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教養について プラトンとイソクラテスの比較

今日の話は教養についてである。教養のことを英語でcultureというが、初めてこのことを知った時は意外に思った。「文化じゃないの?」という風に。
この疑問はcultureがagriculture(農業)やcultivate(耕す)と同根の言葉であることに思い至れば解決する。つまり、これらの言葉はもともと土地や作物を豊かにすること、実らせることを意味した。そこから転じて精神や人生を豊かにするものとして「教養」の意が生じた。このように解すれば一応の説明はつくだろう。オマケで「ラテン語のcultūraが語源だよ」という一言を添えれば、少しは気の利いた解答になる。

だがこれから話すのはcultūraというよりもpaideiaについてである。
廣川洋一『ギリシア人の教育――教養とはなにか――』(岩波新書)を読んだ。本書の主題は副題にもある通り「教養とはなにか」である。この問いを巡り、本書では教養理念の源流をなすものとして古代ギリシアの思想が分析され、とりわけ後世に影響を与えた二大源泉としてプラトンとイソクラテスの教養理念が問題となる。
本書を参考にしながら、本稿ではプラトンとイソクラテスの教養理念を整理しようと思う。探究の導入としてまずは「一般教養」といったときの「一般性」について考えてみよう。

1.専門知識と一般教養

教養という言葉を日本語で使う場合、たとえば「一般教養」とか「基礎教養」とかいう場合がある。これに対して「特殊教養」とか「応用教養」とかいう言い方はあまり耳にしない。言葉遊びのようだが、こうした言語使用の差異の中に教養の意味が隠れているように思う。
「特殊」や「応用」は教養という言葉を修飾するのに相応しくない。そう感じるのはなぜだろうか。これは主観的な言語感覚に過ぎないようで、その淵源の一つをプラトンに認めることができる。
プラトンは『法律』(1.643D-644A)において、「仕事の才覚」と「徳を目指した教育」とを区別している。簡単に説明すると「仕事の才覚」とは商いの知識や航海術のような具体的な職業上の知識・技能のことを、「徳を目指した教育」とはポリスにおける理想的な市民への教育のことを意味しており、プラトン(作中ではアテナイからの客人)は両者を区別し、後者を真の教育とみなしている。これを踏まえて廣川は以下のように解説する。

ここには、まず何よりも、商人の術や航海の技術に長けたことをもって、ただちに教育ある・・・・とは呼ばないという考え、いいかえれば職業的専門教育を真の意味での教育、人間教育とはみなさないとする見解が表明されている。もろもろの領域において限られた・・・・特殊な・・・専門的職業上の才覚から区別された一般・・教養・教育こそ、人間教育というにふさわしい。

『ギリシア人の教育』13頁

要するに、真の教育とは人間存在の全体に関わるような一般性を志向するということだ。説明を重ねると、たとえば大工は建築術を知っており、医者は医術を知っているが、そうした職業上の知識はある特定の仕事のための知識であり、人間一般に関わる知識ではない。プラトンが考えている真の教育とは、人間一般に関わる知識の方であり、ここに専門知識と一般教養との区別を見出すことができる。
教養とは専門家が修める高度で限定された知識ではなく、広く人間に関わるものである。教養という言葉が「特殊」や「応用」という言葉で修飾できないという感覚も、プラトン的な教養観の延長上にあるといえるだろう。
ところで、プラトンは教養を徳の問題として考えているわけだが、その内実はいかなるものだろうか。次は彼の教養理念について徳との関係から考えていこう。

