20代は少しわがままに生きようと思うんだ
中学や高校の卒アルには、友人に自由にメッセージを書いてもらうスペースがある。僕の場合、そこにはよく次のようなことが書かれていた。
「〇〇(僕の名前)はいいやつだった!」
自分で言うのも何だが、これは結構的を得ていたと思う。
僕は昔から、自分以外の誰かが不利益を被ることをひどく嫌っていたため、自分の意見より周りの意見を優先することが多かった。
他者に迷惑をかけたくないと思うがために、常に周りの期待に応えようと動いていた。
そうした僕の姿が、みんなの目には"いい人"として映ったんだろう。
また、当時の僕はみんなにそう捉えられることを嬉しく思っていた。"いい人"であることに誇りを持っていたし、このアイデンティティを永続的に保持し続けたいと思っていた。
人生を変える気付き
しかし、永松茂久さんの『20代を無難に生きるな』という本を読んで気付いた。
"いい人"って決して褒め言葉じゃない。
この本の中に、次のような文章がある。
多くの場合、いい人とは
「自分にとって都合のいい人」
はっとさせられた。
僕は"いい人"であることを自分のアイデンティティだと思っていた。
しかし、実はそれは一部の人の主観的な基準で決めた"いい人"でしかなく、同時に僕自身にとっての"いい人"であるわけではなかった。
そして、僕はあまりにも他者にとっての"いい人"を演じ過ぎており、自分自身の人生を生きられていなかったと気づいた。
そして、これからは自分にとっての"いい人"で生きようと決意した。
具体的には、
・まわりの顔色を伺いすぎない
・周りの期待に振り回されない
・全員に愛されようとしない
といったことを意識して生きるようにした。
するとどうだろう。
自分でもびっくりするくらい生きやすくなった。
自分らしい道を進めるようになった。
自分の個性が見え始めた。
自分にとっての"いい人"になれた。
というわけで、僕の人生はこの本に大きく影響を受けた。筆者の永松さんには、感謝してもしきれないです。本当にありがとうございます。
離れる友達、残る親友
さて、ここからは筆者ではなく僕の持論です。
ここまで読んでいただいた皆さん、次のような疑問が生じませんでしたか?
誰かにとっての"いい人"を卒業し、自分にとっての"いい人"になった時、周りの人は離れていってしまうんじゃないか?
僕が思うに、これは半分は正解で半分は不正解です。
たしかに、ありのままの僕を出すと、僕から離れていってしまう人もいました。
しかし一方で、ありのままの僕を愛してくれる友人もたくさんいました。
これはなぜかというと、後者の彼らの場合、僕にとっての"いい人"が、彼らにとっても同様に"いい人"だったのです。
もっと言えば、どんな僕も、彼らにとっては"いい人"だったのです。
この頃から僕は、着飾らないと向き合えない前者のような人ではなく、どんな自分も愛してくれる後者のような人との付き合いを大事にしていこうと決めた。
多くの友人はいらない。
ただ、自分の理解者である親友がいればいい。