フードドライブのデザイン +
近くの食品スーパーに設置されていました。貴方も見掛けたことはありますか?
『もったいない運動』はようやく身近になってきた、という一例でしょうか🤔
物を粗末にしない志向としては賛成です👍
でも、個人的心象として、この現場・実物を目の当たりにし、なんだかスッキリしないのです(~_~;)
※こんな風だと、『フードドライブ』という概念どころか用語自体を知らない人が戸惑うかもしれないから、という着眼ではないですよ☝
誰が、何を、どんな気持ちで、ここに入れることになるのか・・・
想像してみたことはありますか?
あるいは、貴方ご自身が、入れたことありますか?
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この実物例では、(他の所に詳しく説明書きがあるのかもしれませんが、)シンプルな記載のみとなっています。
「どのような経緯の物を入れるのか」について、ここに明示された以上の細かい定義は不要だ、という見方でも構わないようにも思えます。
※とは言え、「それ、考えすぎ😒」と思われる覚悟の上で、ですが、『第二の災害』の概念も想起されます
他のところで『フードドライブ』についての記述を見てみると、【仏事や法要の際の菓子、旅行のお土産品として、など頂き物】が例として示されることがあるように思います。
気持ち的に「頂いておきながら・・・」という点が気にはなりますが、食品の場合には《好み》という要素が大きく関わってくるわけで、”口に合わない”のに無理に食べるのもどうかと思いつつ、そのまま放置して傷んでしまって… がベストだとは到底思えないですよね?
話は戻りますが、当方を含んだ一般生活者由来の場合、そういった経緯のアイテムが”好適品”になるのだと思います。
逆に言うと、「かなり少ない」レアな事例(アイテム)ではないでしょうか。つまり、例えば我が家など、そういうものは無い!のです('◇')ゞ
また、当方の周辺には居ないのですが、過激思想(?)の持ち主だと、「いや、それでも何かを持ち寄るのが『フードドライブ』だ!思いやりの心であり、社会の輪・良心のネットワークなのだ」と叫んでいるかもしれません😨
他方で(そのような強硬なはたらきかけを受けたことがきっかけではなくて)自発的に、「こういうものを必要としている人が世の中には居るんだな🤔」と、自分の生活内の日常消費品からの一部を、配慮心と志でもって供出しようとするスタンスの人も多少いるような気がします。
※これ以上の明確な語を用いて文脈を作るのは差し控えたく思う点、ご賢察願います🙏
「供出者の深層心理の本音や経緯なんて、どうでもいいじゃないか!」という評価が誤りだとは思いません。
ただ、せっかくの取り組みなので、「それでいいの?🤔」「活動主旨に合っているの?」の軸がずれてしまうことで、それの価値や中長期的な存続性、仕組みの本質、などといったものが変質してしまうようで気になりました😵
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誰が、何を、どんな気持ちで、ここに入れることになるのか・・・
という命題に戻ります。
※あくまで、単なる一消費者/流通業の素人 の立場としての「考える」をしてみた結果に基づく言及です✍
「売れ残り」を抱えることになってしまった小規模小売業者(と一部の卸)がメインの参画者になるのでは?
上述内容の流れも汲むと、この活動はむしろ、心象土台としては
ドライであることが要件
であるようにも思えるのです🤔
※〔生鮮品〕の対義語としての〔ドライ〕ではないですよ💦
また、『3分の1ルール』に対し、撤廃すべきとの極端な指向概念を抱いているわけでもありません🙅
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*** 廃棄するくらいなら『フードドライブ』に ***
という捉え方の”深さ”がちょうどよいのでは?という本質思考についての提起でした。
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