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弟子として、成人した息子を育てること

「つぎは、何を考えやなあかん?」

「軽トラは、どこの位置に止めると、作業がはかどるの?」

「ほかに、考えることない?」


息子を「指示待ち」な人間に育てたのは、まぎれもない私だ。

私は、いま、小学生の子どもへ声掛けするように、息子へいちいち聞くようにしている。

果たして、この方法が正解かどうかは分からない。


だけども、夫のように、自分が思うように動かないからといって、怒鳴りつけたり、息子がするより自分がする方が早いからと、息子の仕事を奪いながらにして、イライラするのは違うと思う。


そう育てたのは、私だけではない、自分もそうやって育てたんやで。


夫にもそう言うが、勉強面にしても、スポーツにしても、成長が遅かった息子に、今現在、足りない部分を伸ばす時間はなかった。

「どうしたら、よいと思う?」

「どういう風に自分が動けば、出来るようになるんやろ?」

「つぎは?」


のんびりおっとりしていた息子に、問い質すまでもなく、どちらかというと、私が答えを導き出し、誘導していたきらいがあった。

息子は、自分で考えるまでもなく、私についてきただけだった。


私が付きっきりで、息子が小学校を卒業するまで、宿題以外の課題をさせ、サッカーの自主練につきあったり、時には、早く走れるように練習に付き添った。

塾に通わせることが出来ないため、勉強は中学校まで、付き添った。


子供が大きな成長を遂げる、その大事な年代のときに、主体性を持って物事に挑んだり、自主性を持って考えることを、多分置いてきた。


だけど、私は後悔していない。


勉強面、運動面は、せめて平均並みに育てるほうが、息子自身が学校生活を送りやすいと信じてきた。


私自身は、ぱっとしない子供だった。

勉強面も、運動面もまるでダメ。


だけど、中学で、得意な分野ができると、まるで周囲の目はちがった。

それまで、私に、嫌がらせをしていた男の子達の行動は、止まった。


せめて「平均」に達していないと、周囲の目は違うし、自分自身も自信をなくす。


自己肯定感が育まれていなかった上に、自信が持てるものがないと、生きづらかった。


そんな自分の生い立ちを、当てはめすぎたのかもしれない。


だけど、これでよかった。


成長が遅かった息子は、小学校高学年には皆に追いつき、中学校になると、勉強面も運動面も、クラスの中で目立つ存在になった。


周囲に認められることによって、努力が報われ、実力がついたのは息子自身も分かっていて、親目からみて、のびのびと学生生活を送っていた。

友達がたくさん出来たのもそう。

理不尽な扱いをされても、自信に満ちて、腐ることなく高校まで、サッカーをやりきれたのは、努力で培った実力を認めてくれる人が、周囲にたくさん居たから。


周囲の人からも、親の私からも、プラスの言葉をたくさん受け取ることによって、人並みの自己肯定感が育まれた息子。


スタートラインは、ここから。


主体性を持って物事に挑んだり、自主性を持って考えることは、学校をでて社会に出てからでもいい。


私はそう考えていた。


息子は、いつかは農家を継ぐことを考えていたのかもしれない。

大学を卒業後、農業とリンクする会社に就職して、頑張っていた。


「3年くらい勤めてから、会社を辞めて家を継ぐ」なんてことも、何気に言っていた。

私の言う「最低3年」を、真面目に聞こうとしていた。


だけど、予定は急遽変更。

就職してわずか2年と数か月で、私たちの手元へ舞い戻ってきた。


夫が身体の調子を悪くして、本腰入れて農業ができなくなったためだ。

農業を継ぐか否かは、息子の選択に託したが、息子は継ぐことを決めた。


だけど、社会に揉まれることなく、家に舞い戻ってきた息子は、まだまだ未熟だった。


自営業がゆえに、未熟さを補うように育てるのは、私たち夫婦となる。

関係性は、「師匠」と「弟子」になるのかもしれない。


ふたたび、息子を育てることになるが、夫には任せておけない。


私は信じてる。


主体性を持って物事に挑んだり、自主性を持って考えることは、今からでも身に付けることができる。


20代よりも、30代、30代よりも40代と、成長していけばよい。


かつての私のように。


心配は尽きないが、身近なところに居る息子には、私の思いや考えを、何かと伝える場面が多くなった。

同じ仕事をするようになってから、特に。


内心は分からないが、子供の頃とおなじように、言い返すことなく、黙って聞いている。


私の思いを受け入れてくれているとすれば、案外、夫ではなく、私に似てくるのかなとも思う。


今年は、カメムシ被害なので、柿の収穫量が極端にすくない。

今の時期に、通常ならば、富有柿(甘柿)の消毒をしなければならないが、夫は「もうどうでもいい」と言っていた。


もともと作っている量が少ないうえ、カメムシ被害で抜け落ちの柿も多く、残った柿も、カメムシに吸われたせいで、ボコボコになっている。

やってもやらなくても、どっちでもいい。

それが、夫の見立てだった。


昨日、息子と富有柿の畑へ見に行くと、確かに成っている実は極端に少ないが、思いのほか、落ちずに踏ん張っている柿もあったし、まだカメムシに吸われず綺麗さを保っている柿があるのを確認した。

隣接する柿園では、近所のおじさんが、消毒をはじめていた。


おれ、明日、消毒することにするわ。


決めたのは息子。


今日は、私たちが荷づめをしている間、ひとり、富有柿の消毒に精を出していた。


あの時とおなじ。


25歳の息子が、これからも、少しずつ少しずつ、確実に成長していけると、信じてる。

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