
山の掟は生きろと囁き、人の情は愛を乞う - 河崎秋子『ともぐい』
河崎秋子氏の『ともぐい』は、明治後期の北海道を舞台に、自然と人間の関わり、そして生きることの意味を深く問いかける作品だ。主人公は、獣のような嗅覚と卓越した狩りの腕を持つ猟師、熊爪(くまづめ)。人里離れた山奥で孤独に生きる彼の視点を通して、私たちは自然の厳しさ、そしてその恵みを疑似体験する。
しかし、物語を読み進めるほどに、私は熊爪の感覚、猟師の感覚というものを、一生理解することはできないだろうという思いを抱かずにはいられなかった。
熊爪にとって、狩りは生きるための本能的な行為だ。獲物を狩り、喰らう。それは彼にとっての日常であり、山で生きるための掟そのものだ。しかし、私にとって、それはあくまでも物語の中の出来事であり、現実とはかけ離れた世界の話だ。
熊爪が獲物と対峙する時の研ぎ澄まされた感覚、獲物の気配を察知する研ぎ澄まされた五感、そして仕留めた獲物を喰らう時の感情。それらは、私には想像することしかできない。
物語の中で、熊爪は盲目の少女と出会い、人間らしい感情を取り戻していく。しかし、それは同時に、彼を人間社会へと引き戻す力にもなる。山で生きる熊爪にとって、人間社会は異質な世界であり、そこには彼の知る掟とは異なるルールが存在する。
熊爪は、山で生きる獣としての自分と、人間としての自分の間で揺れ動く。その葛藤は、私にも痛いほど伝わってくる。しかし、彼の苦しみ、彼の選択を、私は完全に理解することはできない。なぜなら、熊爪の感覚は自然の中で育った彼の生まれ育ちと深く結びついているからだ。私と彼はあまりにも育った環境が違いすぎる。
物語の終盤、熊爪は自らの運命と向き合うことになる。それは、彼が山で生きる獣として生きるのか、それとも人間として生きるのかという選択を迫られる瞬間でもある。そして、その選択は、彼自身の命運を大きく左右する。
熊爪が最後に選んだ道は、彼にとって最良の選択だったのだろうか。それは、読者それぞれが考えるべき問いなのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、『ともぐい』は、読者の心に深く残る作品であるということだ。自然の描写、そして人間の感情の描写は、読者の心を揺さぶり、そして何かを考えさせる。ぜひ、一度手に取って、熊爪の生き様、そして彼の物語を体験してほしい。