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読むこと、書くこと、輝くパワー!

年内は日本、関東は快晴が続きます。

12/2 月
昨日、文学フリマ東京に行った。大きな会場、でも、大混雑! ブースで、阪神タイガースの大山のユニフォームを着たおじさんが「よくもまあ、文学なんかのためにこれだけ人が集まるわ!」と濁声で話していた。同感。

試し読みコーナーでかなりの数の本をめくった。一冊一冊心をこめて作られたことが分かる本の多さに圧倒された。ブースで作者の方と何人か話をした。それぞれに書く理由を持っておられるように感じた。

試し読みコーナー(20卓くらいあった)

帰り道に思った。そうか、何か書くって、ささやかなことだったなと。今はSNSのせいで書かれた文章が不特定多数の人に届くことが当たり前になっている。あなたに宛てられた文章をだれかに宛てられた文章が凌駕する時代。

でも、どんな時でも「書いた人」と「読む人」は一対一だ。わたしの書いた文章をあなたが読む。あなたの書いた文章をわたしが読む。書くのは、読むのは、たったそれだけのこと。非効率で時間がかかる。でも、それだけの中に大海賊も征服できない無限の豊かさがある。孤独に寄り添う柔らかな曙光が、灰色の世界を輝かせるパワーがある。そうだった、そうだったなあ、と反芻した。





12/3 火
帰宅中、地面に「76 ヤキソバ」と手書きされたテープを見つけた。何これ? 見回すとテープが数メートル間隔で貼られていた。「74 カリカリチーズ」「78 ドネル」「81 豆」「85 ベビー」などなど。そうか、縁日が始まるのだ。




12/4 水
仕事関係のひとから、飲みの席で、近々現職を辞めると聞いた。外部に評価されることの少ない組織に疑問を感じ、実践者として働きたいと思ったそうだ。そのひとは話の後で「自分のいる組織を悪く言うほど恥ずかしいことないんですけどね」と小さく付け加えた。



12/5 木
夜十時、湯豆腐。相方の実家の湯豆腐は、豆腐の入った土鍋にネギとつゆを入れた小鉢を浮かべて、温めるそうだ。土鍋の中に船・・・に喩えるにはいささか大きすぎる小鉢が浮いている。つゆも温かくて美味しかった。



12/6 金
文学フリマで買った歌集より、くすっと笑ったものを一首。

転居したひとのリストは紙で来てすこし遅れて電子でも来る

吉村のぞみ. あったかい虚空. 2024. p.60.

「仕事」ですね〜。きれいだなと思ったものも。

政治的見出しの下にソーダ水三夏の季語として透き通る

同上, p.126.



12/7 土
山登りに行くのだろうか。つば付きの帽子をかぶった、お爺さんとお婆さん四、五人のグループを電車で見かけた。二手に分かれてドアの両側に座っている。新宿で人が降りたタイミングを見計らって、一方の人たちが近くの席に移ってきた。

お婆さんのひとりが「固まってきたね〜」と言った。お互いの近くに座れるようになったことを「固まってきた」と表現したのだ。主語は「私たち」だろう。集団としての意識を持っている不思議な生き物みたいだった。ぷよぷよみたいな。そうよ私たち固まってきたの。これからもっともっと固まるわ。ぎゅっと固まって、ひとつになるのよ。自分には思いつかない日本語を使っている人に出会うと、うっとりしてしまう。



12/8 日
出張で来月アフリカのナミビアという国に行く。ビザの申請書類を準備中。手続きを調べる中で「信書」という単語を知った。信書は「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、又は事実を通知する文書」だそうだ。請求書や許可証、結婚式の招待状などが当てはまる。それに対して、書籍やカタログは信書ではない。信書を定められた方法以外で送ると郵便法で罰せられる。世の中には僕の知らない色んなルールがある。この日記は信書ではない。でも、同時に、不特定多数に宛てた文章でもない。だから、届くといいなと思う。読んでくれているあなたに。





(おわり)

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