2.プラトンの教養理念

徳と教養との関係を考える上で、今度は『ソピステス』(228D-229A)の議論を参照してみよう。ここでは身体の欠陥には病気と醜さの二種類があるという話を前提として、そこから類比的に魂の欠陥について語られる。
魂の欠陥にも二種類がある。一つは悪徳であり、もう一つは無知である。悪徳とは魂の病気・内乱と考えられており、これに対処するための知識として懲戒の技術(kolastikē)が挙げられている。そして無知とは魂の醜さと考えられており、これに対処するための知識として教授する技術(didaskalikē)が挙げられている。
無知についてもう少し詳しくみていこう。『ソピステス』では無知にも二種類があると続く(229C)。一つは「単純な無知」であり、これは職業的専門技術に対する無知である。『法律』の議論を援用すれば「単純な無知」とは「仕事の才覚」がないということだ。
もう一つの無知は「大きくて厄介なもの」と呼ばれ、これは「知らないのに知っていると思いこむこと」である。魂におけるより深刻な欠陥はこの「知らないのに知っていると思いこむこと」、いうなれば「無知の無知(無自覚)」であるわけだが、こうした無知に対処するものが教育・教養(paideia)であることが確認される。
一度まとめると、教養とは人間を無知から救うものであり、無知からの自由は魂を美しく保つために必要であると考えられている、ということになる(さながら身体を美しく保つために体育術が必要とされるように)。

では、教養は「知らないのに知っていると思いこむ」状態からどのようにして人間を助けてくれるのだろうか。それは論駁・吟味(elenchos)によってである。『ソピステス』(230BC)によれば、論駁とは問いかけることによって相手の自己矛盾を暴き出す行為である。反対意見をぶつければよいというわけではなく、相手の立場から矛盾を引き出すというのがポイントだ。ソクラテスの問答法をイメージしてもらえればわかりやすいだろう。また論駁は浄化とも考えられており、無教育という醜さ・汚れを浄める行為であると考えられている(230DE)。この点で、論駁は教育方法の一つでもあるといえるだろう。
人間は教養によって無知に対処し、その実践として論駁が考えられている。ではより具体的に、論駁とは何についての無知を暴くものなのか。「知らないのに知っていると思いこむ」というとき、何についての「思い込み」がエレンコスの対象となるのかというと、これが徳の問題となるわけである。
徳とはそれ自体プラトン哲学における大きなテーマだ。教養との関連で考えるとき、徳とは人間の無知における淵源、教養によって吟味されるべき第一義的対象であるといえよう。徳が吟味の対象として第一義的であるのは、それが「善美なことがら(kalon kagathon)」、「大切なことがら(ta megista)」だからであり、徳と教養との関係を廣川は以下のようにまとめている。

教養・・がプラトンにおいて、少なくともその基本的な意義として、「大切なことがらについての無知の無自覚」を論駁・・によって打破する営みとされたことは、この問題を追ってきた私たちにとって意味深いものがあるように思われる。それは、「大切なことがら」についての知をめぐる、自己吟味の能力、自分自身を「大切なことがら」にかんして吟味しうる批判能力であるともいえるのである。

『ギリシア人の教育』91頁

確かに、教養は他人の無知を暴き出す力をもっている。だがむしろ、教養の本領とは自己吟味において発揮されるといえよう。換言すれば、誰かを論駁するとき、自分自身も論駁の俎上にのせられているということだ。なんだかニーチェのパチモンのような言い方になったが、こうした自己吟味の能力としての教養も「教養とはなにか」という問いへの一つの解答となるだろう。

3.イソクラテスの教養理念

『ギリシア人の教育』ではプラトンと双璧をなす教養理念の源泉としてイソクラテスの思想が解説されている。イソクラテスのことはよく知らないという方もいると思うので(私がそうだ)、まずは簡単な彼の人物紹介から話を始めよう。
イソクラテス(前436年~前338年)はアテナイで活躍した弁論家・修辞学者である。プラトンと同時代の人であり、イソクラテスの方が9歳年上だ。弁論家としてはゴルギアスに師事している。廣川はイソクラテスの文体について、師匠譲りの美しい文体に日常言語を組み合わせることによって、特色と品位を備えた新たな言語世界を創造したという評価を与えている(138頁)。
修業時代を終えたイソクラテスは十年ほどの間(推定で前403~前391年ごろ)は裁判法廷の演説つくりをする法廷弁論代作人ロゴグラポスの仕事をして生計を立てていた。ちなみにソクラテスの刑死はこの頃(前399年)であり、彼の死をイソクラテスは「度を越えて嘆き悲しみ、翌日彼は黒衣をまとって現れた」と記す古伝がある(139頁)。
前390年頃に、イソクラテスはアテナイに弁論・修辞の学校を設立した。廣川によれば「この学校は、一定の理念のもとで一定の場所において高等教育が授けられたという意味で、おそらくこの二、三年後に開設されたプラトンの学園アカデメイアとともにギリシア世界における最初の高等教育機関であった」(142頁)。古代ギリシアの学校というと、アカデメイアの他にもリュケイオンやエピクロスの園などが思い浮かぶが、これらに先立ってイソクラテスの学校が存在していたことは歴史の知識として記憶しておくべきであろう。

