『月獅』第3幕「迷宮」 第13章「藍宮」<全文>
これまでの話は、こちらから、どうぞ。
「藍宮」(1)
カイルが十五歳で立宮してまもない浅春のこと。池の氷はほどけていたが、頬をなでる風にまだ冷たさが残るそんな日だった。王太子のアラン兄上が事故で落命される数日前のことだ。
「お待ちください」
図書寮を退出しようと正面扉にカイルが手をかけるのを、近侍のナユタが押しとどめた。
「それほど警戒せずともよかろう」と笑っても、ナユタは盾とならんと前に出る。
エスミの末弟のナユタは、カイルよりも十歳上の二十五歳の青年で、姉からカイル様を我が身にかえてお守りせよと厳命されている。
カイルを背でかばい腰の佩刀に手をかけ、ナユタが重厚なオークの扉を内側に引いたはずみだった。仄暗い図書寮に白い昼の光がなだれを打って射しこんだ。と同時に、つっかえを失った何かがどさりと倒れこみ、あたりに書物が散乱した。
とっさにナユタは左手でカイルを背後に突き飛ばすと、倒れている人影を長靴で踏んで動きを抑え、太刀を首筋に突きつける。まばたきほどの間に事が決していた。
射しこむ光に埃が螺旋を描いてのぼる。
「ナユタ、子どもだ。太刀をおさめろ、足をのけよ」
カイルは尻もちをついた姿勢から立ち上がり、尻をはらいながら命じる。
革の長靴に踏みつけられ、ひしゃげた蛙のごとく這いつくばっているのは、身の丈から十歳ほどの男児とみえた。
ナユタは太刀を鞘におさめると、子の両腕を後ろ手に縛りあげ、襟もとをつかみ身を起こさせた。ぽたりと、赤黒い滴が石の床に落ちた。倒れていたあたりにも血溜まりができている。どうやら前のめりに倒れた拍子に床で鼻をしたたかに打ったらしい。
「たいせつな書物に……」
男児は太刀を向けられても慄きもしなかったのに、書物を汚したことに顔を蒼白にしてうろたえていた。鼻血は止まらず、ぽたぽたと膝に落ちる。
カイルは袂から手巾を取り出し、びりりと引き裂いて「鼻に詰めよ」と渡す。
子はきょとんとカイルを見あげる。ああ、そうか。縛られていては何もできぬな。
「ナユタ、縄をほどいて手伝ってやれ」
言いおいて、片膝をつき散らばった書物を集める。
『星辰記』『万象算術』『古今地暦』『本草略記』などの星や算術の書にまじって『ウィマール物語』や『グリーク神話』といった物語も幾冊かあった。返却に来たのだろう。扉に手をかけたとたん、内側からナユタが扉を引いたのだ。さぞかし驚いたであろう。物語の類はあの子が読むのだろうか。算術書などの書籍は誰かに返却を命じられたか。わかりやすくまとめられた良書ばかりであるな、と感心する。
「血は止まったか」と振り返る。
「名は何と申す」
「申しあげられません」
太刀を突き付けた相手に名は明かせぬか。
後頭部でひとつに束ねていた髪はほどけ、肩までの黒髪が揺れていた。蒼い瞳がたじろぐことなくカイルを見あげる。
「星の文様の散った青い前垂れ。星童の服装でしょう」
ナユタが指摘すると、ぷいと顔をそらし目が泳ぐ。
「この御方は、このたび藍宮を立宮されたカイル王子であるぞ」
「第二王子様……ですか。も、申し訳ございません」
慌てて平伏する。それでも、頑なに名は明かさぬ。
カイルはひとつ嘆息すると、子の脇を抜け図書寮前の回廊に出て天を仰ぐ。左手を挙げると、すーっと何か大きな影が近づいた。
「そいつは星童のシキ。ラザール星司長の養い子だ」
ばさっと大きな羽をたたんで、鷲のハヤテが書庫前の楡の木に舞い降り告げた。
カイルはシキを立たせるとその両腋に手を入れて持ちあげ、重さを確かめるように上下に揺らす。ふむ、とうなずいておろすと、足もとに積んでおいた書物の山を持ちあげ首をかしげる。
「そちのほうが軽いな」と結論し、ナユタを振り返る。
「書物はおまえが運んでくれ」と命じ、シキをひょいっと肩に抱きあげる。
