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そして我が家から軽トラ6台分の荷物がなくなった
はじまりは、義父が亡くなったこと。
その前から、折を見て、時々自分のモノを断捨離していたが、義父が亡くなったことをきっかけに、家のモノの断捨離が随分とすすんだ。
義父が亡くなり、一週間しないうちに義姉がやってきて、「さぁ!断捨離やっていくよ!」とばかりに、義母に「いる・いらない」を聞きながら、義父のもののみならず、義母のものも断捨離がすすんだ。
時々「いらん。いらん。もう着いひん(着ない)やろ?」と容赦なく横やりを入れていく。
私はそばで、あっけにとられながらも断捨離するものを袋に詰めていく。
その日は、仕事を終えて夕方早めに来てくれただけなので、時間が限られていて全部は終わらなかったが、その日を皮切りに義母が乗り気になって、自らいらないものを仕分けて持ってきた。
思いのほか断捨離がすすんで、義姉に感謝したのは言うまでもない。
私は、所詮他人だから、義父母のモノに触れないと決めていて、義父母のモノを片付けるのは、義母が亡くなってからかなと踏んでいたので、予定より早く多くのものが片付いた。
途中、義母自身が「捨てる」と仕分けたなかに、現役で使っているものを間違えて入れてしまって「あんたらが、ポイポイと捨てて行くから・・・」と憤慨する一幕があり、ふたたび探し出したりと、てんやわんやしたけど。
「昔は「もの」がなくて、実家の親が取り分けて「もの」を持たせてくれたから、もったいなくて捨てることができない」という義母は、紙袋やら空き缶やら、既に使えない調理器具やら、着る可能性のない衣服やら、使う可能性のない日常品やらを溜めこむので、この家はモノが多い。
台所の戸棚にも得体のしれないもの(大昔に何かを漬けて瓶づめにしたままのものだとか。)がたくさんある。
そんな義母が、自分が着ない衣服を几帳面にたたんだうえ、紐で縛ったモノを、「捨ててほしい」といくつも持ってきて、義母のデイサービス再開までに随分と片付けた。
あと、義父の衣服も山ほど持ってきたものを、夫が自分が着るものと捨てるものとに仕分け処理した。(サイズはピッタリ同じらしい)
義母は、自分の衣服や肌着を、自分の寝室と浴室の脱衣所の2か所に分けて置いていたが、脱衣所の3段の収納ケースふたつ分はすっからかんになって、撤去することができ、脱衣所は広くなった。
一方で、最近になって仕事がひと段落したので、夫も断捨離作業にのるかたちで、私たちの寝室があるハナレの建物の「いらず(物置き)」にため込んでいた自分の服を処理し始めた。
プラスチックケースおよそ20個分くらいの量を長年にわたって溜め込んでいたが、どこにどういう服があるか分からない上に、実際に来ている服はそうない。
畑にしか行かないから、たいてい部屋にある服で間に合っているのが現実。
今まで、処理を促しても頑なに動こうとしなかった夫が動いた!
私はといえば、今回義父が亡くなるにあたって、仏の間に祭壇を組むことになって、部屋を空ける必要になった、玄関からみて手前にある「中の間」にあたる娘の部屋から運び出された、娘の荷物の断捨離にあたることにした。
断捨離する中には、一昨年、大学を卒業して、大学の下宿先から持って帰ってきた本や日常品が入った段ボールがそのままだったり、この4月から新天地で生活するにあたって、一年間一人住まいをしていたマンションから持って帰ってきたものと、量は半端ない。
「引越しする前に、ちゃんと片付けなさい」とは幾度か言ったものの、その気配がないどころか、夫も「うちは物置きじゃないんだ」と怒っていたくらいに、さらに荷物は増えた。
今回は、隣りのテレビのあるリビングと、外の倉庫に一時避難という形で保管していた。
その荷物をまた「娘の部屋へ」となると、あまりにも量がありすぎて、これも又問題!
思い切って、私が断捨離しようと決めた。
一応、娘の希望を聞くと、「想い出系のものと、サッカーのユニフォームを残してほしい」という。
あとは、全部捨てていいというが、ヒトのモノを捨てるのは多少なりとも躊躇する。
だけど「自分でやらない娘がいちばん悪い」と、容赦なくどんどん処理させてもらった。
どんな「育ち」をしたのか我が子ながらにして疑いたくなる位に、まだまだ使える日常品や、着れる服が、どんどんとでてくるので、家で使うものと、リサイクルで売るものとに仕分けた。
あとは、いつも通り、私の着るものと。(おおかた仕事着に回るが、サイズはピッタリ!)
