命の水の、ビシソワーズ。
結婚してまもなく長男をみごもった。
30歳になったばかりだったから、年齢的には喜ぶべきことなのだが、うかつにも予想していなかったので戸惑った。心の準備も覚悟もないまま、すぐに悪阻がはじまった。いわゆる吐き悪阻で、なにを食べても吐いた。一番きつかったのは、ある日突然、トマトソースのにおいがまったくダメになってしまったことだ。
当時、百貨店の宣伝課でコピーライターをしていた。阪神・淡路大震災から一年半ほどたったころで、急ピッチで復興は進んでいたが、事務所が入っていたビルは建て直しを余儀なくされたため、もともと分室のような形で借りていたフロアにかなりの人数が引っ越していた。薄い壁を一枚隔てただけの隣室は、カメラのスタジオだった。
ある日、レストラン街のメニューの撮影があり、まだほのかに湯気がたっているトマトソースのパスタが運ばれてきた。甘酸っぱいコクのあるトマトの香りが壁越しに漂ってくる。食欲をそそるはずのにおいなのに、なぜだか急に胸がむかむかしはじめ、トイレに駆け込んだ。幸いにも昼前だったから吐くものは胃に残っていなかった。廊下にまでかすかにトマトソースのにおいが残っていた。たまらなくなって、財布をつかんで外に出た。
かつて神戸市庁舎近くに『キングス・アームス』という老舗の英国パブ&レストランがあった。
扉をあけると、磨きこまれたバーカウンターが目に入る。カウンターの後ろには、スコッチやアイリッシュのボトルが並んでいた。店の奥の壁には年代物のダーツの的がかかっていて、日本のダーツはここからはじまったという話がまことしやかに語り継がれていた。真偽はわからないが、そんな物語がしっくりとなじむ店だった。むろん看板メニューはローストビーフだ。神戸の老舗にはよくあるのだが、ここも外国人が開いた店で、古き良き神戸のノスタルジーをかたくなに守っていた。
だが、けっして敷居の高い店ではなかった。ローストビーフのディナーコースは二十代の小娘には少し躊躇する値段だったが、ランチは千円ほどで、ごく稀に昨晩のローストビーフの残りが日替わりランチに出されることもあった。夜になると、一階はバー、二階がレストランになる。昼は一階と二階の別はなく、メニューも日替わりランチひとつだった。黒く煤けた床板は、刻んだ歳月を思い起こさせるように、歩くたびにきしんだ音をたてた。リノリウムや合板の床では鳴かない音だ。店内は昼でも仄暗かった。いつもビートルズのナンバーが静かに流れていた。
事務所の入っていたビルは磯上公園のはす向かいにあった。
磯上公園には、神戸レガッタクラブという外国人のためのクラブハウスがある。震災前はそんな旧居留地の残照のような店や建物が港に近いこのあたりにはぽつぽつとあった。キングス・アームスもそのひとつだった。もともとは、外国船籍の船乗りのための店だったという。
財布だけを手にして、ふらふらと磯上公園の前をさまよい、角を右に折れた。どこに行こうというあてがあったわけではない。とにかくトマトソースのにおいから逃れたかった。昼前だったから、なにか食べなければという意識があった。食べてもすぐにもどしてしまうけれど、食べなければ体力がもたない。おぼつかない足どりで歩いているうちにフラワーロードに出た。
歩道に張り出している『キングス・アームス』の白い天蓋が目にとまった。日替わりランチがトマトソースでないことを確かめ扉を押す。
カランカランとドアベルが鈍い金属音をたてた。
まだ12時になっていなかったから、他に客はいなかった。
まず、そのことにほっとした。「お好きな席に」といわれ、しばし迷って階段下のテーブル席についた。階段下の奥まった場所だったから、けっして良い席とはいえず、ふだんならばおそらく選ばなかっただろう。だが、そこはテーブルがひとつしかなかったから、混みだしても他の客にわずらわされる心配がなかった。
ランチのメインメニューが何だったのかは覚えていない。
けれど、その日のスープがよく冷えたじゃがいものビシソワーズだったことは、今でもはっきりと覚えている。ひと口すするたびに、トマトソースのにおいでざわついていた胸のつっかえが、洗い流されるようだった。悪阻がはじまってから、なにを食べても味が感じられず、いつ吐き気をもよおすかとびくびくしながら食べていた。だが、このビシソワーズは、おかわりが欲しいと思うほど美味しかった。丁寧に裏ごしされたじゃがいもは、ほんのりと甘くなめらかで、ほど良くすっきりとして冷たく、悪阻に悩まされていた喉をうるおした。久しぶりに美味しいと思えるランチに出会え、心も満たされて店を出た。その日の午後は、吐き気に見舞われることはなかった。
それから毎日、キングス・アームスに通った。「チキンのトマトソース煮込み」といったメニューの日もあったが、なぜかこの店のトマトソースだけは大丈夫だった。11時半を過ぎると、事務所を出る。自由な職場だったから、何時に出かけようと、だれもとがめない。まだ客のいない店に入ると、階段下のテーブルに座る。スープがビシソワーズの日は、それだけで幸せな気分になった。
毎日きまって昼前の早い時間にやってくるマタニティ姿の女が目立たないはずはなかっただろう。けれども、マスターもウエイターも、だれ一人としてむやみに話しかけてくることはなかった。かけられる言葉は、「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」だけ。いつも、どの客に対しても、変わらぬ距離感が心地よかった。
出産予定日は3月の初めだったが、12月になるまで悪阻が続いたから、かれこれ半年近く苦しんだことになる。その間、キングス・アームスのランチだけが救いだった。年が明けたら産休をとり一年後に復職する予定だったが、直前で気が変わった。歩きだしてかわいくなりはじめた頃に離れるのが惜しく思えたのだ。年末で辞めることが決まり、『キングス・アームス』に最後のランチを食べに行った。会計を済ませながら、つい先日まで悪阻で苦しんでいたこと、ここのランチだけが唯一の救いだったことの礼を述べて、店を後にした。
息子が落ち着いて食事ができるようになったら、「あのときお腹にいた子が、こんなになりました」と報告がてらランチをいただきに行こうと楽しみにしていた。だが、子どもが1歳になったころにキングス・アームスは静かに惜しまれながら店を閉じていた。あれからさまざまな店でビシソワーズを口にしたが、あの一皿を超える味にはまだ出会っていない。
ウィスキーの語源は、ゲール語のウシュクベーハーで「命の水」という意味らしい。あの夏、キングス・アームスで味わったビシソワーズこそ、わたしにとって、まさに「命の水」だった。
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