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それは、本当に「良い場」だったのか?

最近のワークショップの現場で、「参加者が楽しんで対話してましたね!良い場でしたね。」とキラキラしながら言われることがあり
「参加者が楽しく対話してれば良い場ということになりますか?」
と質問したら、びっくりされて、むしろそのことにびっくりしたので、今の気持ちを少し記録することにしました。今から書くことが正しいと思っているわけではないし、場によって必要とされることも変わるので、現時点、今の私が見えていることからのハーベスト(記録)です。


「良かった」とか「豊かな場」だったかを決めるのは参加者

どのように自分のしたことを評価するのかを少し。前提として、「楽しい場」だったということと、「目標を達成したのか」は別だと考えています。当たり前のことを書いていて何のこっちゃと思われるかもしれないけれど、ここのところを意外と「良い場だった」とか「盛り上がった」といった表現でうやむやにされることがあると感じていたので、改めて。

自分で自分の関わった場自体を、漠然と称賛することはほとんどありません。メンバーとの連携・共創、参加者のあり方などを褒め称えることはあっても。「よかったー」と思う人は声を出しますが、しんどかった人や、あまり学びも気づきもなかったな、という人は「声を出さない」。でも、ついつい、人間は聞きたい声だけを聞いて、聞きたくないこと(実際に聴こえてないので余計に)には耳を傾けないので、主催者やファシリテーターはかなり気をつけないといけないと感じています。

特にグラフィックレコーディングの時は、話し手が「わたしそんな風に話したつもりないんだけど」や、主催者が「こんな風に描いて欲しかったわけじゃないんだけど」と思いながらも、言えないケース。描きてが楽しく描いているから…もしくはボランティアできくれた人だから…言えない・言いづらい。その場の目的、ニーズとはずれているグラフィックでも、描き手がそのことに気づかないとそのままになることは多いです。

と言いながら、チキンハートの私は「聞きたくないことには耳に蓋」タイプだと自覚しているので、必ず運営メンバーと振返りをします。もしくは、率直に意見を言ってくれる信頼している人に参加者としてそこに入ってもらうこともあります。多くの目で客観的に「何が起きていたか」という事実を出し合い、場で起きたことを立体的に見ておくこと。それぞれから見て「どう見えていたか」「どう感じたか」を話します。このような多様な声を「場の目的/目標に対してそれは達成されていたか」を評価するヒント、次につなげる参考にしています。ちなみに私はKDAで振り返ることが多いです。

Keep ー よかったこと・続けたいこと
Discard ー 手放したいこと
Add ー 改善したいこと

よかったこと、続けたいことはそのままですが、よくあるのが、長期的に関わる関係の中で進むコミュニティや、連続したプロジェクトを進めていると、やることがどんどん増えていって負担になっていくケース。個人的にDiscardは大切にしています。「良いけど、手放していいんじゃない」は、どんどんとメンバー自体が必要のないことを手放していけて、あいた余白にさらに必要なことが舞い込んできたり、アイデアが生まれます。

また、ファシリテーターとして自分一人の場合も、できるだけ依頼者の方と振り返りをします。その他にも、長期プロジェクトで、メンバーの関係性が近くなり話すことがパターン化してきた時には、アプレンティス(修行中、勉強中)の方にサポートとして入ってもらいながら、自分ではない目線から意見をもらうようにしています。

一回で達成される目的の方が少ない

限られた数時間の中で、全員が自分ごとになって自己組織化して動き出す場づくりは不可能なのかもしれません。2時間で人が変わるなら、きっと私が生まれる前から社会はすでに優しい社会になっているんじゃないかな。とはいえ、それを未来のために何もしない言い訳にはしたくない。

「一回で達成される目的の方が少ない」と考えてみると、できるだけ連続した場づくりをしたくなります。もしくは、一回しか集まれないワークショップでも、事前に仕掛けをしたり、終わった後にも何かを残すことで、可能性を広げる視点が持てます。昨今、オンライン化が進んで、一回の企画の前後にそういった、仕掛けがしやすくなったのはすごくいいなと感じています。

例えば…
事前作戦会議と称して一部の参加者には、事前の企画段階の会議から入ってもらうとか、その会議を何回か開くことで、自分ごと化しやすくなり、多くの人を巻き込むこともできます。参加者の何人かにはヒアリングと称して、当日に向けてのその人自身の言葉で意味づけをするための壁打ちをする時間をとったり。事後も同様。

時間もかかるし準備も必要になりますが、一回の楽しかったー!→はい、忙しさの中で忘れていく。といったことになる可能性は少し減ると感じています。

自分ごとになるタイミングは人それぞれ

「自分ごと」という言葉をよく耳にします。どんな場であっても、「参加者が、その場で起きること、考えることを自分ごと化するプログラムデザインになっているか」どうかは必ずチェックすることの一つです。他人事で無責任な人が集まっても、本当に必要な話し合いのために、問いに向かって心を込めて対話することができないからです。

人によって、連続した8回のうち、はじめから自分ごとの人もいれば、8回目の最後の最後に自分ごとにグッとなって「変容」を起こす人もいる。意外と、そういう、会の大部分でずっとクレーム言う側だったり、何も言わないように見えていた人の変容が、場にとってパワフルだったりする。そんなパワフルな変容が起こるためには、その場にいる一人ひとりが「自分のペースで心地よくいられている」ことが大切だと思います。つまり、心理的安全が担保されている場であることが、とても大事。ちなみに、誤解を恐れずに言うと、運営側やファシリテーターが勝手に「わたしの場は心理的安全が保たれてるから」といっている場ほど、ファシリテーターが無意識にコントロールしていて、参加者自身が話したいことが話せている状態というよりも、ファシリテーター自身が進めやすいファシリテーター節になっているケースが多い気がしています。場の運営としてはそれが一番スムーズだし、すべての場において変容を起こす必要もないから、目的によってはそれは合理的なので、否定してるわけではありません。

未来に必要なことに向かって〜一人の「変容」が周りを変えていく

ここ数年、連続したプロジェクトを中心にお引き受けするようになりました。単発のワークショップの依頼は、未来に必要なテーマの時はお受けするけど、やはり限界を感じるから。場づくりの駆け出し当初、自信のない自分の自己肯定感を支えるために、現場数を数えていた(たぶんもう2000くらい超えている)けれど、今は、現場の回数ではなく、その場で起きることの濃さや、変容に評価をおくようになりました。

グラフィックファシリテーションや、グラフィックレコーディングなどのビジュアライズの技術は、わたしにとって、未来の必要なことに向かってアクションを起こすための一つの手段。今のままでは地球は持続的であることは難しい。だから、関わった人が一人でも未来に必要なことのために「変容」することで、その周りの方にも変容が広がっていく、そんな場を目指しています。自分にできることをするために、必要な場所で、より効果的に使いたいし、そのために技術も最大限磨いていきたいです。そのためには、自分の弱さを受け止めたり、痛いけど人からのフィードバックを受け取ることが必要。それは一日や二日でできることではなくて、練習が必要。そんな練習・実践を続ける日々です。

そんな話でした。

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