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バランスよく「育児」ができなかった私が、子供たちに願うこと。

「育児」に関して後悔はない。

だけど、出来なかったことをひとつだけ挙げるとすれば、バランスよく育児ができなかった。

自分が育てられた経緯と照らし合わせて、育児を通して「思い」を、子供に託すのは、よくある話しかもしれない。


「思い」が強すぎると、バランスを崩す。


娘がおしゃれに興味を持ちだした頃、服が欲しいとねだることが多かった。

サイズアウトのサイクルが早い、小学生の頃のこと。

時には、我慢をさせたが、娘にせがれるまま、幾度となしに「しまむら」へ足を運んだ。
おしゃれに興味を持ちだすことは良い事と思い、渋る夫を説得したこともあった。

できる範囲内で買ってあげたいと思ったのは、私が丸っきりオシャレに興味がなかったからだ。

小学生の間は、母が買うタイミングも、買う服も決めていた。

着せ替え人形のように、何度も試着室へ入った覚えもあるが、楽しくなかった。
中学になっても、着る服に口出ししてくるので、自然と母の気に入る服を選ぶようになったし、服に対する興味もなくなった。


娘は、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、オシャレ心を育んだ。

問題は、その後だった。

中学、高校になると、親の私たちからみても、服を買うサイクルもそのままで、買い物をする場所も「しまむら」にとどまらなかった。

小遣いが足らず、時々、夫に小遣いを前借りしにきた。
甘い夫は、娘の要求にのることになる。


将来、洋服代をやりくりする苦労がついて回る心配をした。


大学時代は自分でアルバイトをした分と、娘と私たちで決めた仕送り金額でやりくりしていたが、夫は私に黙って多めに口座へ振り込んだ。


息子に関してもそうだ。

義兄には新しいバイクを買い与えてもらったのに対して、夫はお下がりのバイクしか与えてもらえなかったことを、幾度となしに聞かされた。

周囲の友人も、新しいバイクを乗り回していたようで、そこに思い入れがあったのだろう。

息子が、高校をでると、夫は息子に、大きなバイクを買い与えた。

高校はバイク通学だったが、息子が欲しいと言ったわけでもない。

息子はたいそう喜んで、バイト代でローンにして、バイク代を返していく約束を、夫と取りつけた。


息子がバイクにのめり込むにしたがって、一時期、私たちとの関係が険悪になりそうなことがあった。

「スピードを落とせ」と言っても聞かず、アルバイトで稼いだお金をバイクにほとんどつぎ込む。

そのうち、約束したバイク代の返済が滞って、夫が叱ることもあった。

そのうち、生死をさまよう事故を起こすことになっても、ほとぼりが冷めることはなかったが、心ゆくまでバイクに乗って、最近は乗っていない。


時に、バイクにのめり込む息子に対し、眉間にしわを寄せている夫に対し、「バイクを買い与える必要はあったのか」と幾度となしに疑問を感じた。

一人一台の車が必要な不便なこの場所で、昔はバイク通学が当たり前だったが、今は「危ないから」とバイク通学をさせない家庭も多い。

周りの環境は、昔とちがうのだ。

親の顔色を伺って進路を決めた経緯があった私は、子供たちには、思い思いのところへ進んでほしかった。

唯一女子サッカー部のある市内の高校へ行きたいと、娘が言いだしたのは、願書を出す前日のことで、私たちは驚いた。

息子と同じ高校に進み、男子部員に混じって部活に参加することが決まっていたが、娘の意思を尊重することにした。

大学進学の時もそう。

私たちが提示した、大学進学の条件は、自宅から通える範囲内の大学で、体育大学の受験が決まっていた。
しかし、受験間際になって、地方の大学の女子サッカー部の顧問からのオファーがあり、奨学金を借りてでも、その大学に進学をしたいという娘の意思を尊重した。

奨学金の許可が下り、働きながら返していく覚悟を娘はしていたが、結局夫が折れた。

どちらも、夫と娘のあいだを取り持ち、娘の意思のままに仕向けたのは、私だ。


息子に対しても、家業を継がせるときは、無理強いせず、息子の意思を何度となしに確認したのは、否応なしに、家業を継いできた夫の「思い」が、そこにあったからだろう。


一方で、流行りのおもちゃを買ってあげられなかったり、サッカーの練習着やボールにお金をかけてあげられなかったり、家族旅行へ行けなかったりと、周囲の同級生にくらべると満ち足りていなかったのもしれない。


だけど、私たち夫婦が生まれ育った環境に比べれば、いつでも自分の意思が尊重され、我慢をさせてこなかった。

時代の流れもあって、モノが豊かな時代。

戦後の物のない時代を生き抜いてきた方たちに比べれば、私たちがまだまだ考えが甘いように、子供たちを見ていると更に緩い。


こちらに嫁いできて、お金がなかったり、自分の思い通りにならなかったことを耐えることができたのは、親の元で育まれた「我慢強さ」や「根気強さ」を強みにしてきたからと分かった私は、最近、何が正解なのか分からなくなる。

子供の意思を尊重し、子供の思い通りに育ててきたせいで、返って苦労が付きまとうのかと揺らぐ。


だけど、意思を尊重した分、「確固たる自分」を築いてくれたことは、子供たちの性格や行動から見て取れる。

私とは、似ても似つかない。

以前「親がいつでも褒めてくれたことが、今の自分の強みになっている」と、「note」で記されている方の記事を見つけて、気持ちが救われた思いがしたことがある。


周囲の子と比べることなく、自分の子どもの目線に合わせ、成長したことを見つけて認める言葉がけで、どんどんと伸びていく事を褒めた事。

それもまた、私の「思い」だった。

「確固たる自分」を築くには、必要な事だったと思う。


その「確固たる自分」を、強みに変えて生きて行ってほしい。

実家をでて、なかなか帰ってこないけど、娘は、きっと大丈夫。

そう信じてる。

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