仕事とは何だろうと考えてみる
昼近くに、新聞と食料を買いに、コンビニとスーパーへ行った。
帰り道、鉄骨かなんかを切り裂く音が、キュイ~ンと聞こえてきた
耳をつん裂くような音と、金属を割いたときに生じる独特の甘い(?)臭いがしてきた。
こどものころ住んでいたところでは、この手の作業場や、材木などが積んである仕事場がまわりにいっぱいあった。
それをやりたいか?
いや、やりたくはないし
アラフィフの自分が、いまからそんな職場に入門しても仕方がない
ただ、その仕事場にいる、僕よりは年上に見える作業をしてた人たちにしてみれば、多分だが、そんなに難事というわけでもないのかもしれない
そうすると、ごく普通の人にとっての、仕事とは何なのかが、少し見えてくる気もする。
それは
仕事とは、そんなにやりたくはないけど
その人のアベレージで十分処せることではないか?
政治とかをアベレージなんかでやられたら困る!
それはそうだろう
ただ、庶民の領域における仕事とは、そんなもんではないか?
5人中3人は、おそらく、仕事は、そんなにやりたくないことからしか選べないのでは?
いや、もちろん、こんなはなしは、noteでは特にウケが悪いだろう。
ただ、問題はアベレージで十分処せるかどうかというところで
ここが、今日的問題なのだろう
新卒で、新たな職場に就く人は、大体二通りのパターンに分かれるようだ
学校すらつまんなかったのに、その学校よりつまんない、かつキツイことを、しかも8時間とかやることに唖然として、いわゆる洗礼を受ける人と
割と環境に恵まれて、学校なんかより全然楽しく(?)て、初給料日に、両親に贈り物をするとかだ
学校より楽しくというのは、たとえば、僕は、学校時代、自ら女子にはなしかけたりしなかった。
理由もないし、はなすこともないからだ。
しかし、職場だと、老若男女問わずこちらから接触しないと、どうにもならない場面も出てくる
中国の人とかと仲良くなって、中国語の勉強をすら始めた(いまはやってないけど一応検定4級)
こうした、思わぬ能力の開花や、世界の広がりもある
もちろん、すべては、アベレージで処せる限りという条件があって(繁忙期とかを除けば)
アベレージを大きく超えるシチュエーションで、まわりからの助けがまったくないとか、アベレージを超える状況が恒常的に続くとかだと、ひきこもりになったり、病気や障害を抱えたり、運が悪ければ自殺とかにもつながる
そろそろまとめると
一般の意味での「仕事」は
5人中3人くらいは、そんなにやりたくはないけど
アベレージで十分処せることの中にしか見つからないのかもしれないというのが結論です。
もちろん、大半のことにいえることでしょうが
ローンチ(打ち上げ・軌道に乗せる)の初期時には、それなりの苦労があることが多いですから、最初のうちから、あんまりラクショ続きの職場は、その人のレベルに合ってないのかもしれません。
僕は、大学を挫折して引きこもった人なので、一般的な就活はやってないんですが
高校生や大学生とかのころ、アルバイトの応募の電話(僕は70年代生まれです)をかけるのに、事前に30分くらい念入りに趣味レーションしたりとか、不毛な苦労はありました(その事前シュミレーションが実際に役に立ったことは1度もありませんが)
サービス残業(自主的なもので、今日だとやったほうも責(法的)を問われるのですが)も、ひきこもりから復活して以降結構やりました
仕事にどこにも苦労がないということは、まずないと思うし
一切の苦労がない仕事は、かわりにその人の能力の開花に役立たないでしょう。
特別やりたいというわけではないけど
アベレージで十分処せること
それが一般の人の「仕事」ではないかなんて
その鉄工の作業場の前を通ってから考えました。
(あとがき)
いまは、派遣のバイトとかをやってるんですが
それだけで生計の黒字を実現しようとすると
自分のアベレージ(体力等の)を超えてしまうので
カードローンに依存しつつ
とりあえず、生活保護の申請を考えています
noteは長文でゼロスキが30本以上ありますけど
このくらいのものを書くのは、アベレージでできるかな
いまのところだけど
ご一読ありがとうございました
『仕事とは何だろうと考えてみる』でした。
このテーマはもっと深く考えられそうですが、今日はこの辺で