#22 完璧主義思考へのアンチテーゼ、ミロのヴィーナスに理想の腕が見つからない理由。
ミロのヴィーナスってご存知でしょうか?見つかった時から腕がないっていうアレです。
中学生か高校生か、どちらか覚えてはいないのですが、国語の教科書で「ミロのヴィーナス」に纏わる評論文みたいなのを読む機会があって、そこに何人もの美術家達がその彫像に似合うような腕を何パターンも作ってはめてみるが、ぴったりと合う腕は1つもみつからなかった、と書いてありました。
それを確か(うろ覚えですが)著者は腕がないという状態が正解なのであり、あれは腕があってはなし得ない神秘の黄金比でありその美しさこそがミロのヴィーナスを神秘たらしめている所以であるみたいな風に結論づけていたんですね。
その時はまあそれで納得したんですが、後々この一連の出来事を説明できる法則を知りました。
プレグナンツの法則と呼ばれるそれは、大まかに言うと、物が部分的に何かに遮られて見えない状態の時にそれを見る人の脳が残りの見える部分の視覚的情報から見えない部分のイメージを勝手に錯定してしまうという法則です。
コロナ時代に突入し、マスクを着用する人はよく見かけるようになりましたが、マスクをしている人が美人に見えるというのもプレグナンツで説明出来ます。
ファッション業界でもこの現象を巧みに利用して人を魅了する服なんかを作ったりしているみたいですね。
じゃあ、つまり何が言いたいか?というと、ミロのヴィーナスの理想の両腕が見当たらないというのは神秘的というよりはむしろ科学的根拠に基づいた認知であるということです(試しになんでも良いので適当な腕をはめてじっくり観察すれば、それが普通に思えてくると思います)。
これを読んでいる方だって、同じ様な形で彫像として発見されれば、宇宙の神秘と崇められたかもしれないということです。
ロマンチックな話をぶち壊しにしてしまって申し訳ないのですが、罪滅ぼしとして言えることは何か考えてみました。
それはやっぱり、自分達は理想を生きることは出来ないし、理想の中で生きる必要も無いということなんじゃないかな、って思います。
理想を目指すのは良いことです。でも、頭の中に思い描いている理想になりきることは出来ないということを知った以上、理想になりきれない自分を否定して生きる完璧主義思考的生き方は自分をつらくするだけです。
そういうのはメンタルがタフなごく一部の芸術家に任せるとして、私達はもっと楽に生きるべきなんじゃないかな、と思うんですね。
ミロのヴィーナスだって、もし腕があってそれがついてある状態を最初から認知している人はそれが普通だと思うだろうし、腕がない状態が変だと思うはずです、逆もまた然りです。
整形モンスターと呼ばれる方達は、自分の理想の顔というものが恐らく頭の中にあって、それに近付く為に何回も整形を繰り返していると思われますが、理想に近い何かは得られても恐らく理想に到達することはないでしょう。プレグナンツの法則によれば理想の腕を探すようなものです。
形というのは後から出来るものです。作る前から決まっている形なんて存在しません。頭の中で錯定した偶像は形ではなく、永遠に輪郭のぼやけた、はっきりとした形のないものです。理想になるということは、形のないものを求めているのと同じことです。
頭で思い描く絵には形は無いですが、紙にかき出せば形になります。当然ギャップはあると思うけど、その形こそが正解なのであり、真実です。同じことをここで言いますが、形は後から出来るものです。
理想と現実のギャップを感じることは自然なことであり、理想というのが形のないものだということは完璧主義思考に陥り苦しむ人々にとっての何か良い処方薬になってくれることを祈っています。
それでは良いプレグナンツライフをお過ごし下さい、じゃ!
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