人物紹介はこの程度にして、ここからはイソクラテスの教養理念についてみていこう。最晩年に書かれた『パンアテナイア祭演説』という論説の中で、イソクラテスは「いかなる人をもって教養ある人と呼ぶべきであろうか」(30)という問いに四つの観点から答えている。簡潔にまとめると、それは第一に、好機を捉えて多くの場合に有益な策を得ることのできるドクサ(健全な判断・意見)をもつ人々。第二に、仲間たちと節度をもって交際する人々。第三に、快楽を支配し不幸に際してもそれを耐えうる人々。第四に、偶運による成功に驕らず自己自身を保つ人々。以上の四点である。
思慮や節制といった諸徳との関連において教養が語られていることが理解できるが、ここで目を引くのはドクサ(doxa)への積極的な評価である。ドクサは「臆見」や「思い込み」のようにネガティヴな意味合いで訳されることもあり、しばしばエピステーメー(epistēmē、学知)と対比される。たとえば先にプラトンの箇所で述べた「知らないのに知っていると思いこむ・・・・こと」はドクサである。プラトン哲学の文脈では、ドクサとは無根拠で蓋然的な(ゆえに真でも偽でもありうる)思い込みと捉えられがちだが、イソクラテスの場合ドクサは「多くの場合に(hōs epi to polu)」有益であるようなもの、蓋然的ではあるが基本的に役に立つものと考えられている。こうしたドクサをめぐる考え方の中に、プラトンとイソクラテスとの端的な相違が見て取れるだろう。

話を教養に戻そう。イソクラテスは上述したような実践的諸徳をそなえた人物を教養人と考えており、その教養の内実とは必然性に基づく厳密な学問知ではなく、「多くの場合に」有益なドクサである。この点から、彼が理論知よりも実践知を優位にみていたと考えてよいだろう。しかし「多くの場合に」なんて曖昧な言い方で教養を規定してよいのだろうかとも思ってしまう。この点について、もう少しイソクラテスの考えをみていこう。

そもそもイソクラテスは常に真であるような必然的真理を人間本性にとって埒外のものであると考えていたようだ(『平和について』〔35〕、『アンティドシス』〔271〕)。役に立たない事柄への厳密な知識よりも有益なドクサの方がすぐれている(『ヘレネ頌』〔5〕)という考え方は彼の実際家としての顔を窺わせる。だがドクサの重視は「ありそうなことがら」を分別する能力を要請するものであり、ここに思慮(phronēsis)の必要性が認められる。
イソクラテスにとっての思慮とは、実生活における多様なことがらについて都度判断する能力であり、彼はこの能力においてギリシア民族がバルバロイに優越していると考えていた。そしてこの思慮とセットで語られるのが言論である。後期作品の『アンティドシス』(255)では、立派に語ることは立派に思慮することのしるし・・・(sēmeion)であると語られており、ここからイソクラテスが思慮を言論の基礎とみなしていたことが理解できる。
言論についてもう少し説明を加えよう。ソフィストは一般に「立派に語ること(to legein eu)」を重んじるが、イソクラテスは「立派に思慮すること(to phronein eu)」との連携のもとで「立派に語ること」を重視している。彼は言論活動における倫理的責任を自覚していた。廣川はイソクラテスの言論が有する倫理的性格に関して、その影響の源がソクラテスにあると指摘しており(139-141頁 ; 176-180頁)、いうなれば、イソクラテスにとっては弁論家としての技術の師がゴルギアスであり、愛知者ピロソポスとしての魂の師がソクラテスであった。