「な、な、なにをなさいますか」
「手当をしに宮に戻るのだ、暴れるな」
シキの尻を抱えながら、カヤと同じだ、と笑みがこぼれる。
よくカヤを抱きあげた。抱かれながらも、ネズミだ、トンボだ、と落ち着きがなかった妹姫を思い出す。カヤはその横溢な好奇心でカイルの世界にいつも風を運んできた。
立宮の日の朝、眉をつりあげてカイルに視線を据え「兄上様の望みが叶うよう、カヤはかならず手を尽くします」ときりりと述べ、口を真一文字に結んだ。侍女たちが号泣するなか、十一歳の少女は凛と顔をあげて兄を見つめ、無言で涙だけを頬に走らせていた。木から落ちても泣かなかった妹がこれほど涙を流すのをカイルは初めて目にした。
あれからまだひと月も経っていないというのに。胸をすきま風がなでる。
カヤは遠からず他国に嫁がされる。あの天真爛漫な妹に相まみえることは、もはや望めぬであろう。臣籍降下を果たし諸国漫遊の旅に出ることができれば、あるいは。だが、その折には身分が隔たりすぎて、近くに寄ることも叶わぬか。いや、あのカヤなら城を抜け出して来るかもしれぬ。乾いた笑いがこみあげる。諦めは常にカイルと共にあった。
「そなた、歳はいくつだ」
カイルは歩きながら尋ねる。
「十歳になります」
カヤとひとつ違いか。シキという星童は男児であるが、抱きあげた感触がカヤと似ているように思うのは気のせいか。いささか感傷が過ぎるなと、後宮の空へと目をやる。
宮に戻ると侍医を呼び、星夜見の塔に使いを走らせた。
「藍宮」(2)
書物はすべてシキが借りていたのだと知って驚いた。
ラザール星司長の薫陶を受けているらしい。「学ぶことは楽しい」とまっすぐな瞳でいう。その楽しみはカイルもよく知っている。書物はさまざまな世界への扉を開いてくれた。カイルは師について学んだことはないが、良き師に巡り合えば独学では得られぬ喜びもあるのだろうか。ラザール星司長は高潔な人物ときく。いつか会ってみたいものだ。
吐き気がなければ心配ないと医師がいうので、書斎に案内するとシキは警戒を解いた。
「ラザール様の書斎のようです」
これも、この書もありますと、瞳に興奮を宿してカイルを振り返る。
「ラザール殿の蔵書にはかなわぬであろうが、読みたい書があれば貸そう」
とたんに目を輝かせたが、前垂れをぎゅっとつかんでうつむく。
「読みたいものはないのか」
首を横に振る。書斎の机に積まれている書物を指さす。シキが床にばらまいた書物は、数冊に血痕がついている。
「気にせずとも、汚れはできるだけ落とさせて、吾が返しておく。落ちなければ、その頁だけ新たに書写させよう。血のついた理由も吾が説明するゆえ心配せずともよい。そのくらいは吾の力でもなんとかなろう。案ずるな」
「あ、ありがとうございます。ですが……」と口ごもり、思慮深げな蒼い瞳を泳がせる。
「たいせつな書物をお借りして、また、このように汚してしまってはたいへんです。カイル殿下だけでなく、ラザール様にまでご迷惑をおかけすることになっては……」
少年がなにを懸念しているのかに合点がいった。
「相わかった。では、読みたくなったら遠慮なく宮を訪れよ。ちょうど話し相手がほしいと思っておった。気が向いたら、読んだ書物のことや星夜見のことを聞かせてくれぬか」
「はい」と元気よく答えて、はっと思い出したのだろう。慌てて跪拝し、
「承知いたしました」と言い直した。
以来、ひと月に数度訪ねてきては、ぽつりぽつりと賊に襲われふた親を亡くした身の上なども話すまでになっていたが、初秋にラムザ王子が病でとつぜん身罷ったころから訪問が途絶えがちになっていた。
「藍宮」(3)
シキの足が遠のいたのを寂しく思っていたころ、珍客はとつぜん現れた。
ラムザ王子の喪が明け、新年を迎えてまもないころだった。王族は新しい年を迎えるとひとつ歳をとる。カイルは十六歳になっていた。