断捨離しないでそのまま部屋へ戻すと、おそらく6畳ほどの部屋は目いっぱいあったであろう荷物は、プラスチックケースふたつ分になった。
さすがにあまりの少なさに多少の不安を抱えて、一応娘に報告すると、「ありがとう」と返ってきたのでホッとしたので、加えて、私自身の断捨離も進めることにした。
今回は、衣服類を中心に。
娘からのお下がりがたくさん回ってきて、心当たりのモノを捨てようと決めた。
それだけではない。自分の衣服を改めて断捨離することによって、気付いたことがあった。
私の服はそう多くない。
だけども、娘からお下がりが回ってきたことによって、今まで着用していたものを捨てることに踏み切れた。
たとえば、冬のジャンバー。
かさを取る割にはそう着ない。
だけど、捨てるには勿体ないから、着ないのに、2着、3着と溜まっていく。
溜まっていく服に出番が回ってこない理由も、なんとなく分かる。
どうしてもお気に入りの着やすい服ばかりを着てしまうから、本当はその一着さえあれば間に合うのだ。
そう頻繁に出かけることもないし。
今回、娘から冬に、羽織れるものも回ってきたので、溜め込んでいたジャンバーをいくつか捨てることができた。あと、ついでにもう何年も着ていないものも捨てた。
と作業を進めていると、他にも出番が回ってこないものがあることに気付いた。
そう、どうしても同じものばかりを着てしまうから・・・。
肌に馴染み、着心地がよいので、捨てるには名残惜しいが、繰り返し着ているので色もくすんでいるため、捨て時だと思いきった。
物は使ってあげないといけないの。
ものを循環させてあげないといけないの。
てな事を、断捨離提唱者の山下ひでこさんが、言ってた気がするけど、「ものを循環させる」実感がふつふつと湧いてきた。
循環させたものは、他にもある。
夫が今使っている、綿の偏った掛布団と古い毛布を捨てた。私も、一度家の洗濯機で洗おうとしてダメにしたにもかかわらず、ずっと使っていた薄手のお布団を捨てた。
代わりに、もう何年も使っていない客用の布団や毛布を母屋から持ってきて、入れ替えた。
めったに捨てることのない布団で思い出した。
ついこの間、息子の友達が泊りに来た用のお布団に、義母と息子が、虫よけスプレーを吹きまくって、「もう使えない」とか言っていたのを。
息子の部屋の縁側に「すのこ」を置いて、その上に保管していたのだけど、どうやら、カメムシの住処になっているとかで、虫よけスプレーを吹きまくったという。
最初は、その行動に引いたが、ちょうどよい。
それは、私が嫁いでくるときに持ってきた「客用の布団」で、随分と役目を果たし、もとはとったし捨てるには未練がない。
その布団も捨てることになった。
ついでに、同じ縁側にある、夫にずっと断捨離を却下されていた、昭和時代のジッパーがついている、ボックス型の衣装ケースも断捨離することになった。
中には、夫たち兄弟3人で義父の還暦祝いに買ったというジャンバーと、夫自身が、会社員勤めのときの初めての給料で買ったというジャンバーがでてきた。
義父のジャンバーは随分と廃れていて断捨離となったが、夫のジャンバーはふたたび夫が着ると言い出し、洗濯行きとなった。
それが随分と面積をとっていたり、イモリやヤモリの住処になっていたので、更に古い厚手のカーテンも取り外された、息子の部屋の縁側はスッキリサッパリした。
そのほか、義父が使っていたベッドや、使い古された布団も処理したので、断捨離した量は半端なかったが、家の中には、義父の身の回りのものも含め、まだまだ物は溢れている。
しかし、この記事を書いている数日のあいだにも、軽トラ4台分が、5台分に変わり、5台分が6台分に変わっていった。
最終的にこんなにたくさんのものを、断捨離出来るとは思いもしなかった。
「こんなに目まぐるしくモノを処理していくのは、久しぶり」と、夫も言っていたが、義父はさいごに家の風通しを良くしてくれた気がする。
私が嫁いできてから、こんなにたくさんのモノが家を出て行ったのは、初めてだった。
故人は、さいごに家の風通しをよくしてくれるのだろうか。
モノが循環したうえに、家の風通しがものすごく良くなった。