45歳から身に着けた 「本を読むこと」45歳まで読まなかった・読めなかった理由、編
このnoteは
から始まる、45歳から身に着けた 「本を読むこと」についてのお話です。
今回はなぜ45歳まで本を読まなかったのか・読めなかったのか、について書いてみようと思います。
本を読んでいなかったとき、本を読まない理由には
「嫌いだから」または「苦手だから」
その二択しかありませんでした。
が、そこからまた一歩踏み込んで「何が嫌いでどうして苦手だと思っていたのか」を掘り下げ、その結果をランキング形式で発表してみたいと思います。
第三位 【 物語に興味が持てないから 】
読書といえば小説、と思っていたわたしは、もともと「作られた世界の話」に興味が持てませんでした。
両親は本を読み、育った家にはたくさんの絵本がありました。
母だけではなく、父親も読み聞かせをしてくれました。
しかし父は東北なまりの低音ヴォイス。関東育ちのわたしは、父の読み聞かせに「こわかった」という記憶しかありません。
(※この環境でも読書が身につかなかったので、親が読めば読み聞かせれば子も読む説、は信用していません。)
大人になると映像作品はフィクションよりもノンフィクションを好み、子育てで決まった時間にテレビに向かうことが不可能になったこともあって、テレビドラマや映画を観ることすらなくなりました。
物語に対して「録画して後で観よう」と思うほどの執着もなかったんです。
子供のころは大好きだった漫画も全く読まなくなりました。
だから、自分には物語というジャンルは必要がないんだ、と思っていました。
映画やドラマを観ても、ストーリーや登場人物について何かを考えることもなく
「だってウソじゃん。」
と片付け、感情移入することがありませんでした。
ちなみにウソだとわかっていても、ホラーやバイオレンス系にはしっかり怖がっていました。
なんでやねん。
第二位【 覚えていられないから 】
45歳まで本を読んだことがないとはいえ、0ではありません。
では何を読んだのか と聞かれても
全く覚えていないのです。
元夫が一時「東野圭吾」にはまり、文庫本を何冊か買ったことがありました。
手に取った・・という記憶、はありますが
手に取った・・という記憶「しか」ありません。
タイトル、内容、登場人物などは一切思い出せません。
これについては、今もあまり進歩がありません。
すぐに忘れます。
でも今はそれが「読まない理由にはなっていない」ということは後々書いていこうと思います。
第一位【 文字を追っているだけだから 】
二位と同じようなことになるかもしれませんが
読んでいるはずの文字や言葉やストーリーが内側に残らず、耳や鼻や毛穴、体中の穴という穴から流れ出す。
その感覚に「だから苦手」を貼り付けていました。
具体的に書くと
読んでいると同時に考え事が広がって、目ではきちんと文字をなぞると同時に頭の中では
「あ、そういえばあの書類提出しなくちゃ。いつまでだっけ?印鑑いるんだっけ?郵送なら切手か。今コンビニで買えるんだっけ?あれ、封書の切手っていくら?会社で分けてもらおうかな。あー、じゃぁ明日会社で書こうか。どうせ免許書のコピーもいるし。」
と考えることができる特殊能力。
いや、両方きちんとできていれば特殊能力ですが・・。
頭の中では別のことが同時進行で進んでいく。
それは元々頭の中にあったことがふいに浮かんだり、読んだ文字をきっかけに「そういえば」と連想ゲームが始まることもあります。
「いかんいかん」と意識を本に戻すと「あれ何でこの展開?」と何行も・・ページすら遡ることになる。
そんなことを1冊のうちに何度も、進んでは戻るを繰り返すのです。
その結果「わたしには本を読む集中力はない」だから苦手。
「覚えていられない」ということは好きではない。
そもそも「物語って必要ないじゃん、ウソだもん」
そんな経験や思考が重なり読書は、3Y(読めない・読まない・読みたくない)との決め付けを変えるきっかけもなく
わたしの人生には必要のないもの と定義していたのでした。
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