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【おすすめ本】子供時代は知らない街角(山田詠美/晩年の子供)

おととい、ウガンダに着きました🇺🇬

子供の頃のこと、どれくらい覚えていますか。
例えば、幼稚園の通学路、友達との初めてのケンカ、好きだったテレビ番組。我ながら、ぼうっとした子供で、記憶は少ないし、覚えていても断片的なイメージだったりします。それでも、何かの拍子に蘇る思い出があって、あの経験をした一人の子供が今の自分と地続きであると思うと、不思議な気持ちになります。
「子供時代」はだれもが通ってきた知らない街角のようです。



今週は、最近読んだ本ではなく、本棚から一冊を紹介します。山田詠美の「晩年の子供」という短篇です。

▼▼今回の本▼▼

主人公の「私」は叔母の家の飼い犬に噛まれ、狂犬病にかかって六ヶ月後に死ぬと思い込む。もちろん本当は狂犬病になどかかっていないのですが、「私」はそれを秘密にして、日々を過ごすようになる・・・。ドキッとしますよね。

私は、かつて晩年を迎えたことがある。この言い方は、いかにも奇妙だが、あの数ヶ月を、どのように形容すべきかと、ふと思う時、ああ、やはり晩年という言葉しかないと思うのだ。あの時、私は十歳だった。そして、残された日々をどうしたら良いのか途方に暮れていた。

山田詠美. 晩年の子供. 講談社文庫. 1994. p.7.

惹きつけられる書き出し。
犬に噛まれてから、主人公の私は「死」に考えを巡らせるようになります。子供ならではの思い込みと老成した心境が入り混ざった不思議な気分に包まれて。

「ママ、私が死んだらどうする?」
 私は、たびたび、そんな質問をするようになり母を怖がらせた。
「死ぬなんて言葉を口に出したりしたら、現実になっちゃうのよ。絶対に、そんなこと聞かないでちょうだい」
 母の言葉に、私は、無言で首を横に振った。この人は、何も解っていない。私は、母を、いとおしく思った。

同上, p.15-16.

こんな質問をする子供、こわい。でも「子供らしい」とも思います。主人公の私はゆっくり迫りくる「死」をクリアに想像し、受容しようとする。ある時境界線を乗り越えて、「死」についてこんなふうに考える瞬間が訪れます。

私の思い描いていた死は、もっと、後に残されたものに残して来た自分に関する記憶、その存在が、すべての人々を悲しませる、そういう困ったものであった筈なのだ。だからこそ私は、覚悟を決めて晩年を迎える準備をして来たというのに。この平静さと来たら、どうだろう。私は、すっかりあきれてしまっていた。これでは、まるで、私は、まだ、この世に生まれていないみたいではないか。

同上, p.26.

この文章を読んで、ふと、四年前に病気で亡くなった祖母が、最後に話した時、とても子供っぽい表情をしていたことを思い出しました。
晩年と子供時代は背中合わせなのかもしれません。

(おわり)

▼▼前回の本▼▼


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