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マネタイズの本質は排除である

ビジネス一辺倒の風潮にホトホト嫌気が差しています。
まあ、言わせときゃいい話なんですが、モヤモヤしている方も多いんじゃないでしょうか。
フリーランスで情報発信する人が増えてきた今がどういう状況にあるのか、これからどこに向かっていくのかの考察です。

希少性と占有

経済学をかじった人は、『水とダイヤモンドの逆説』を聞いたことがあるでしょう。
人間にとって死活的に重要な水。
まったく必要ないダイヤモンド。
しかし経済的価値は、ダイヤモンド >>>水。

経済的価値は、「使用価値」ではなく「交換価値」で決まり、交換価値を決めるのは「希少性」である、と経済学では説明されます。

スミス3


もうひとつ経済学で重要なのが「占有」という概念です。

人間にとって不可欠な空気が、ビジネスの対象にならないのはなぜか?
それは、占有、つまり誰かが独占的に所有することが難しいからです。
占有できないものは、ビジネスの対象になりえません。

例えば、衛星放送は、アンテナ等の機材を揃えれば誰でも受信できます。
それではビジネスになりませんよね。
そこで、スカパー等のチャンネルを購入していない人に対して、映像にスクランブルをかけて、観れないようにするわけです。

特定の人向けに映像を妨害する技術があって初めてビジネスとして成立するのです。

そんなの当たり前じゃん、と思われましたか?
そう思った方は、経済学の徒か、社会の常識に毒されてるんじゃないかなあ。
だって、本来観れるはずのものを、わざわざ観れなくするんですよ?
どんなサービスだよ。どんな企業努力だよ。
誰が得するの?って話。
(これを「空気」の例にあてはめたら、おそろしいと思いませんか?)

これがモノなら、そういう面倒な話にはなりません。
モノを買った人がモノを享受し、買わなかった人は享受できない。
単純な話ですね。
サービスも同じです。
マッサージ料金を払った人だけが、マッサージサービスを受けられます。

この単純な原理が働きにくいのが、コンテンツビジネスです。

昔は、コンテンツをモノに変換することによって、辛うじてビジネスが成立していました。
レコードや DVDという商品に「パッケージ化」することで、お金を払わない人を排除していたわけです。書籍も同じですね。
パッケージ化できないコンテンツは、やはり物理的にフリーライダー(タダ乗り)を排除します。劇場やスタジアム。サーカスが天幕を張るのも同じ。

コンテンツがデジタル化して、先ほど例に挙げた映像を妨害する技術や、ユーザーをアカウント管理するアイデアが生まれます。
技術は変わっても、本質は同じです。
お金を払わない人を排除するのは、コンテンツビジネスの宿命なんですね。

このタダ乗りを排除する性質のことを、経済学では「排除性」と呼びます。
なんか、聞けば聞くほど、経済学って悪魔の学問だと思えてきませんか?

スミス4

発信者の動機と報酬

音楽、映像、文芸、ゲーム、ブログ・・・
コンテンツを収益の対象にする、つまりマネタイズするのは何のためでしょうか?

コンテンツをクリエイトする人が金銭的に報われるため。
と、とりあえず言えますかね。
著作権にうるさい団体が言うことと同じような気もしますが。

でも、最近気づいたことがありましてね。
私がよく観る YouTube や niconico の動画に共通点があるな、と。
それは、発信者が心から楽しそうに発信していることです。
収益目的ではなく、ただ発信したいから発信している。
お金が欲しいとかではなく、たくさんの人に伝えたい、楽しませたいという動機だけでこの人は動画配信をやってるんだな、と感じるんですね。

チャンネルによっては、「ここから有料配信になります」とか言ってブチッと切れたりしますが、発信者はそれを本心で言ってませんよ。
そりゃそうでしょ。発信者は、一人でも多くの人に観てもらいたくて発信していますから、有料化で視聴者が極端に減ることなど望んでいないのです。
裏にいるスタッフや運営者に言わされているか、マネタイズせねば、という強迫観念が働いているのかもしれませんね。

かたや、収益目的で動画配信している発信者は一発でわかります。
楽しそうじゃないから。
それは、不特定多数の視聴者にウケそうなものを想定して、自分にムリしているからだと思います。
自分が心から発信したい情報ではないし、自分の意に反している可能性すらあります。

前者をプロダクトアウト、後者をマーケットインと呼びます。
(てか、経済学用語はもういいや)

ジョブズ2

私が面白いと思う動画は断然、プロダクトアウト型なんです。

コンテンツビジネスの行く末

要するに、こういうことです。
自分の感情や欲求から発する、自分が心から発信したいものというのは、マネタイズする必要がない(発信自体がモチベーションだから)し、マネタイズすべきでもない(有料化したらオーディエンスが減るから)のです。

新聞、雑誌、ラジオ、テレビといったオールドメディアが死んで久しいですね。(頑張っているものも一部ありますが)
それらに取って代わった新しいメディアは、今までとは異なるコンテンツを配信しているでしょうか?

テレビより YouTube のが面白い。
たしかにそうですね。
それって、コンテンツ(=内容)が変わったからだろうか?
変わったのはメディア(=媒体)だけで、やってることは本質的に変わってないんじゃない?

ユーチューバーに限らず、コンテンツ配信屋は、遅かれ早かれテレビと同じ末路を辿るのが目に見えてしまうんですね。

IT 革命もデジタル革命も、私にはとても「革命」と呼べるほどの変化だとは思えません。
ホンモノの革命って、技術革新じゃないのよ。
たしかに、きっかけとなるのは新しいテクノロジーですが、社会が変革するような真の革命ってやつは、それよりずっと後に起こるものです。
歴史を見たらわかるじゃん。
そのタイムラグが、かつては50年だったのが今は10年になっている可能性はあります。

ドラッカー3


コンテンツビジネスの行き着くところ?
たぶん、すでに多くの人が気づいていると思うのですが、非マネタイズ化、つまりビジネスの終焉です。
極論ですが、あるコンテンツに世界の人口が 1人 1円ずつ払えば、80億円になります。
コンテンツを作ったクリエイターが十分報われますね。
そもそも、真のクリエイターは金銭なんかで報われる必要ないわけだけど。

本当に優れたコンテンツこそ、無料で全世界の人々と共有したらいい。
そこへ、排除性などという、古典派経済学の概念を持ち込む必要はない。

マルクス2


優れたクリエイターが、ビジネスの論理に悩まされることなく、真に優れたものを作り、それを世界のすべての人間が無料で楽しむことができる。

夢想家だとおっしゃいますか?
でも、そう思ってるのは私だけじゃないはず。
いつか、世界はそうなるでしょう。

レノン2