藍宮の庭に石造りのささやかな泉がある。
その日は朝から晴れ、泉に張った氷も冬の日に溶けかけていた。泉のかたわらには蜜柑の木がたわわに実をつけている。ひとつもぎ採ろうとカイルが手をのばしたときだ。
ばささっ。
籬から愛猫のシュリが飛び出した。いちもくさんに駆けて来る。抱きかかえようと広げたカイルの腕を無視し、蜜柑の幹をしなやかに肢体を伸縮させ駆けのぼった。その直後だ。
ばさばきっ、ざざっ、バキバキ、どさっ。
小枝を折りながら猫を追って何かが籬から頭を突き出し、勢いあまってつんのめり倒れこんだ。
難を逃れたシュリは、蜜柑の枝で総毛を逆立ててうなっている。
「なにごとですか」
物音を聞きつけ、ナユタを先頭に近侍が走り寄る。
「なんと。キリト王子ではございませんか」
不審者を取り押さえ、ナユタが驚愕する。
「ここは、どこじゃ」
毛織の上着に短袴をはいた男児が、四つん這いのまま顔だけあげる。籬に引っかけたうえに、溶けた雪で湿った土にまみれ泥だらけだった。顔にも細かな傷がついている。
「藍宮でございます」
「藍宮とな。では、カイル兄上の宮か」
さっと立ち上がる。怪我はないか確かめようとするナユタの手を振り払い、カイルのもとに駆け寄る。
「カイル兄上、お会いしとうございました」
「キリト殿か。従者はどういたした」
「宮をこっそり出てきました」
十一歳の弟宮は誇らしげに胸を張り、明るい瞳をくったくなげに見開く。
「まいりましたな」
ナユタがとほうにくれた視線でカイルを見る。
アランに続いて第三王子のラムザまで逝去し、次の王太子が空位の微妙な時期だ。藍宮がキリトを拉致したなどと、あらぬ嫌疑をかけられるのは避けねばならない。
カイルはナユタにうなずき返す。
「後宮までお送りいたしましょう」
ナユタが立ち上がると、
「いやじゃ……いやじゃ、いやじゃ、いやじゃあ」
最後は絶叫だった。溶けた雪のぬかるみに尻をつき、空を仰いで泣きじゃくる。その激しさに、ナユタとカイルが圧倒される。
カイルは蜜柑をひとつもぎ取るとキリトの前に膝をつき、
「よく熟れて甘いぞ」と弟宮の手にのせた。
袖口で涙をぬぐい、濡れた瞳をまたたかせる。掌の蜜柑とカイルを交互に見やる。
「枝からもいだゆえ、毒の心配はない。食べてよいのだぞ」
カイルがうながすと、
「このまま……ですか」と首をかしげる。
そうか。宮では剥いて皿に盛ったものしか供されぬのであったな。
翡翠宮では、庭の果樹はカイルやカヤが自ら採って食べていた。採るのが楽しいと、カヤは木に登り手に余るほど収穫しては侍女たちに分け与える。他の宮ではあり得ぬ光景だったのだと、カイルは思い知る。
皮を剥いて房を分け、キリトの掌にのせる。
「ほら、うす皮ごと食べてごらん。こんなふうに」
カイルはひと房、自らの口に放りこんでみせ、キリトを木陰の長椅子に掛けさせる。
「キリト殿は、なにゆえ宮に帰りたくないのか?」
「兄上が、ラムザ兄上がお隠れになってから……母上は宮を出ることを禁じられます」
細い肩を落としてうつむく。
第一王子のアランが落命するまで、ラサ王妃の関心はもっぱら王太子のアランに向けられていた。まさか次男のラムザまで儚くなるとは予測もしていなかったのだろう。将来の王位を担うものとして厳格に育てられた二人の兄宮とは異なり、末弟のキリトは王位から遠いため、よく言えばのびのびと甘やかされ、自由にふるまうことを許されてきた。それが。
アランとラムザの死により一変した。にわかに監視が厳しくなったのだ。
兄を一度に二人も失った寂しさもまだ癒えておらぬのに、自由まで奪われ我慢がならなかった、と眦をあげる。
「それで、抜け出してまいったのか」
どうやらキリトにも脱走癖があるようだ。これまでは後宮を抜け出しても咎める者がいなかったのをよいことに、アラン兄上の紫雲宮をひんぱんに訪れていたらしい。
