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27 懐石料理(Cha-kaiseki Cuisine)
今日のコラムは、懐石料理をテーマに学び方についてお話ししたいと思います。懐石料理は、茶懐石と呼ばれることもある通り、茶道から派生した料理の在り方です。似た言葉に、会席料理というものがあります。これは、伝統的な宴席や儀式でふるまわれる料理の在り方として用いるもので懐石料理と似てはいますが日本料理の分類としては別の形式となります。
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もともと軽食をおなかに入れ、その後のお茶とお菓子を楽しむことが懐石料理の原型であったと言われています。このおなかに軽く軽食を入れるという行為と禅宗の修行僧が冷えた体を温めるために焼いた石を懐(ふところ)に入れて温める習わしが懐石の名前の由来だと言われています。
季節の食材を取り入れたり、コース料理のように順番に料理が出てきたり、様々な趣向を凝らして提供される点などは会席料理も懐石料理も共通するところがありますが、懐石料理には付け入るスキのない考え抜かれた至高のスタイルが存在すると言われています。これは、長い年月をかけて、人をもてなす、素材を生かす、四季折々を愛でるという視点から考え抜かれてきた、もてなす側ともてなされる側の関係性の中で培われてきたものだと言えます。
一般的に言われている懐石料理の流れを次に紹介しながらもう少し詳しく見ていくことにします。懐石料理は、一汁三菜を基本に献立が組み立てられます。料理の出てくる順番は、地域によって違う場合もありますが最後にお茶を楽しむまでの流れを目的としています。
「先付け」に始まり「煮物椀」「造り」「焼物」「箸休め」「八寸」「炊き合わせ」「ご飯と香の物」「お菓子とお茶」という流れです。造り一つとってもただお刺身が出されているのではなく、手前から奥にかけて味の濃いものになっているので、一皿の中にも味の組み立てがされています。また、「八寸」は、季節の食材を調理した様々な料理が盛り合されており、目でも味わえるものとなっています。焼き物と八寸の間には、箸休めというものがあり、吸い物などでいったん味をリセットし、後半にかけて期待感を高めていくことができます。
香の物はお漬物などですが、これがでてくると本日の料理はこれで以上ですという合図となっています。料理漫画の最高峰の一つ「美味しんぼ」では、美食家であり書画陶芸家でもある天才、海原雄山も懐石料理は日本料理のある意味における完成形であると述べているほどであります。付け入るスキのない懐石料理に手を加えることはできないとする海原雄山に対し、同じくその漫画の中で、東西新聞の究極のメニュー担当の山岡士郎は懐石料理席ででカツオの造りにマヨネーズをつけてみることを提案します。その場をともにしている人々に一瞬笑い声が響きます。しかし、一人また一人とマヨネーズをつけてみると、これがうまいことに驚く一同といった場面が続きます。
長い期間漁に出るカツオ釣り漁船の漁師たちが、毎日ショウガやわさび醤油でカツオを食べているのでは飽きるということで広がったこの食べ方であることを説明する山岡士郎と、それに対して懐石料理は伝統であり、このような食べ方は下品であるとする海原雄山といった構図でお話は終盤を迎えます。
さて、この懐石料理、もっとも初期のころは禅僧の厳格な食事として誕生します。禅僧とは、「禅」の世界を追求し続ける僧侶です。座禅で有名ですが、大変に厳しい修行を行います。この禅僧たちの修業は食事にも及びます。この厳格な食事として誕生した懐石料理を庶民にも親しみがもてるものへと変えていったのがかの有名な天下一の茶聖、千利休なのです。
千利休の究極の「おもてなしの心」を私たちは、一期一会という言葉で学んでいます。懐石料理も茶道に通ずるものであり、もてなす側は精一杯の心を込めてその食事を提供しています。ですから、食す側にも守るべきマナーがあり、食し方でその心に答えます。
禅僧の食事がそれ自体が修行であり、すべての行動を通して自分を見つめることを目的の一つとしていますが、懐石料理では四季を感じ、自然の恵みへの感謝に目を向けることができます。
「美味しんぼ」の話からは、伝統や文化への理解の大切さを学ぶことができますし、千利休が禅宗の食事を懐石料理へと発展させた話からは、物事の本質を抑えながらも、より多くの人に親しむ文化へと発展させていく探究心の大切さを学ぶことができます。そして、懐石料理の作法からは、枠組み(ルール)の中で至高の世界を目指すことの素晴らしさや難しさを学ぶことができます。
いずれも、「学ぶ」という行為そのものの在り方に通ずると考えることができるのではないでしょうか。日本の食文化は世界が注目する宝です。私たちがその食文化の最高峰の一つ「懐石料理」から学ぶことは多いように思います。