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I will Follow Him : You Don't Own Me 女性のライフサイクル論の背景 1960's

「オールディーズ」のおもしろい2曲との出合い


代表的ライフサイクル論を学んでいると女性に関する面で「社会的論争に発展」したことを知りました。その時代って??アメリカ社会は??と好奇心から調べていくうちに「オールディーズ」の対照的な2曲を聴くことに。 理論にご興味のない方たちにも楽しめますよ。(2曲の動画付き)

まず2曲とそれぞれの対照的な歌詞をご紹介します。


I will Follow Him


I will Follow Him (曲名)アイ・ウィル・フォロー・ヒム(邦題)     Little Peggy March(歌手)1963年 アメリカ

歌詞の一部抜粋 (ご興味ある方はYouTube動画でご覧いただけます)

Love him, I love him, I love him
And where he goes,
I will follow him
Follow him wherever he may go
There isn’t an ocean too deep
A mountain so high it can keep me away
I must follow him
Ever since he touched my hand, I knew
That near him I always must be
And nothing can keep him from me
He is my destiny ~ ~

愛してる、愛してる、愛してる
彼が行くところ
私はついて行く、私はついて行く、私はついて行く
私は彼について行く
彼がどこへ行こうと、
どんなに深い海も
どんなに高い山も私を彼から遠ざけられない
彼について行かなくては
彼が私の手に触れたときから私には分っていた
彼の傍らに私はいつもいなくてはと
何も私から彼を遠ざけられない
彼は私の運命 ~ ~

I will Follow Him (曲名)アイ・ウィル・フォロー・ヒム(邦題)


補足説明

「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」は皆さんにもなじみ深いかもしれませんね。ウーピー・ゴールドバーグ(Whoopi Goldberg:1955-)さん主演の記録的な大ヒット映画「天使にラブソングを…」(The Sister Act)1992年。映画のラストでは「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」の歌が、イエス・キリストを讃える賛美歌、パワフルなゴスペルに。him=主。  

もともとはペトゥラ・クラークさんが歌ってヒットとなった「愛のシャリオ」フランス語の歌詞は若い二人が荷馬車に乗って、力を合わせて新しい土地を目指す喜びを表現。この歌をアメリカでリトル・ペギー・マーチさんがカバーした60年代の初めの頃は、複雑な歌詞よりも、愛する人について行くといった単純なラブ・ソングが好まれました。驚異的な大ヒットに。
 


You Don't Own Me


You Don't Own Me (曲名) 恋と涙の17才(邦題)                    Lesley Gore(歌手)1964年 アメリカ

歌詞の一部抜粋 (ご興味ある方はYouTube動画でご覧いただけます)

You don't own me, I'm not just one of your many toys
You don't own me, don't say I can't go with other boys                                And don't tell me what to do
And don't tell me what to say
And please, when I go out with you
Don't put me on display, 'cause
You don't own me, don't try to change me in any way
You don't own me, don't tie me down 'cause I'd never stay
Oh, I don't tell you what to say
I don't tell you what to do
So just let me be myself
That's all I ask of you ~ ~

わたしはあなたのものじゃないわ わたしはあんなにたくさんあるオモチャの一つじゃないの。
そう 誰のものでもない。ほかの男と出かけるな、なんていわないでね。   わたしのやること、言うことに口を出さないで。            お願い一緒にでかけるときにあなたの飾り物のように見せびらかさないで。だってわたしはあなたのものではないのだから。            どうにかして私を変えようとしないで。束縛しないで。         わたしはずっとここにはいないんだから。               あなたになにも言うことも、させたいこともないわ。          わたしの自由にさせて。それがわたしの願いよ。~ ~

You Don't Own Me (曲名) 恋と涙の17才(邦題)

補足説明 

「You Don't Own Me」は63年12月に発売され、64年2月3週連続全米2位という大ヒットとなります。当時7週連続1位はビートルズの「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」でしたので、全米にビートルズ旋風が吹き荒れていた最中にこの結果はメガヒットといえるでしょう。社長令嬢高校生のレスー・ゴーアさんがウーマンリブ的な曲を歌う意外性が斬新な企画。  「恋と涙の17才」(邦題)??  歌詞からのイメージとの乖離が・・

1996年に製作されたダイアン・キートンさん、ゴールディ・ホーンさん、ベット・ミドラーさん共演のコメディ映画「ファースト・ワイフ・クラブ」のラストシーンではこの曲と同年代の3人が熱唱。圧巻です。


 

2つの曲を聴かれて(歌詞を読まれて)いかがでしたか? 素敵な2曲ですね。恋愛の進捗度の違いやレコード会社の企画の思わくなどもありますが、対照的な歌詞が当時のアメリカ社会を映し出しているように私は感じます。


1960年代 アメリカ 変動の時代


出典: 国務省出版物「米国の歴史の概要 – 変動の時代:1960~1980年」       AMERICAN CENTER JAPAN  About the USA

1960年代には、それまで表に出なかったグループあるいは従属的な地位にあったグループが、より積極的に主張をし、力をつけ始めた。それは、アフリカ系米国人、アメリカ先住民、女性、「新移民」の白人少数派の子孫、そしてラテン系米国人などであった。                   
彼らを支持したのは、かつてない規模の若者人口であった。こうした若者たちは、これもかつてないペースで拡大する全米各地の大学で学んでいた。                   
第2次大戦世代の親から生まれた子どもたちの多くは、「対抗文化」と急進的な政治思想を支持し、文化的・民族的多元主義を特徴とする新しい米国を推進した。これは親の世代にとっては不安なことであった。

