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料理が分かってきた気がする私

これほども、料理に関して、開放感がもてるようになったのは、数か月続いた山椒採りが終わって余裕がでてきたせいだろうか。

1カ月前に施設に入所した義母の食事のことを、考えなくて良くなったからだろうか。


とにかく、
料理なんて美味しければ、何でもいい。

所詮『創作』であって、決められたメニューに沿わなければならない訳じゃないじゃん。

テレビで出ている料理研究家の人たちだって、自分で考えている。


やっとのことで分かってきた気がして、最近のわたしはゆるゆるで料理をしている。

冷蔵庫のなかにあるものと相談して、自分の頭の中で、今までにない発想を繰り広げながら『創作』したものを、チャッチャッと作ってしまう。


一時期は、家族皆の分を用意していた食事も、今となっては、自分以外には、夫と息子の分だけ。

その気軽さもあるのだろう。随分と料理に対する思いが、良い意味でゆるゆるになった気がする。


自由に作っていいんだ。と。


だけど、作りながらにして思う。

嫁いできてすぐに、ぶ厚い料理本のレシピを見ながら作った料理の数々。

そのうち、パソコンで料理を検索することを覚え、料理本が一冊か、二冊はできたであろう、プリントアウトした料理のレシピ。
料理本のように、野菜別に付箋をつけファイリングし、幾度となしに利用した。

そのうち、レシピを考え買い物していたものが、スーパーで旬の野菜や不足している素材を買ってきて、冷蔵庫の中のもので、レシピを考えることができ、料理の負担はどんどんと減っていった。


料理をしながら、意外と「親(母)が料理をしない人」というイメージは、子供の脳裏に焼き付けられるものだと思ったこと。

「良い嫁」キャンペーン真っ盛りだった若かりし私が、必要以上に肩に力が入っていたため、同居の義両親に料理を振る舞うのは負担で、「同居」は無理だと夫に泣きついたこと。

もちろん解決策は見出せず、「やるしかない」とばかりに、自分で考え行動を繰り広げてきたこと。

嫁いできて、義両親の分を含め、家族皆の夕食を作った20年ほどは、惣菜を一度も使わなかったこと。(スーパーが遠いので)

途中料理をすることに折れそうになって「義務感から料理をするのはやめて、どうせなら楽しく料理をしよう」と気持ちを切り替えたこと。


出来た料理は、今まで作ってきたレシピが基盤になっているし、いろんな思いをしてきたことも、無駄ではなかったと、今更ながらにして思う。


料理をすることが苦手で、あまり好きではなかった私が、この域に達することができたのは、義両親との同居があって、夕食だけとはいえ、料理を「きちんと」してきたこと以外に他ならない。

けっして手が込んでいるわけでもないし、「○○の素」だなんて使い放題だし、手抜きで品数は少ないし、20分か30分もあれば出来るけど、私にとっての「きちんと」は、毎日料理して夕食を用意すること。

義両親と同居だと、作らざるを得なかった。

ちなみに、朝食、昼食は銘々が適当に食べるということになっていた。

ただ、子供たちの朝食だけは、中学生の頃くらいまでは作ってきた。
私自身は食パン一枚で学校へ行き、四時間目までお腹が持たなかったから。
朝食の大切さを分かってくれたらいいなと思って、ずっとご飯食におかずを足して食べさせてきたのに、成人した息子の今の朝食は適当。

食べないこともある。


「親の心子知らず」とは、このことを言うのだろうか。
別に見返りを期待して作ってきたわけではないけど、少し複雑で寂しい気持ちがする。


「ちゃんと食べやな身体がもたんで」と、時々息子に言うが、今更作るつもりはない。
成人した息子にその必要はないだろうし、お腹がすけば、勝手にコンビニに走っているようだ。


時々は前の日のおかずを食べたり、ご飯と海苔を食べているようだ。

夫と息子は、「後で」「次の日に」と言わんばかりに、冷蔵庫へせっかく作ったおかずを「直行」させることがある。

つい先日もそのような事があったから、皮肉交じりに夫に言ってやった。


私がいなくなったら、料理を作ってくれる人の有難みが分かるんやろな。


だけど、残さずおかずを平らげてくれる人が居ることの有難さも、忘れてはならない。

この先、だんだんと食べてくれる人が減っていくと同時に作る量が減っていき、最終的には、自分ひとりの量を作るとなると、作り甲斐がないのかもしれない。

夫と息子は、料理に文句を言ったこともないし、残したこともほぼない。

過去には、嫁いできたときには、既に外で胃袋を掴まれていた義父は、よく私の料理を残していたが、義母はだいたいは残さず食べてくれたし、娘に限っては一番美味しそうに食べてくれた。


そんな私の今の「もくろみ」は、「料理がうまかったな」「美味しかったな」と、私が料理が出来なくなったときに、言ってもらうこと。

これからの、私の料理のやり方は、どんどん変わっていくのかもしれないけど、私の方が長生きするから、その可能性はないのかもしれない。


とはいえ、先週は、惣菜が二日連続でテーブルに並ぶことがあった。

そんなこと、嫁いできて、初めてのことだったかもしれない。

とても楽だった。
ん?!何か矛盾してる?


ゆるゆるである。


料理の負担は、どんどん軽くなっていくが、料理に関しては、分かった「気」がするだけかもしれない。

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