「……閉まっておりました」
門には閂が渡され、鍵が掛かっていた。入れるところはないかと塀に沿って歩いていて、虎猫のシュリを見かけ追いかけてきたという。興味がくるくると移るところまで、カヤに似ている。カイルの口から自然と笑みがこぼれる。
「真珠宮のものが探しておるであろう。隠れていてはかえって事が大きくなり、ここへの出入りを禁止されるかもしれぬ。そうなってもよいのか」
激しく首をふる。
「ならば、藍宮を訪れていると伝えてもよいな」
短袴をぎゅっと握りしめてうなずく。
「次からは、断りを入れてから来るのだぞ」と諭すと、ナユタがカイルの袖を強く引く。
柱の陰に引き込んで声を潜め、「これ以上、関わられるのは」と濁す。
キリトは猫を追いかけ、明るい笑い声を立てている。カイルは柱に背をもたせ、無邪気に走り回る弟宮の姿を眺める。うすく晴れた冬の空を鷲のハヤテが旋回していた。
弟が兄に会う。ただそれだけのことが、ままならぬとは。母が異なるというだけで、有象無象の淀んだ思惑が絡みつく。王宮とはまことに魔宮である、とカイルは瞼を閉じる。自らに流れる王族の血を厭わしく思わなかった日などない。一刻も早く臣籍降下し、ハヤテのように自由に世界を飛び回りたいものだ。
「真珠宮の判断にゆだねるしか、しかたあるまい」
「キリト殿下。これは臣の独り言とお聞きください」
ナユタはキリトの盾になるよう半歩斜め前を行き、前方を見つめたまま低く沈んだ声で背後に語る。子どもに諭したところで、詮ないことかもしれぬ。だが、カイルに不要な嫌疑がかかることは排除せねばならない。
「納得のゆかぬことかもしれませんが。殿下の行動が、カイル様を窮地に追いやり、お命を危うくするかもしれぬことを、どうかお心にお留めおきください」
「それは……なにゆえじゃ。吾が兄上のお命を奪うとでもいうのか」
「そうではありません。殿下がどれほどカイル様をお慕いしようとも、殿下の意思とは関係なく、動く者がいるということです。それらの者は、殿下のためという大義名分を盾にいたします。キリト殿下に王位を継いでほしいと望む大人たちにとって、カイル様は敵とみなされるのです」
「王位など望まぬと言ってもか」
「殿下のご意思は関係ございません」
ナユタはきっぱりと打ち消す。
「キリト殿下が王太子となられ、ゆくゆくは王位に着かれることが肝要なのです。そのためであれば、どのような手段も用いるでしょう」
キリトはぎゅっと唇を結んで、後宮の門につくまでひと言も話さなかった。
子どもには酷な話であったかとナユタの胸は軋んだが、ひと月も経たぬうちにその思いを撤回した。
「藍宮」(4)
暦が二月をめくってまもないある日、キリトは近侍二名を伴って藍宮を訪れ、カイルとナユタを驚かせた。
「母上を説得してまいりました」
胸を張るキリトの後ろで近侍たちが苦笑していた。どうやらここひと月、真珠宮では悶着が続いていたらしい。
――なにゆえ後宮から出てはいけないのか。なぜ藍宮を訪れてはいけないのか。どうしてカイル兄上に会ってはいけないのか。
新年の行事で忙しないラサ王妃をキリトは追い回し、直談判を繰り返した。
まだ子どもゆえ適当にあしらっておけばよいと、ラサは高を括っていた。アランもラムザも母の言いつけには素直に従ってきたので、キリトも当然従うものと思っていたのだ。
「忙しいので、後にしてたもれ」といなすと、
「後とは、いつですか」と問う。
数日姿を見せずようやく諦めたかと胸をなでおろしていると、侍女から「キリト様がお食事を召しあがられませぬ」と訴えられる。
王妃はいささかうんざりしていた。根負けしたといってもよい。
「後宮から出ることを禁じたのは、そなたの身を案じるゆえ。アランもラムザも謀殺されたのではないかと、母は思うておる」