女性解放運動

1950年代と1960年代には、労働市場に参入する既婚女性の数が増えたが、1963年の働く女性の平均賃金は、男性の平均賃金の63%にすぎなかった。 
その年、ベティ・フリーダンが「新しい女性の創造」を出版し、中流階級の生活パターンを強烈に批判した。彼女は、多くの女性が漠然とした不満を感じていると主張し、そうした不満を明確に分析してみせた。        
フリーダンは、多くの女性は「夫を見つけ、子どもを産む」こと以外に自己表現の手段がないと述べ、読者に、新たな役割と責任を探究すること、そして男性優位の社会が定義するアイデンティティではなく、独自の個人的・職業的なアイデンティティを見つけることを奨励した。

1960年代と1970年代の女性解放運動は、公民権運動に触発されたものであった。運動に参加したのは主に中流階級の人々であり、従って、1960年代の中流階級の若者と同様の反抗精神に影響されていた。

1966年に、フリーダンをはじめとする28 人の働く女性が、「今すぐ(now)米国の女性を米国社会の主流に全面的に参加させる行動を起こすために」、全米女性機構(NOW)を設立した。1970年代初めのことで、この時期にはまた、ジャーナリストのグロリア・スタイナムをはじめ数人の女性が「ミズ」誌を創刊した。                          
これらの組織に触発された反フェミニスト団体も創設され、その多くは女性を指導者としていた。中でも有名なのは、政治活動家フィリス・シュラフリーの率いる団体である。こうした団体は、通常、より「伝統的な」性別による役割分担を支持し、提案されていた「男女平等」憲法修正条項(ERA)に反対した。
1972年に議会で可決されたこの修正条項は、「法の下での平等が、性別を理由に、米国によって、あるいはいかなる国家によっても否定されたり、はく奪されることがあってはならない」と述べている。批准には38州の承認が必要であったが、その後数年間に35州がこれを承認した。

しかしながら、1970年代半ばから後半にかけて、女性解放運動は停滞したようだった。女性運動は中流階級以外の人々にアピールすることができず、また穏健派と過激派の対立も見られた。保守的な反対派が「男女平等」憲法修正条項に反対する運動を起こし、結局この修正条項は批准に必要な38州の承認を得ることができず、1982年に消滅した。

国務省出版物「米国の歴史の概要 – 変動の時代:1960~1980年」


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月面に到達した宇宙飛行士(1969年7月20日) (NASA)


代表的なライフサイクル論と女性のライフサイクル論


女性の社会的権利をめぐって1960年代~80年代のアメリカでは女性間でも2分化されていたのですね。

代表的なライフサイクル論

ユング:1933年「人生の段階」発表。40歳は人生の正午。個性化プロセス。 エリクソン:1950年 「幼児期と社会」発表。人間の8つの発達段階。           1964年「女性と内的空間」発表。内的空間=子宮  大きな論争へ発展。    レビンソン:1978年「男性のライフサイクル論」約20年経た1996年「女性のライフサイクル論」男性とほぼ同様の発達プロセスが見出されたと発表。


~からの、女性のライフサイクル論

ダイアリー式メンターラジオ#13「人生の転換期 女性は?」でも取り上げたのですが、メンタリングでは、ライフサイクルという時間軸にそった視点と、個々のライフスタイルの違いは、メンティを理解するのに役立ちます。

しかしながら、男性の研究者による理論は、男性の声だけにもとづいて理論化され、その枠組みと合わないような女性の発達過程を新たな事実としてとらえて、発達理論を修正するのではなく、その理論が、描くより未熟な発達段階、もしくは発達の失敗として、とらえられていたと言われています。       

残念なお話しですねー

それに、異議を唱えたのが、キャロル・ギリガン氏です。
1982年、ギリガン氏は、男性の理論に共通しているのは、男性は、他者との関係においては、自分と他者を分け、個の確立の過程をたどるが、女性は、他者と関係をもつことを、志向しつづけると主張しました。

また、岡本祐子氏は、関係性によっての発達を重視。従来の成人発達研究が、階段を上るように、発達段階を想定しているのに対し、同じテーマを繰り返し、ラセンのように、進行すると提唱しています。

最近のライフサイクル論をベースとした一般書籍でも、これらの点は触れられていないように見受けられます。


想い


対人援助職を生業として、ご相談者が精神的にもより良い、成熟した人生を送れるように支援できる有効なメンタリングを目指し学び続けるひとりとしては、「黒色なら何色でもいい」のではなく、より個々を大切に尊重できる真の「ダイバーシティ」を実現している人や文献に少しでも多く出合えるのを願っています。

with all of my thanks and friendship


用語の説明(ご参考)


・メンター=人が学び、成長するためのアドバイザーでありカウンセラー

・メンタリング=タスクの熟達に重点を置くと同時に、仕事面でのサポートを提供していたとしても単に業務上のことだけではなく、メンティの学習能力が向上するように、私的な側面との相関的な点にも双方に重点を置きます。(R.B.ディルツ氏)

・メンティ=メンタリングを受ける人(ご相談者)





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