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日日自炊自足【休みの食事 と 休みのこと】

夫なし。子は独立。
自炊の習慣で自分の必要をみたす、50代ひとり暮らし。アレルギー対策に 油をやめ(家にある油はラー油のみ)、お肉、乳製品、卵、小麦粉、お米や砂糖をなるべく減らした(い)食生活。

「家族のためのご飯」を卒業した献立の記録 と 自分を観察する日記。

金曜日、仕事を終え急いで家に向かう。
自宅に着いて掃除機をくるくるっとかけ、キッチンシンク下の収納棚の中身を全て出して空にする。
18時、先週書いたキッチンの蛇口の修理で業者の方が来てくれた。
電話の時点で「キッチンシンク下の収納に身体を突っ込む」と聞いていたので、すべて出しておいたわけなのだけど
扉を開けて何にもないことを確認すると「たすかりますー」と感激してくれた。

まずは「どこが」という原因を探すのかと思いきや、そんなことはすっ飛ばして
「もう取り替えちゃいます。」と言い、箱から銀ピカ新品の蛇口を取り出した。
わたしが支払うなら「原因は?修理ではだめですか?いくらですか?」と質問攻撃となるところ、わたしがお金を払うんじゃないし、大家さんの立ち合いもないし。新しいほうが良いわよね、と思う。しかし
年末から水漏れをして「これ、漏れてるよね?いや、気のせい?」

なんて心配していたのが少しばかばかしかったな、と思う。
次から不具合は軽々しく報告しよう。
1時間程度で作業は終了。業者の方が帰り、それから夕食。
年末年始、自炊が面倒になった時用にいくつか買っていたインスタントや冷凍食品の中から五目あんかけ焼そばを食べた。
何度も書いているけれど、冷凍食品の進化はすごいねぇ。
麺と"あん"を一緒にレンジにかけてこの仕上がりだもの。
うーん、うまーい。

予定なしの土曜日。
朝はパンを食べ、昼・・無性に餃子が食べたくなる。
普段の餃子欲はセブンイレブンの冷凍食品か駅の向こうにある低価格の中華料理チェーン店日高屋のテイクアウトで解消できるが、この日の欲はそれでは満たせそうにない。
自宅近くに個人経営と思われるラーメン屋は何店舗かあるものの、ラーメン事情に明るくないわたしはそれらの店が餃子のテイクアウトをしているのかがわからない。ので

「住んでいる地域」「餃子」「テイクアウト」と入力して調べてみると、駅の向こうのラーメン屋が高評価。その上テイクアウトは3個からという口コミが見つかった。
老化した胃袋にありがてぇ・・。
早速着替え店に向かい入店。レジで「餃子のテイクアウトを」というと「今やってないんですよ」と言われる。
しかし今ここでラーメンまでもを収める胃袋は持ち合わせておらず、あえなく退散。 

駅をまたいで、何度か買っている年季の入った町中華の店へ向かった。
入り口で「餃子一つ持ち帰りで」と注文すると、席に案内され水も出してくれる親切な店。
いつ入店しても混んでいる。
親子連れ、ひとり客、カップル。
それぞれのテーブルの料理がどれもおいしそうで、いっそここで・・と思うけれど、食べて帰る・・ことに耐えられる胃袋がないことが恨めしい。

家に帰り、冷蔵庫にあった中華っぽいものを並べると、それなりに見栄えのある食卓になった。夕食も家にあった材料ですませる。

日曜日、朝食用のパンを買っていなかったので、お餅を食べてを昼前に外に出る。
先日当選したと書いたイベントに参加するため、本の森ちゅうおう(中央区立京橋図書館・中央区立郷土資料館)へ出かけた。
詳しくはマガジン いつか「読書が趣味」と 言うまでの記録。 に書く予定。

イベント終了後、約20分ほどかけて東京駅まで歩き、丸の内オアゾ内にある丸善 丸の内本店で文庫を2冊買った。

数年前まで小説が読めない・・どころか、毛嫌いしていたのに
この週末は無性に無性に「物語」が読みたくなって仕方がなかった。
けれどこのところ、図書館に予約していて手元に届くのは・・エッセイばかり。
だから「何か買おう!」と意気込んでいたのだけど、物語にも「買う」ということにも不慣れすぎて
ずらーーーーと並んだ棚の中から一体どれを選べば良いのか。
どこの出版社がわたしの求める物語に強いのか。見当がつかず、長時間うろうろした。

月曜日は祝日。

娘家族と、久しぶりのご登場!元夫と食事に出かけた。
もちろん焼肉。
実は前日出先で「ビビンバ食べたい」となったのだけど「そうか明日は元夫とご飯・・ということは焼肉だな」と諦めたのだった。

とあるショッピングモールで待ち合わせて、娘の運転で焼肉屋に向かい、掘りごたつ形式の個室に案内される。
大人なら2対2で向かい合わせになるところに、娘一人対

上のお孫様を元夫とわたしで挟む
という座り方を指定するお孫様兄と、そこに割り込もうとするお孫様妹。
結局妹はわたしの膝の上ということで落ち着いた。

が、食事を終えるまで忙しなく・・やれスプーンが落ちただの
靴下脱ぎたいだの、扉をいちいち閉めろだの、トイレに行きたいだの
まーーーーーやかましい。

家に帰ると娘が焼いたケーキを食べ、ビールで更に腹が膨らんだ元夫と、お孫様妹で仲良くお昼寝。
わたしはお孫様兄とエンドレスボードゲーム大会。


わたしは、一人でいることがあまり苦ではなく・・どちらかしか選べないのなら
「ずっと誰かといる」よりも「ずっと誰ともいない」ほうが性格上というか、特性上好ましいと思っている。


先日見たドラマ「スロウトレイン」の中で

松たか子演じる40代(と思われる)独身の葉子が、人に勧められマッチングアプリで出会った相手に言われた

「あなた孤独じゃないんですよ。 だから簡単に言えるんです。 一人でも生きていけるって、一人じゃないから言えるんです。」

という言葉に「やっぱりそうだよな」と思った。
わたしは「一人が楽」と言いながら、実際には一人きりではないという矛盾に気が付いていた。

今のところだーーーーーーれもいない人生は選べないので、検証は難しいけれど、騒がしい時間があってその比較の上で
「一人がいい」と言っていて

本当に親も、兄弟も、子供も、親戚も
本当にだーーーーーーれもいなかったら
それでもわたしは一人がいいと言えていたのだろうか。


それから、星野源演じる百目鬼見の「僕は常々、人といる孤独が辛い、と考えている。何よりも。だったらひとりでいるほうが、ましだよ」
このセリフにも完全に共感している。

わたしは一人でいる時間に孤独を感じることが少ない。
おかしなことかもしれないけれど、誰かといるときやたくさんの人といても、その中で「ひとり」を感じた時にこそ、孤独やさみしさを感じ、自分で自分の心を傷つけてしまうようなところがある。

9日間の年末年始に誰とも過ごさなかった。でもそれは
完全に会う人がいない わけでも 会えない わけでもなく 
わたしが 会わない を選んだ。
選べる時点で孤独ではないのろうなと思う。


孤独やさみしさはなくとも、暇は有り余る「一人でいること」について考えている。




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