?

先日、わたしがとても苦手だと思っている人たちが急にウチまで来ることになりました。

「その人」とのやりとりは、ずっとずっと私にとって不快な気持ちになることばかりでした。
嫌なことを言われたりやられたり、無視されたりもするので、その人は私を嫌いなんだな…と長年思っていました。

ですが。
「私の方は、嫌いじゃない。できれば仲良くしたいと思って頑張ってみたりもした」と、いう感覚でいたんです。そう思い込んでました。

しかし、大学生の娘から、非常に的を得た鋭いツッコミをされたしまいました。

「ねえ、ママ、それは〇〇ちゃんがママを嫌ってる…っていうより、ママが〇〇ちゃんを嫌いなんだよ」と。

え?
私が嫌ってるんですか?
マジっすか??
ホントっすか???
娘の言葉にしばし大混乱したくらい、びっくりでした。

なのに。
考えるまでもなく、
「あー、確かに私はその人が嫌いなんだな…」とすこん!と腑に落ちたのですよ。

だって、普通に不愉快なことされたら「嫌って当たり前」だよ、って素直に、生まれて初めて思えたのです。
「やな事されたら我慢しないで嫌ってもいいんだよ」と、はじめて意識的に自分に言ってあげられたの。

わたしは、なぜか、その人を嫌ってはいけない、と思い込んでようです。夫と別居したり、調停したり、審判したり…のときに、だいぶ世話にもなってるし、立場的に嫌うなんてダメだよね…って思ってたようなのです。

でもね。
「やな事されたら、嫌ってもいいんだよ」ですよね。

こんな当たり前のことが、50歳になるまで、できてこなかったんです。ここに気づいて、もー愕然としましたよ。
こんな基本的人権レベルの人としての権利を、自分に認めてあげられなかったんだ…と。

小さい時に、あんたが我慢すれば丸く収まる…を叩き込まれてるのもあるだろうし、庇ってくれる大人がいなかった、等々、いくつもの理由が重なってこうなったのでしょう。

小さいときの大人や周りの身近な人間の声がけやら扱いってのは、子どもの心にやたらめったら深く刻まれるのですね。
私、50歳ですけど、子どものころの事を今になって修正しまくってます。だから、子どもたちへの声がけって大事なんだよ、適当にあしらうとか、ちょっとからかうとかしないでね…と、声を大にして言いたいです。
身近な大人の言動に深く傷つく生き物ですから。

大人になったから、心の修繕はやろうと思ったらできますけど、そこに至るまでが大変です。
それに、捻れた心や認知を戻したって、心から幸せだと思える子ども時代のない大人の心を満たすのは容易なことではないです。
子どものときを思い出すと、苦しさや、切なさや、悲しさが込み上げてきます。そうした記憶が作れているときに、「自分の感じてることを感じたままに感じてはいけない」という、妙なストッパーみたいものが出来上がるのでしょう。
その結果、今回のわたしみたいな「やな事されたら我慢しないで嫌ってもいいんだよ」っていう人としての当たり前の権利にすら気づかない大人になる気がします。

わたしは、こうした悲しさの方がでてきてしまう自分の経験を、子育てや仕事に活かせてると思うから、自分の子ども時代のアレコレは必然だったのだろう…とは、思います。
でもでも。
そう思うのだけど、希くば、幸せいっぱいない子ども期が欲しかった、です。

そんなことに気づけちゃったもんだから、「いいよ、家に居なくて。でかけちゃいなよ」と娘たちに言われたら、「仕事になりましたーー」と母に伝えて、娘たち連れて出かけちゃいました。 
そんなことできたのは、はじめてです。

楽でした。
解放されたーーーって心から思いました。
思いましたけど、すっごく悲しくもなって…。
人って複雑ですね(笑)

*********
そんなことがあった翌日に、「最近なんか嫌な感じ」と前には感じてなかった違和感を覚える友人を含む数名と茶話会をしました。
そこで体験したことで、上にかいたモヤんとした気持ちが救われたのです。

私は、ある友人をとても尊敬してて、いろんなことを相談するしてきました。なのに、最近、なんなムカつくかも…と思うことが増えてました。
その人を嫌い、というよりも、ある言動に対してにイライラしてたのですけど、この茶話会をしたことで、このムカつきは、私が嫌いな「その人」がやってる行動な一つに類似してることに気づいたのです。

「この人たち、同じことするかムカつくのか…」と。

彼女たちにとったら、なんの悪気もなくて、当たり前にしてることです。
でも、私からしたら「それって失礼極まりないと思うけど」という価値観の違いがあるだけなのです。
ですが、「その人」と「友人」を重ねて見てたってことや、自分の価値観で勝手に相手の行動を裁いてプリプリしてたんですね。

そして、この時に、「わたしは、この人たちの言動が大嫌いなだけで、存在そのものが嫌いなわけじゃない」とも思えたのです。
これは、友達の方を嫌ってない…という気持ちがあったからこその気づきでした。

私にストレスマネジメントを教えてくれた恩師は、よく「存在と行動を分ける」という言い方をします。

あの人の行動は、×や△だったりすることもあるけど、その人そのものはいつだって〇なのよ、と教わりました。
だから、子どもを叱るときは、「ダメな子ね!」と存在を否定するのではなくて、「その行動はダメです」とか、言動を修正しましょう、と説明をされます。

この気づきもまた私にとっては必然だったのだと、ありがたくなりました。

おかげさまで、わたしは「その人の言動には、しばしば悲しくなったり、腹がたったりして、嫌な気分になるけど、あの人そのものは嫌いではなかったんだ…」と思えて、心からほっとしました。

嫌ってはいけない…という道徳心よりも、嫌いたくない…という方が強かったらしいのも、この時にわかりました。

ここで書いてる「その人」って、姉のことなんです(^^;;

私がしてもらったトラウマ治療は、姉たちとの関係を主とした育ちについてだったんですけど、治療が終わって数年経っても、こうやってポコっと出てきます。

だけど、ちゃんと幸せな上書きをしていけるようにもなってます。

わたしは自分で自分自身を再教育することを選べて、それを使いこなせるようになってて良かったと心から思ってます。

だからこそ、自分のいろんなものを諦めてしまってる人たちに、「自分の育ち直しをすると、楽になるよ」と文章や講座などで伝えています。

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どばちゃん
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