「では、一人で抜け出さずに、護衛をつければよろしいですね」
ラサは一瞬、押し黙り考えをめぐらす。
これまでラサの関心は、王位を継ぐ可能性のあるアランとラムザにあり、幼いキリトは愛玩動物のようにかわいがりはしてもそれ以上の関心はなく、侍女と守り役のソン太師にゆだね自由にさせてきた。
ひと月近くにおよぶ根気強い抵抗には驚いた。
カイルとは王太子の地位を争う立場であるゆえ親しくしてはならぬと禁じれば、「王太子になどなりませぬ」と言い出しかねない。子どもゆえのまっすぐな理屈をくつがえす正論をラサはもっていなかった。ごまかしは効かぬか、と嘆息する。
条件をつけて認めるしかあるまい。
存外、アランやラムザよりも王者としての資質はキリトにあるのではないか。一歩も退かないばかりか、愛嬌のある笑みすら浮かべて王妃に挑む末子を見つめる。キリトの教育を急がねばならぬ。
「武術の鍛錬と勉学を怠らなければ、月に二度、護衛を連れて藍宮に通うことは許しましょう」
王妃の許可を取り付けたと誇らしげに語る弟宮を、カイルは驚きをもって眺めた。
育ちの違いといってしまえばそれまでだろうが。黙して諦めるだけではない道もあるのだと、小さな弟が示してくれた。
従者の語るところによると、事前に双方の宮で日程の調整をし、護衛も伴って訪問することとなったという。
「カイル様」
背後からおずおずとした声がかかる。
「お話のところ申し訳ございません。これにて失礼させていただきます」
星夜見寮での新年の行事がひと段落したからと、この日は朝からシキが新年のあいさつに訪れていた。
「ああ、シキ。読みたい書物があれば、いつでも遠慮なくおいで」
シキに告げていると、カイルの袖をキリトが引っ張る。
「兄上、そのものは誰ですか」
「星夜見寮のラザール星司長の養い子のシキだ」
「星夜見寮とな」
キリトの目がたちまち輝く。
「そちも星夜見士か」
「いえ、まだ星童でございます」
「もう帰らねばならぬのか。星夜見の話が聞きたい。だめか」
シキが困ったようにカイルを見あげる。
カイルがキリトの前に膝をつき視線を合わせる。
「キリト殿、シキが困っておる。王族が命令すれば、拒むことのできるものはおらぬ。故にむやみに望んではならぬ。シキには、シキの務めがあろう」
「……ソンの爺も、そのようなことを申しておった」
キリトは眉尻をさげ、シキのほうを向く。
「足をとめさせて、すまなかった。なれど、星夜見のことを知りたいのだ。そちはよく藍宮を訪れるのか。よければ、次の機会に教えてもらえぬか」
シキはあわててキリトの前に跪拝する。
「畏れ多いことにございます。私はいっかいの星童にすぎません。星夜見についてのご進講ならばラザール様にお願いください」
「そういう堅苦しい勉強のようなのはいやなのじゃ。星の話をしてくれればよい」
「星の話ですか……」
シキは返答をためらう。
「ラザール様にお伺いしてからご返答申しあげても、よろしいでしょうか」
「うむ、かまわぬ」
口では大人ぶって鷹揚にかまえていたが、キリトは目を輝かせシキのほうに身を乗り出している。これではシキも、色よい返事をせぬわけにはいくまい、とカイルは苦笑した。
ほぼひと月に一度、シキはキリトの藍宮訪問に合わせてたずねて来るようになった。カイルをはさんでキリトとシキが星の話に夢中になる。微笑ましい光景ではあるのだが、ナユタの気が休まることはなかった。
――キリト王子の希望とはいえ、王妃様はこの集いをどうお思いであろうか。
王妃の思惑も気懸りではあったが、それよりもキリト派に良からぬ口実とならぬよう気を揉んでいた。ところが、半年を過ぎる頃から「本日はお伺いできません」とシキから断りの申し出が増えるようになった。
第3幕「迷宮」 第13章「藍宮」
<完>
第14章「月の民」に続く。