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なぜ外国語の習得は難しいのか?(認知学習論)
大学院で学ぶ「学習のデザイン」今回は言葉の学び方について、人はどのように認知して学習するかを、いくつかのキーワードから整理してみます。
即時マッピング
学校で勉強しなくても、子どもは言葉を自然に覚えます。1-2歳くらいに語彙爆発が起こり、1日に6-8語を覚えていくそうです。
例えば「くるま」を覚えるときは、親から1-2回教えてもらうと、次に新しいうさぎが出てきても「これもくるまだ」と認知できます。このように1つの事例から他にも適用して推論することを "即時マッピング" といいます。
人は言葉だけでなく、人の表情・視線・状況などからも読み取ります。いろいろな乗り物がいるなかで、どれがくるまか?乗り物は人にとってどういう存在なんだろう、といったことを理解します。
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レキシコン
このマッピングを使うときに、レキシコンというものが活躍します。レキシコンとは、人が心の中に持っている辞書のようなもので、いろんな類似性から意味のつながりをつくって判断をします。
知覚レベルの類似性:色・形・おおきさなど
全体的な類似性:車といえば〜(大きい、乗り物など)
日常的な連合や連想による類似性:車 → ガソリン、トラック・事故など
抽象的な構造の類似性:車輪駆動・運転する機械など
子どもは、まだ知らないものを推論するとき、類似性を手掛かりにして知ります。その中でも、まずは形状が似ているものに着目します。例えば4つのタイヤがついている乗り物と動物は近いものとして推論します。これを形状類似性バイアスといいます。
一方で3歳以下の子どもは「くるま」と「トラック」の2つを1つの対象に含める思考はしないそうです。これは相互排他的バイアスといい、成長するにあたって、関係性を理解してバイアスがなくなります。
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意味地図
レキシコンは辞書のようではあるけど、1語がそれぞれ独立していて検索する紙の辞書とは違います。ある言葉は他の言葉と関係しているつながりも含まれています。成長に応じて相互排他性バイアスがなくなり、つながりの関係性(ネットワーク)が深まっていきます。
ここから言えるのは、言葉の学習は1語の意味を知るだけでは不十分ということです。
例えば「壊れる」という言葉を日本語で使う場合、いろいろなニュアンスが含まれていたり、対象によって壊れ方が違ったり、壊れることに対する感情などの意味がともないます。これを意味地図といいます。
ここで外国語学習の話になります。なぜ外国語を覚えるのが難しいかというと、認知学習の観点からは大きく2つのことが言えます。
1つめは言葉を意味地図ではなく機能として覚えようとするからです。英語の勉強をするとき、ほとんどの人は日本語の「壊れる」と英語の「Break」は100%同じ意味であるか?までは深めずに、訳として覚えます。限定的な意思疎通をする場合なら問題はないけど、深いコミュニケーションを図るときには難しさが生じます。
2つめは母語の意味地図を無意識に外国語に適用しようとするからです。日本人の多くは英語を話すときに日本語⇄英語の変換を意識して、意味地図として母語の日本語を使います。この活用をしていると日本語の応用にとどまるので深く英語を扱えるようにはなっていません。
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バイリンガルの人で日本語と外国語では人格が違う、と感じた経験を持つ人がいるかもしれませんが、これは日本語と外国語でそれぞれ形成している意味地図が違っているからなのでしょうか。
Less is More
外国語の学習は早い方がよい(Less is More)のか?という議論は常に出てきます。結論をいうと、早ければ早いほどよいです。
ただし注釈付きです。教育的によいのではなくネイティブの言語パフォーマンスに到達する意味であって、むしろ言語パフォーマンスを習得するという点では母語をしっかりと養うことが大事とされています。
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僕自身の子育ての経験では、子どもが小さいときに話す英語はネイティブの発音と同等でしたが、大きくなると日本語英語になりました。おそらく小さいときは英語での意味地図が形成されていたからだと思います。(英語の意味地図を維持させないと定着しない)
人から聞いた話では、2つの言語がどちらも中途半端な習得レベルだと、難しい本を読むことができない問題にぶつかるのだそうです。両親がそれぞれ異なる言語を使うような環境なら自然に吸収できるとは思うけど、無理に学ばせることは機能を超えた言葉の習得面では問題です。
学んだこと
あらためて、言葉って誰に教わったわけでもないのに、無意識的に自然に蓄積できている超効果的な学び方だと言えます。
逆にいまの学校教育の多くは、不自然な学びが多いとも言えます。
いま社会は、知識の蓄積はAIに任せて、知識を活用することを人に求めています。でも意味地図が形成されないレキシコンは不完全なので、知識の活用にはつながりません。
言葉の習得方法から、学校の学び方を根本的に見直すヒントがあるのではないかと思いました。
今日はここまでです。
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