「人それぞれ」がなかなか腑に落ちない病
「まあ人それぞれでいいんじゃない?」「価値観は人それぞれ」など、多様な生き方・考え方を認める象徴的な日本語として「人それぞれ」と口にする機会が増えたのではないでしょうか。なんならほとんどの質問に人それぞれで答えれるのではないかと思っちゃうくらいです。
娘「やっぱり早めに結婚した方がいいのかな?」
母親「人それぞれじゃない?」
生徒「どの勉強法が1番いいんですか?」
先生「そんなの人それぞれだよ」
頭では「人それぞれ」を理解できているはずなのに、この年になっても周りの人のことを中学生みたく、変に意識してしまう自分がいるいます。
会社同期が転職した時。
高校同期に子どもができた時。
先輩の私服がオシャレで似合っている時。
同じマンションの隣人がルンバで掃除をしていた時。
周りを参考に学ぶのはもちろん大事です。ただ行き過ぎると「自分はこのままで大丈夫かな?」と心配してしまいます。これは、ありのままの自分を完全にリスペクトできてないからだと思います。そもそも100%自分とか、ありのままの自分なんてあるのか。ないのか。他人の意見の集合体が自分なのではないか。守るべき自分なんかないのでは?プライドは持たなくてよい?邪魔?みたいに思考がグルグルしてしまい頭が痛くなってきます。あー仕事どころではない!
最近気付いたのは、自分の純度を徐々に高めていくのが人生なのではないか?ということです。受験の時なんか、行きたい大学なんかあるわけない。教授に会ったことないし、サークルも決まってないし。就活のときなんて、やりたい仕事なんかあるわけない。働いたことないんだから。長く結婚生活をしていける人なんてわかるわけない。結婚生活したことないし。そもそもお付き合いしてきた人数も限られている。こう考えていくと、都度都度ある程度他人の意見を参考にしながら暫定的な答えを出すしかないんじゃないかと。若い頃は学力とか運動神経とかわかりやすい定量化しやすい指標ばっかりで比べられることが多いです。ただ、年を食うとだんだん物差しが増えてきますよね。そうすると他人にあまり影響されずに判断できる場面が増えてくるはずです。こうなると「人それぞれ」が腑に落ちてくるのではないかと。時間が解決する定期。
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