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「偉大なるリシ(聖仙)によれば、ヴェーダ聖典は永遠の存在なのだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.29)


はじめに

インドの聖典はシュルティ(天啓聖典)とスムリティ(聖伝聖典)に分かれ、ヴェーダ聖典はシュルティに属すると言われています。

また、ヴェーダ(Veda)とは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された文書で「ヴェーダ」は「智識」の意味だとされています。

シュルティ(天啓聖典)は、古代のリシ(聖仙)方によって神様から直接に受け取られたと言われ、その内容は、口伝でのみ伝承され、文字が使用されるようになっても文字にすることを避けられ、師から弟子へと伝えられたのだが、実際に、文字に記されたのはごく一部とされているようです。

ちなみに、シュルティは直接の神様からの啓示に対して、スムリティの方は推論となっているようです。

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第三章二十九節

29節 そして、まさにこの事実から(ヴェーダの)永遠性が導かれる。 

ヴェーダの無始性(始まりの無さ)は、ヴェーダの独立した著者が記憶されていない(つまり知られている)という事実から(ピールヴァ・ミマーンサにおいて)確立されている。個々の神々の起源がヴェーダの言葉にあると認めることは当然のこととされていたため、言葉そのものの非永遠性についての疑念が生じた。これに対しては、「宇宙はこのことから生じる」(Bs.I.iii.28)という言葉で反論された。今や、ヴェーダの永遠性というこの事実は、影響を受けることなく、「そして、まさにこの事実から永遠性が導かれる 」という言葉によって確認されている。「まさにこの事実から」、つまり、神々とその他のものの宇宙が明確な形を持ち、ヴェーダの言葉から生じたという事実から、ヴェーダの言葉もまた永遠であると理解されるべきである。だから、「生贄たちは、以前の善行を行った結果として、ヴェーダを受け取る適性を獲得したので、それをリシ(聖仙)たちの間にすでに存在していたヴェーダを受け取った」(R.V.X.Ixxi.3)というマントラのテキストのように、すでに存在していたヴェーダを獲得したことを示している。ヴェーダ・ヴィヤーサもまた、彼のスムリティの中でこう書いている。「その昔、偉大なるリシ(聖仙)は、自ら生まれしお方(the self-born One)の許しを得て、消滅(dissolution)の間に未見の(withdrawn)ままになっていたヴェーダを秘話(anecdotes)とともに苦行を通じて受け取った」

最後に

今回の第一篇第三章二十九節にて引用されている『ブラフマ・スートラ』を以下にてご参考ください。

もしこれがヴェーダの言葉の正当性と矛盾すると反論されるなら、そうではない。なぜなら、宇宙はこのことから生じ、その事実は直接的な啓示と推論によって証明されているからである。

(Bs.I.iii.28)

(R.V.X.Ixxi.3)→リグヴェーダ

今回の二十九節を要約すると

ヴェーダ聖典の永遠性は、偉大なるリシ(聖仙)方によって確立されているという理由からも、ヴェーダ聖典は永遠の存在なのだ。

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