「こんな夜更けにバナナかよ」読みました
「こんな夜更けにバナナかよ」を読み終わりました。
この本も私の常で、だいぶ前に買って読みかけて、そのままでした。
この前出かけるときに持って出て、「これは読み終えるしかない」と思って最後まで読みました。
(内容に触れています)
小6年の時に、筋ジストロフィーと告げられた鹿野康明さん。全身の筋肉が衰えていく病気です。症状もたくさんの危機がありました。治療や療養で、住む場所も病院や施設が長かった。
そして一人暮らしへ。人工呼吸器を付けた後も「家に帰る!」と宣言した鹿野さんと、その在宅生活を24時間体制で支えるたくさんのボランティアとの葛藤と交流(バトルとも言う)を赤裸々に描いたノンフィクションです。
自宅は正確に言うと「道営ケア付き住宅」です。でも頻回な痰吸引の他24時間の介護が必要でした。ボランティアは学生が多いので出入りが多く、必要な人数ギリギリの状態で、育てては去って行く繰り返しでした。
かなり読み応えがありました。重たいモノがのしかかっています。少し整理しながらこの本を読んで考えたことを書いてみたいと思います。
1、人間ドラマ
これは鹿野さんとボランティアの人間ドラマと思いました。筆者の渡辺一史さんは、福祉や介護や障害のことを全然知らないで鹿野さんと会って、自分自身も介護に入るなかで、その慣れていないフラットな目で厳しい現実を見ています。それが新鮮です。
自分自身も悩みながら、これはどういうことなんだろうと「本質」に迫ろうとしています。良いも悪いもうれしさも悲しさも全部含んだ素晴らしい人間ドラマになっていると思います。
2、ボランティアの生き方
ボランティアや介護の人に丁寧に取材しています。私はこれこそが、この本の中心ではないかと思いました。鹿野さんが主人公ですが、ボランティアの人々も主人公です。
育ってきた環境とか生き方、学生生活とかも聞きながら、その時に鹿野さんとどう付き合ってきたのか、どんなことを感じたり考えたりしたのかを丁寧に聞き取っています。そのことで、鹿野さんと、鹿野さんを取り巻いている世界がはっきりしてきます。
ある人は鹿野さんに「帰れ!』と言われて落ち込んだりしながら、ボランティアをすることは自分自身にとってどういう意味があるのか考えます。人を助けているようで、自分が助けられているというそんな気持ちも抱きます。人生が変わったという人もいます。
ボランティアの人たちが書き綴ったノート、内容が深いです。
鹿野さんとボランティアンの人たちは、その人によって関係は多少違うと思いますが、「ひとりの人間対ひとりの人間」として本音を言い合い、ぶつかり合い、寄り添い、突き放し、悩み、一緒に生活と闘ってそして楽しんできたのだなあと思いました。
3、鹿野さんはただのワガママだったのだろうか。
夜更けにボランティアを起こして「バナナ食いたい!」「お茶!」「体交!(体位交換して)」そして「バナナもう一本!」泊まりのボランティアは眠れません。
私はこの前まで、「こんな夜更けにバナナかよ」って、夜中に「バナナを買ってこい」って言われたのかと思っていました。なぜか。
鹿野さんの要求は「ワガママ」なのか。
このことは全編通して問いかけられていると思いました。暴言を吐く鹿野さんに対して、ボランティアのノートに「少しは介護する人の気持ちを考えた方が良いと思います」という感想が書かれたこともありました。それに対して「しんどいのは本人だから、受け流せば良いと思います」という意見もありました。
動けない障害者は生活全般、頭をかくのだって人の手助けがいる。それを人に頼まないと生きてはいけない。
他の人なら少しは遠慮するかもしれないのに、鹿野さんは遠慮なんかこれぽっちもしません。言いたい放題に思えます。やっぱり「ワガママ」です。
でも、「ただのワガママ」ではないと思いました。やりたいことは誰にでもある。こうして生きていきたいという希望がある。そこに健常者も障害者も関係ない。(この、健常者障害者という言葉もどうなんでしょうね)
人として生きていく上での権利。それは誰でも同じ。
人工呼吸をつけた重度の障害者が1人暮らしをするにはギリギリ。病気や今後に対する不安もたくさん抱えていたでしょう。いつも人に囲まれていたけど、孤独だったかもしれません。そのギリギリの生活を送るために、そして何よりワガママは「自分らしく生きる」ために必要だったのか。
私は、それが鹿野さんの、自分が生きていく精一杯の方法だったのではないかと思います。「オレはオレだ!」と叫ぶように。
でも、正直なところ、若い私がボランティアに入っていたら、きっと逃げ出していたと思います。今なら「ワガママ!うるさい!」と言いそうですが。
4.それを支えたたくさんの人々
そんな鹿野さんをボランティアの方達が支えてくれたのですね。
その他にもたくさんの人が支えていました。
この本には1980年代の障害者運動についても詳しく書かれています。なんせ資料がたくさんです。施設から地域へ。そんな時期にいた鹿野さん。自分の限界もわかった上で、できることを必死でされてきたと思いました。
5.制度と人の心の話
この話は20年前の話です。このときと社会情勢も制度も変わっています。高齢者も障害者も自立支援で、地域で住み慣れた自宅で、とよく言われます。介護保険もできました。65歳以下でも疾患によっては使えます。
制度は整っても、人の心はどうなのでしょうか。バリアフリーという言葉はよく聞かれますが、「心のバリアフリー」が一番難しいと思います。
最近でも、障害者の合理的配慮とか問題になりますね。
6.印象的な言葉の数々
心に残った言葉のある頁を折っていましたが、たくさんあるので書き切れません。
ひとつだけ。
「フツウ」とはいったい何だろう。(中略)障害者の生活を「フツウ」にするというが、かたや健常者にとっては、今や「フツウに生きること」の価値が揺らぎ、その意味が見失われている時代でもある」
(P475より引用)
7.最後に
舞台は北海道です。住んでいたところが出てきて懐かしいです。我が母校にもボランティア募集のチラシが貼ってあったかも。
わたし、国立八雲病院に入院していたことがあるのですよ。
この本を読み終わって感じたこと。
「真剣に生きているかい?」と聞かれたような気がしました。
いやいや違う。
「自分らしく自分に正直に生きているかい?」
こっちだ。