『ペンギンの憂鬱』の続編が翻訳されない理由
「現代ロシア文学で何か良いのない?」ともし聞かれたら、私がとりあえず勧めるのは『ペンギンの憂鬱』だ。話の流れを追うのも難しくなりがちなロシア文学の中で、この小説は例外的に読みやすい。そして、異質なキャラクターであるペンギンの動きがまた不気味な物語の中でユーモラスに輝く。
ストーリーは、ラストに向けて高まる緊張感とともにぶつ切りの終わりを迎えるため、長らく続編である『カタツムリの法則(仮)』の和訳が待望されていたが、一向に翻訳される気配がない。ネット上の記事をいくつか調べる限りでは、どうやら続編の評価が芳しくないのが原因のようだ。
続編の何がダメなのか
ネット上ではGuardianとIndependentのレビューを読むことができる。どちらの批評も共通して指摘しているのは、続編の主題が、前作の純粋な続きとして「ペンギンのミーシャを取り戻すこと」であるため、物語の大部分でそのミーシャが不在だということだ。
(Guardianのレビューより)
ミーシャが『カタツムリの法則』のほとんどで登場しないことは問題である。なぜなら、1作目のパワーの多くはミーシャに帰属していたからだ。(例えば)アパートに閉じ込められていることに対する静かな我慢強さや、ウクライナ社会の疲弊した代替的なもの(疑似家族)に対する比喩として機能している、彼とヴィクトルが保たなければならない関係性だ。
ちなみに今回私が読んだ英訳版については、その翻訳についてもぎこちない(clumsy)と指摘されている。また、原語版が400超ページなのに対して英語版は256ページにまで削減されていることも後で気付いて落胆した。章自体はさほど削られていないものの、各章それ自体を圧縮する珍しい?抄訳パターンが採用されている。(翻訳間の比較はこのページで詳しくされている)
さらに、こちらは真偽不明ではあるが、沼野ゼミの学生らしきブログでも、レビューでの指摘とほぼ同様の理由で前作の翻訳者が筆を取らない理由について触れられている。
アマチュアが持ち込んだ翻訳が出版される、というパターンもなくはないロシア文学翻訳界ではあるが、15年以上が経った今続編の翻訳が新しく出る可能性はかなり低いだろう。
続編のネタバレ
たとえ続編が文学的要素を失っていたとしても、ミーシャのその後はやはり気になる。前作のラストから結局どうなったの?という人向けに続編の簡単なネタバレを箇条書きで紹介して終わりにしたい。
(ネタバレ注意のための改行)
・南極に着いたヴィクトルは現地で偽の身分を譲り受けてキエフに戻る。
・キエフでは頭脳労働と引き換えに政界進出を狙うマフィアの庇護を得て、ミーシャはチェチェンにいるという情報を手に入れる。
・その後自らチェチェンまで赴き、新たな飼い主となっていた「ビジネスマン」から取引の末ミーシャを取り戻す。
・最後は南極付近の島で仲間のペンギンの群れにミーシャを返してハッピーエンド。