イソクラテスの教養観は彼の哲学観にも反映されている。『アンティドシス』(266 ; 285)では理論のための理論であるような哲学の在り方が批判され、「今現在において役立つ」、「家と国家を立派に治める学」としての哲学が要請されている。彼が重視するのは時間や場所を問わず普遍的に妥当するエピステーメーではなく、今自分たちが生きている国をよくするためのドクサなのだ。イソクラテスの教養観・哲学観について、廣川は以下のようにまとめている。

人間の生き方、行為行動にかんしては、ではない・・、人間的教養としてのピロソピアーこそ正しくまた有益であるという明確なイソクラテスの主張は、人間の生き方・行為にかんしても、いな、人間の生き方こそ・・ただあの厳密な学のみ・・・が正しく有益であるとするプラトン・アカデメイア的主張とともに、これ以後の思想の歴史のなかでたがいに拮抗しながら、外的な姿や形を変えながらも強力に存続し続けていくのである。

『ギリシア人の教育』164頁

4.まとめ

プラトンとイソクラテスの教養理念をめぐり色々と考えてきた。今日の探究を簡単にまとめてみよう。
最初にプラトンの『法律』を参考にしながら、教養とは人間一般に関わる知識であると規定した。職業的な専門知識とは区別される、一般・・教養こそが教養の名に相応しいのであり、こうした区別は現代の教養観の源流をなすものである。
次に『ソピステス』を参考にしながら、教養とは無知に対処するための術でもあると考えた。この場合の無知とは「徳について知らないのに知っていると思いこむ」ことであり、教養はこうした無知を論駁エレンコスによって是正することを目指す。ただし、教養によって何よりも吟味されるべきなのは自分自身の無知である。
最後にイソクラテスの諸論説をみながら、彼の考える教養理念が理論的認識に基づくエピステーメーではなく、蓋然的に有効なドクサであることを確認した。その実践は思慮と言論によるものであり、国家社会のために役に立つ知識として教養(および哲学)が考えられている。
プラトンとイソクラテスとにおける教養理念の相違は、知としての教養を必然的理論知とみなしたか蓋然的実践知とみなしたかにある。だが、両者ともに教養が広く人間に関わる善きもの、徳を目指している点、また、このとき人間はポリスにおける市民として考えられている点は共通している。それゆえに、教養とは哲学の問題となり、その実践philosopheinであるといえるだろう。

難しいことを考えるときは、考えることをなるべく限定した方がよい。だが今回は広い話ができるように努めた。教養とは広さを志向するから……というのは冗談で、『ギリシア人の教育』が面白くて、たくさん話をしたかっただけである。
とはいっても、本稿で説明しきれなかった点もある。プラトンの徳を調和とみなす議論などは特に書けていない。これは本書第二章「プラトンの教養理念」第二節「不調和としての無知に向って」で詳しく論じられており、『国家』における教育論が主題となる。特に音楽・文芸《ムウシケー》に関する議論などは興味のある方も多そうで、大事な話だが、うまくまとめられなかった。

そんな私が言っても説得力に欠けるが『ギリシア人の教育』はお得な本である。まず、プラトンの徳論について広く学ぶことができる。本書では様々な著作の具体的な引用が示されながら、その解説がされている。読者は本書を読んで、気になった特定のプラトン作品へと学習を進めていくことができるだろう。
また、イソクラテスについて新書で学べる本というのはレアである。初学者へ向けたプラトンの解説書は優れたものが多数存在する。だが、古代ギリシアにおける特定の弁論家についての解説となると、専門的な本にまで手を伸ばさないと中々お目にかかれない。
新書なのでコンパクトで読みやすく、更に巻末には索引まで付いており、至れり尽くせりの本なのだ。2025年現在、古本屋か図書館でしか本書にアクセスする術はないと思うが、好機があれば一読を推奨する。好機(kairos)を逃さぬのが教養人であるのだから。

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