柳宗悦さんは民藝という概念を世界に教えた:学習のデザイン18
学習のデザイン11人目は、柳宗悦さんです。
このような人です
明治・大正・昭和にかけて活動した、宗教哲学者・美術評論家・蒐集家、思想家であり、「民藝」を世に浸透させた人として有名です。
このように書くと難しく感じてしまいますが、現代風の言葉で例えるなら、キュレーター、コレクター、インフルエンサー、マイブーマー(?)といった肩書きが適しているのかもしれません。
雰囲気が真逆なので誤解を与えるかもしれませんが、僕はみうらじゅんの先駆け的な存在だと思っています。これから読んでもらう内容と、みうらじゅんの「ない仕事の作り方」を読むと、2人のすごさが分かるはずです。
ちなみに、息子の1人の柳宗理さんは戦後工業デザインのパイオニアとして活躍した方で、デザイナーで知らない人はいません。父と息子の関係については、最後の方でまた触れます。
ここから彼の生い立ちを見ていきたいと思います。
ゼロからつくりだす人生
昔の本は内容が難しいと感じる人は多いと思います。そんなときに、昨年出たこの本はとても分かりやすいので、入門書としてオススメです。
生い立ちを要約します。
生まれは明治22年。秀才であり哲学や宗教学を専攻。学生時代に武者小路実篤なども名を連ねる同人誌「白樺」を創刊。語学も堪能。イギリスの陶芸家バーナード・リーチと交流を深めたり、ゴッホやロダンの作品を日本に紹介するためのやりとりも行なった。
当時は、日本が朝鮮に侵攻していた時代でもあり、朝鮮の白磁器・仏像・建築の美しさを知り保護運動活動を行い、現地に民族博物館も建てる。
関東大震災の後は京都に移り教師で生計を立てる一方、陶芸家の河井寛次郎や濱田庄司と工芸ギルドを結成し、民藝の概念を生み出し、各地域の優れた民藝品を集めては展覧会などを行う。
民藝活動が海外にも知れ渡り、ヨーロッパとアメリカを訪問し授業も行う。帰国後は東京に現在もある日本民藝館を開館する。第二次世界大戦の前後は、東北、北海道のアイヌ文化、沖縄の琉球文化、台湾などをめぐる。
晩年は宗教哲学に向き合い、昭和36年に生涯を終える。
なんとすごい人生なのか。
なにがすごいかって、この職業もマーケットも何も確立してない時代です。それを自ら見つけて切り開き、仲間を集めて活動を広げて、現代に定着した概念をつくりだしています。(ほら、みうらじゅんっぽくないですか?)
さて、ここでは柳宗悦の教育という点に着目してみたいと思います。
民藝を教える
大家や王族のための美術品の知識ではなく、自身の眼探索した結果、ロダンやゴッホのような1人の純粋な創作であったり、生活の中で生み出される実用品にこそ、本当の美しさがあることに気づきます。(ここでの民藝とみやげもので売っている民芸品とは別物です)
この考えをまとめた本がこちらになります。
まず、民藝をこのように定義しています。
本の中で柳宗悦は、民藝の美しさが認められていないこと、貴族的な美術品が不当な過信を受けている、真に美しいほとんどすべての作は無銘品である、といった点から民藝を提唱する必要があると考えます。
もともと宗教哲学が土台にある柳宗悦は、単に美術品の価値としてではなく、社会や生活のあり方につながることも言及します。
柳宗悦は、民藝品を集め仲間も増やして活動を広めていきました。それも大きな意味で1つの教育ですが、アメリカから招待を受けて数ヶ月教師をしていた経験もあります。次はそこをみていきましょう。
外国で民藝を教える
こちらは、アメリカで講義をしたときの内容です。
新渡戸稲造の武士道が出版されたのは1899年、その30年後の話です。サムライは特徴的なので海外から注目されていたでしょうが、民藝は日本のみならずどの国でも存在が認知されていない概念です。にも関わらず、学生を興奮させる授業とはいったいどんな内容だったのか、気になります。
1つ言えるのは、知識を与えるだけではなく、学生がまだ気づいていないものごとの見方や考え方を教えることこそが、教育にとっては欠かせないということです。
そして、民藝思想はカタチを変えて、現代にも生き続け世界中に伝わっています。息子である工業デザイナーの柳宗理がこれを継承しています。
工業製品と民藝
柳宗理は戦後を代表する、バタフライチェアなどで世界的に有名な工業デザイナーです。
工業製品と民藝は一見すると相反するような領域ですが、柳宗理は、アノニマス・デザインという概念を提唱し、民藝に限らない「日用品の美」を現代に啓蒙しました。
例えば、野球ボールは誰がデザインしたのかわからないけど、合理的なつくり方と縫い目の美しさが共存しています。このようなモノに対してデザイナーがおいそれと違うカタチをデザインするのは冒涜ともいえるほど、時代に影響を受けない美しい工業製品です。
柳宗理が提唱するアノニマス・デザインは、深澤直人やジャスパー・モリソンなどのデザイナーに継承されており、民藝思想は現代の工業デザインにもしっかりと根付いています。
民藝の教えは、海を越え、時代を超えて、生き続けています。
学んだこと
教育は、短期的な知識ではなく、長い目で学びになることが大事であることを考えさせられました。
以前、僕が大学の共同研究に関わっていた時です。先生の指導はプロのデザイナーでも難しい内容だったので、授業のあとに「先生、あれは学生にはまだ分からないですよ」と言ったところ、先生は
といっていたことが印象的でした。そうだ、教育とはそうあるべきだと改めて思います。
究極的には柳宗悦のように、100年後に生かされる教育、海を超えて世界に伝わる教育、それは何なのか。また、そのときにデザインが何に役立つのかを考るきっかけを学びました。
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デザインとビジネスをつなぐストラテジーをお絵描きしながら楽しく勉強していきたいと思っています。興味もっていただいてとても嬉しく思っています。