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私にとって究極のヒマつぶし「断捨離」。

立て続けに仕事が続いたあとの、休みの日は嬉しい。

だけど、休みの日が、二日、三日と続くと、気分が鬱々となってくる。

若い頃に比べれば、農作業に余裕がある、そんな日が増えたのは嬉しいけど、何気に気付く。

農作業が続く日のほうが、身体の調子がいい。


といっても、夫は、私たちが休みに入ると、何かと忙しくなる。

私たちが、せっせと柿採りをしている時には、休んでいるのに。

倉庫を触っていたり、庭をいじっていたりする。

「人が休もうとすると、急に忙しくなる」と、義両親のことを言っていたけど、同じやん。

と、イライラの矛先が、良からぬところへ行く。

何もしないと、身体はおもダルく、イライラし、そのうちメソメソ、奈落の底へ突き落されるのが、関の山。

「更年期」ってやつは・・・。

自分の機嫌は、じぶんで取らないと。


こういう時は、「断捨離」に限る。


その快感を知ったきっかけは、義父が亡くなったこと。

今年3月に、義父が亡くなった時には、軽トラ数台分の荷物が家から消えた。

それ以前にも、遠慮がちに、台所に溜まっている使わないもの、古いものを、ソロリソロリと捨てていたけど、心は定まった。


ウン!
要らないものを捨てていこう!


捨てていくにつれ、家の風通しは良くなっていく気がした。
気持ちも軽くなった。


「まだ、こんなもの置いてたん?!」と、驚いた義姉が持ってきた、
「ズボンプレッサー(ナショナル製)」珍しい。これも捨てていいらしい。
制服のスカートのアイロンに使ってたんだって。


洗面所、台所の、要らないものをどれくらい捨てただろうか。

義母が7月に施設に入所してから、拍車がかかりそうだったが・・・。

チョイ待てよ・・・。


人のものにケチつけるより、まずは、自分のものを捨てよう。

そもそも、母屋のものは、わたしのテリトリーではない。


それからは、ヒマがあれば、自分たちの部屋の「断捨離」をしている。

比較的、家の中では、モノが少ない部屋だと思っていたが、要らないものが結構あった。

ひとつの本棚は、結局、空っぽになった。

まだ、押し入れには、ものが溢れている。


その合間にも、母屋で目に付いたもの、手に取ったものも、気になる。

目に付いたその瞬間に、判断を委ねると、意外と要らないものがある。

この間は、なべをひとつ捨てた。

その前は、使わない水筒を捨てることにした。


1日ひとつでもモノが減っていく事は、すごい!


自分たちの部屋が終われば、ふたたび、母屋のモノを減らしていこう。

台所に洗面所、玄関に息子の部屋に、母屋のリビングに、神の間。
義父母の部屋は、さすがに触れることは出来ないから、最後にしよう。

息子の部屋の収納庫にも、随分昔のものが。

ハナレには、私たち夫婦の部屋のほかに、「いらず」と呼ばれる物置きもある。
あと、外には大きな倉庫と、小さな倉庫・・・。

母屋の縁側には、所狭しにいろいろと・・・。


田舎の家は、収納する場所が多い。

私がこうして「note」を書いている、部屋の縁側にあるパソコンの前にも、私が嫁いできてから開けた覚えがない、収納庫がある。


しばらくは、暇なしだ。


義母が身体の動くうちにしておいてほしかったけど、「断捨離」の観念がない世代だから、無理があったのだろう。

「ほら!身体が動くうちに!」と、夫を促しても、期待できそうもない。

私がするか!


玄関の靴箱の上の収納ボックスの引き出しの中からは、平成時代の「社会保険料のお知らせ」が、でてきた。

「確定申告でいるから、必ず郵便物は、ちょうだいね」と言っても、義父の名前で届くものは、全部どこかしらへ隠してしまうから、なかなか揃わなかった郵便物。

こんなところに・・・。


これは、やり甲斐ありそうだ。


「断捨離」をしていると、心が整う。

イライラしていた気持ちもどこへやら、

「さぁ、おやつ食べようか!」


何もしない一日より、ずっといい。

今年は、柿が半作以下の「大不作」で、こんな余裕のある秋は、かつてなかった。

今となっては、富有柿(甘柿)の色付きを待つ身だが、もう少しお部屋の断捨離が、すすむかも。


5年、10年、20年と経って行くうちに、家の中も、スッキリしているのかもしれない。

身も心も軽くなると、いいな。

いや、最近空気を吸っても太るのに、おやつはほどほどにしないと、身は重くなっていたりして。

ウン。気付けてよかった。

家の中は軽くなるのに、私の身体が重くなるのは、避けたいところ。

今日の体重は、ここ最近でいちばん重かった!

ゲッ!💦(怖っ!)😱

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