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「不滅なるもの(アクシャラ)が支える御業は強大な神の力のみ可能なのだ」/シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』(1.3.11)


はじめに

この当時の議論に際し、なかなかにくどいというか、執着が強いというか、自分の信じる考えを曲げずにグイグイと押し通す論争が実際に繰り広げられたのか?

それとも、私たちのような註解書を読むだろう人に向けて、これでもかと正論を雪なだれのごとくに教説するためなのか?

今となっては定かではありませんが、しかし、だんだんと次はこう言ってくるかもしれないと読めるようになってきましたね。

シャンカラ註解『ブラフマ・スートラ』第一篇第三章十一節

11節 そして、その支援行為は、神の強大な支配の言及ゆえに、神にのみ可能なのである。

その行為、すなわち空間(アーカーシャ=虚空)によって終わるものを支えるという御業は、神だけに属するものである。

なぜか?

「強大なる支配について言及されているからだ」というのも、私たちは次のテキストの中で、強大な支配について聞いているからです。「ガールギーよ、このアクシャラ(不滅なるもの)の強大なる支配の下で、太陽と月はその位置に保たれている」(Br.III.viii.9)など。そして、この強大なる支配は至高の主の御業である。無感覚な(意識のない)プラダーナは、この強大な支配を行使することはできない。なぜなら、地球などの意識のないものは、これらの物質的な原因ではあっても、鍋などに対するこの強大な支配力を持たないからである。

最後に

今回の第一篇第三章九節にて引用されている『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド』を以下にてご参考ください。

ヤージナヴァルキァ師が言った。
「ガールギー師よ、この不滅なるものの指令によって日月も天地もその位置を定めている。ガールギー師よ、この不滅なるものの指令によって瞬間も、時間も、昼夜も、半月も、一月も、季節も、年もその位置を定めている。またガールギー師よ、この不滅なるものの指令によって、ある河は雪山から流れ出て東方に向けて流れて行く。またガールギー師よ、この不滅なるものの指令によって、布施をする者を人々は賞賛し、護摩供養を執行する者の元に神々は寄り来たり、祖霊たちも供物を捧げる者たちの元に寄り来るのである」

(Br.III.viii.9)

本文に引用はされていませんが十節をご参考までに。

ヤージナヴァルキァ師が言った。
「それ故にガールギー師よ、この不滅なるものを知らないままに、現世において護摩供養を執行し供物を捧げ、苦行を行じることが数千年に及ぶとも、それらの行為は消滅してしまうのである。ガールギー師よ、この不滅なるものを知らずしてこの世を去る者は哀れである。しかし、この不滅なるものを悟ってこの世を去る者はバラモン(神我の解悟者)なのである」

(Br.III.viii.10)

今回の十一節を要約すると

アクシャラ(不滅なるもの)の強大なる支配のゆえに、この支えは、サーンキヤが推論するプラダーナによるものではなく、ブラーフマン(=最高の真我)の為せる御業以外にはあり得ないのだ。

このことを証す天啓聖典として『ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド』を引用し、サーンキヤが推論するプラダーナにそれほどのことができないだろうと述べているのである。

そして、本文には引用はされていませんが、ヤージナヴァルキァ師はガールギー師にこの不滅なるものを悟ることで真のバラモン(ブラーフマナ)、つまり、神我の解悟者としてこの世を去れるのだと説いています。

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