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うつ病について⑦(昨日までの積み重ねによる)入れ物としての自己の崩壊、または機能不全

こんにちは、木月まことです。

久しぶりにうつ病についての考察をしたいと思います。

ここでとりあげますのは、生理ですとか、悪天候などで引き起こされる肉体的なうつではなく、心理要因によって起こるうつのはなしになります。

余計なはなしは排して(あとがきにまわして)さっそく本題に入りたいと思います。

わたしが今日現在かなりウツモードなため発見したに過ぎないことなんですが、これは少し私事になってしまうんですが、最近、実はnoteが辛いんです。

noteを書こうとすると、とくに長文を書こうとすると辛くなるんです。

どうしてだろうと考えてみたんです。

まぁ僕も、noteを始めてからちょうど一年半くらい(ですか)になります。

長い方なのか、まだ全然ぺーぺーなのかはよくわかりません。

それはともかく、重くなってしまったんです。

noteが…

最初はやっぱり、それなりの成功を目指してたんです(noteでの成功なのか、noteを足掛かりにした別の成功なのかよくわからないんですけど)

それで、一年半やってきたんですけど

ここ一・二か月、それがかなり疑わしく思えてきたんです。

いえ別に、それが疑わしく思えてきたのは、ここ一・二か月が初めてというわけではもちろんないんです。

今までは、落ち込んでも、疑わしく思えても、それなりに何とか立ち直れたんですけど、今回は、何度エンジンをかけようとしても、いや、かけようとするほど辛くなるんです。

で、ちょっとだけよくなって余裕が出たとき考えてみたんです。

それは何かというと、入れ物としての自己が崩壊したということだと思い至りました。

この入れ物としての自己の崩壊とは、もちろん皮膚が破けて分泌物がでてくるとかじゃなくて、アイデンティティー的な(自分は斯く斯く直直のものであるという意味の)自己というはなしです。アイデンティティー的な自己の崩壊という意味です。

ほとんどの人はそれほど実はその日暮らしでもなく、何かしらのファクターを無意識のうちにでも積み重ねていることが多いと思います。

ただ、その積み重ねている自己は何らかの出来事を契機に瓦解することもあるわけです。

それは、多分ですが、この積み重ねている自己は成就しないという無意識的な予感とでもいえましょう。

成就しない自己…

あるいは、崩壊した自己

たとえば、絶対、東大に受かると思ってたのに、レベルの低い私大に進学することになった。

あるいは、絶対、あの人と結ばれると思ってたのに、それが決定的に怪しくなり、結局、相手は別の人と結婚した。

会社を興し、それなりに成功し美人の奥さんをもらったが、倒産して文無しになった上訴えられ、さらに一家離散した。

オスカー俳優になることを信じて疑わなかったが、気づいてみれば、43歳になってもただのアルバイトだった。

子供のころから優等生で、会社でもエリートコースを歩んでいたが、根も葉もないスキャンダルで失脚し、事実上社会生命を葬り去られた。

ちょっと誇張した、極端な例ばかりを挙げてみましたが、大体こんなもんでしょうか…もっと深刻なはなしもあると思います。

共通してるのは、昨日まで積み上げてきた自己の無効化です。

こうなりますと、昨日までの自己役割を果たそうとするのはもちろん辛くなります。それは、入れ物としての自己がかなり形骸化してしまっているからです。

では、心理的なウツが、こういった積み上げてきた自己の挫折だったとしたら、どうすれば乗り越えられるのでしょう。

対応策はケースbyケースで、事例の数だけあるので、個々の事例で個々別々に考えるしかありませんので、あんまり一般化した答えは出しにくいのですが、昨日までの自己に何らかのムリが生じているのは否めません。

ですが、まず考えられるのは、これまでの自己をやっぱり追求する(先ほどの例でいえば、私大に通いながら一年仮面浪人して東大を目指す)にしろ、まったく新しい自己を模索する(オスカー俳優は諦め、別の道を模索する等)にしろ、状況の許す範囲内でまず一旦休むことでしょう。

ある程度エネルギーが回復したら、ゆる~くでもいいですから、なにかを継続していくことでしょうか。

この、ゆるくても継続(まいにちでなくとも、2週に一ぺんでも、ひと月に一ぺんでも)というのが傷ついた自尊の回復に有効な場合もあります。

このゆるくても継続っていうのは、その人にとって簡単なことで構わないと思います。

それすら難しそうなら、可能な範囲内でやっぱり休むしかないと思います。

今回のはなしは、ウツは入れ物としての自己(昨日まで積み上げてきた)の崩壊だろうというか限界ギリギリだろうということです。


(あとがき)noteライフも一年半あまり続けてきましたが、数字的には成功事例とほど遠いところをウロウロしております。
そんなこんなで、またプライベートとかに関する思わしくないこととかで、最近ウツ気味でしたが、またもやそれを利用してウツの考察をしてみました。
タイトルは、うつ病について⑦となっていますが、この「7」というのは、ウツについての記事はnoteでトータル7記事目ということです(他の6記事は全部、昨年度の有料アーカイブに入っています)
みなさんも、ウツ的な行き詰まりをもしすることがありましたら、noteの記事作成でなくても構わないと思うので、自分にもできそうな何かをゆる~く継続してみてはいかがでしょう。(それもムリなら、状況の許す範囲内で休むことでしょう)
今回の考察で分かったのは、ウツってのは、入れ物としての自己が重くなりすぎて、入れ物に潰されそうな状況です。
まぁ、入れ物も大事かもしれんけど、中身でしょう。
中身だよ中身。
はら減ったから、たい焼きでも食べようかな。
中身だよ。
というところで締めさせていただきます。

御一読、どうもです。

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木月まこと
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