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無私の日本人#読書感想文

こんにちは。
今日は表題の本を読んで不覚にも目頭が熱くなったので記事にしました。

著者は磯田道史という「武士の家計簿」という映画化もされた著作を持つ方なので知っている方もいらっしゃるかと思います。

この本には江戸〜幕末にかけての3人の「無私の日本人」に焦点を当てた評伝です。

デジタル大辞林によると無私とは以下でした。エゴじゃないってことですかね。

[名・形動]私的な感情にとらわれたり、利害の計算をしたりしないこと。私心がないこと。また。そのさま。「無私な(の)態度で裁定する」「公平無私」

この登場人物たち、史伝を多く読むという著者に選ばれただけあり、類まれなる無私の精神を持っています。無私力マックスです。

・村の衰退を憂い、一族を説得し私財をすべて質に出し、村の復興資金にする
・超絶貧乏なのに、隣人が死のフチに立つと所持品をすべて売り薬を買い与える
・寒い冬に着物を分け与えながら帰宅したら自宅についたときは半裸だった

ね、すごいですよね。上記は単発エピソードですが、他にもたくさんの無私エピソードがあり、生き様そのものが無私を貫いています。

結果、この誰かのために動く姿がカッコイイ!私の心を揺さぶりまくりました。家族にバレないように冷蔵庫のデザートを奥から取る私にはできないっ。

著者はそれらのエピソードに交え、当時の文化背景や史実を織り込んでくれます。結果、そんな無私な日本人が確かにいた時代があったんだ。と感じる自分がいました。ファンタジーの住人ではなく、そうやって生き抜いた人がいた、それを実感できます。

ただ、ちょっと今の時代では長生きできなさそう。。著者もあとがきにて今の日本のあり方に懸念を感じ、しかし無私に生きた日本人を書いたことで安堵をおぼえたとも記しています。

残念ながら、私はまだ安堵できません。例えば無私のみを持つものがいて、その方を守れる社会ではないと感じるからです。著者同様、例えば競争社会を否定はしないですが、私はもう少しだけ優しい世界で生きたいなぁと思うのです。
一方、私自身も無私から程遠い生活をしています。無私に近づく努力を試みないわけではないですが、とても無条件になんてできないです。

私が無私になれないのは私にも、私以外にも原因があると思います。
これは、私だけでは、短時間では、解決はできない課題です。
ただ、この年になるとこういう解けない課題に対する対応も、なんとなく身についてきます。まず、やれることをやってみる。です。

私にもやれること①
賛同される方いましたら、是非やれることを考えて実践してみてください。無理ない程度に。半裸はダメですよ。
私にもやれること②
デザートを欲しい人が家にいないかを聞くことにします。

すけ



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スケとうだら
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