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「探究学習」を探究してみる(探究演習)

大学院で学ぶ「学習のデザイン」。今日は探究学習の本をご紹介します。

こちらは、以前紹介したHigh Tech Highについて書かれた本と同じ、藤原さとさんの著書です。この本では、探究の学びにフォーカスして、歴史や方法論などをより体系的な視点でまとめられています。

まずは、探究学習ってなんなのか?から見ていきましょう。



色々やる=探究ではない

間違った探究学習の例から紹介します。例えば、リンゴをテーマに取り組んだ探究学習として、学校でこんな授業が行われていたとします。

  • 国語ではリンゴに関連する本や映画をみて創作物語を書く

  • 美術では物語に挿絵を入れたり葉っぱのコラージュをつくる

  • 音楽ではリンゴの歌を教える

  • 科学では違うタイプのリンゴの特徴を観察する

  • 数学ではリンゴソースをつくるために材料を計測する

  • 見学旅行ではリンゴ農園にいったりリンゴ祭りに参加する

一見すると、様々な科目からリンゴを見ることで、深い学習ができているように思えます。ところが、こういったカリキュラムは、活動という手段が目的化されてしまった「這い回る経験主義」として否定されています。

何が問題なのか?理由は3つあります。

1つ目は深い思考がないこと。2つ目はバラバラの活動がつながっていないこと。3つ目はアウトプットがないこと。

じゃあ探究とは何か?

日本の高等学校学習指導要領ではこのように書かれています。

学校教育においては,生徒自らが課題を設定し,情報の収集,整理・分析,まとめ・表現といった探究のプロセスを通して,問題の解決を図る学習活動が一層求められている。

文部科学省「今、求められる力を高める総合的な探究の時間の展開」(2023) P107より

学習者が自身で課題を設定しているかどうか、がリンゴ学習との大きな違いです。次に、近代教育の礎をつくったジョン・デューイーの定義を見てみましょう。

デューイーは探究を「不安から安心への移行」と表現した。そして、少し難しい言葉であるが、「不確定な状況を、確定した状況に、すなわち諸要素を一つの統一された全体に変えてしまうほど、状況を構成している区別や関係が確定した状況にコントロールされ方向付けられた仕方で転化させることである」と定義した。

ジョン・デューイー『論理学』より、藤原さとによる解説

はじめは誰も答えはわかっていない状態だけど、探究を続けていると、ある時に「これだ!」という発見に出会う、という過程を意味しています。これは創造する過程と共通するので、個人的に興味深いと思っています。

探究学習に欠かせないこと

探究学習に必要なことは3つあります。

1つ目は本質的な問いがある(深い思考がある)こと。リンゴを通じて何を学ぶことが狙いなのか?が定まらないと探究できません。リンゴはあくまでツールです。本質的というのは批判的思考(クリティカル・シンキング)にもつながることで、創造性との関係も密接です。

批判的思考ついては次回あたりに紹介します。

2つ目は中核となる概念理解をすること。概念学習は年齢があがるにつれて、少しずつ難しい概念(分数の計算や科学の法則など)が理解できるようになります。自らが概念に気づけると、他の事象とのつながりが生まれて、学びの転移が起きます。概念については以前こちらでも取り上げたので参考ください。

3つ目は解決したい課題に取り組めること。課題が設定できると、解決するためのアイデアを生み出し、具体的な方法をアウトプットすることにまでつながります。アイデア〜アウトプットの過程を歩まないと、デューイーがいう「不安から安心への移行」は経験できません。

学校で行われている探究学習が適切かどうかは、本質的に問い、概念を理解し、課題を解決する、という3つを照らし合わせてみるとわかります。

遊び・経験・失敗・協働と探究

探究する行為は誰かに強制されるものはありません。ですが、学校はある意味で学びを強制する場でもあり、ここに探究学習の難しさがあるのだと思います。

まず、探究するうえで「遊び」は欠かせない要素です。遊びがあると、実験的なことにも挑戦してみたくなるし、内容そのものに深い興味を持つことができるようになります。遊びがないと受け身になり探究できません。授業で遊びを許容することが大切だと考えます。

ただ、遊び=快楽ではありません。

「遊びは努力するために与えられた機能」という考え方があり、探究で目指す遊びはこちらの考えの方が近いと思います。過去の記事を参考ください。

次に「経験」や「失敗」から学ぶことも探究につながります。間違えることで原因に気づき、考えを修正したり柔軟に対応できるようになります。試行錯誤がないと探究とはいえないので、失敗をポジティブに評価する仕組みが学校に求められます。

さらに自分だけでは解決できないことに気づくと、誰かに頼ったり一緒に「協働する活動」の大切さがわかります。最初からむやみにグループワークをするのがよいとは思いませんが、1人で完結しない仕掛けも必要です。

なんで探究するのか

あらためて、何で探究学習が必要なのでしょうか?

教育指導要領では、不確実性の高い社会を切り開く力だったり、価値を創造する力といったことに結びつけて語られています。

だけど、もう一歩探究してみましょう。探究学習を突き詰めると、最終的には平和公正といったことに辿り着きます。

これまでの知識偏重の教育はどんな社会をつくったか?経済が発展しても個人間格差が広がったり、国際交流が広がっていっても人種差別やイデオロギーの違いによる戦争など、社会課題を解決するために教育は使われていたのでしょうか?

探究学習はこういった状況に向き合い、よりよい社会をつくるために、本質的に問い、概念を理解し、課題を解決する、といった活動につなげていくことができる学びです。なので探究学習は、社会が平和や公正に近づくために必要な学びです。

学んだこと

探究学習を通じて創造力が高まることにもつながるけど、なんで創造的になるべきか?の問いには、平和や公正につながる社会をつくるためだと、この本を読んで深く理解できた気がします。

ここまで深く思考しないと創造を探究したとはいえません。なので自分の研究テーマはやはり、つくっておわりではなく、つくったことで何を考え学んだか?という省察が不可欠なのだと、想いをあらためました。

今日はここまでです。


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デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。