カネトを追わない阿房がいる——飯田線阿房列車(1)
なんにも用事がないけれど、飯田線に乗ってこようと思う。
ことの発端はこうだ。ひとりの本好きが、本好きの友だちと手紙で語り合う往復書簡を何人かと交わしている。その一人、冬青さんが、1冊の児童書を教えてくれた。沢田猛『カネト 炎のアイヌ魂』である。昭和のはじめ、愛知「三河」と長野「信州」を結ぶ「三信鉄道」の測量をするために北海道の旭川から招聘されたアイヌの酋長、川村カネトの物語だ。
愛知側の三河川合駅と長野側の天竜峡駅の間には、断崖絶壁をぬって荒れ狂う天竜川が流れる。そんな危険きわまりない天竜峡谷をまたいで測量し、いざ鉄道建設が始まると、現場監督まで務めたのがカネトだ。
三信鉄道はその後、いくつかの鉄道会社・路線と統合し、現在は愛知県豊橋駅と長野県辰野駅を結ぶJR飯田線となっている。
往復書簡で、冬青さんは決心する。地元を走る鉄道、飯田線を端から端まで乗車すると。それを読んで、どこか胸の辺りがむずむずしてきた。
乗ってみたい。飯田線を全線走破してみたい。
もちろん荒れ狂う天竜峡をのぞき見たいし、物語中でカネトらが食糧の買い出しに出る宿場町の水窪も歩いてみたい。ただこのときは、「阿房列車を走らせる」ということ以外、考えられなかった。
岡山で育った子どもの時分から汽車をこよなく好んでいた作家の内田百閒は、「阿房列車」と名づけて、何の用事がなくても、ただ列車に揺られるだけの旅を楽しんだ。旅に出る目的があれば、もはや阿房列車ではない。列車に乗ることが目的だから、二等車や三等車では納得しない。借金してでも一等車に乗る。目的地と列車を決めたら、「阿房列車に乗る」のではなく、「阿房列車を走らせる」という言い方をした。
熱心な鉄道ファン、いわゆる「テツ」ではないものの、「阿房列車」シリーズは文庫本なら全3巻、一條裕子の手によるマンガも愛読している身において、もはや内田百閒になるしかない。さっそく飯田線の時刻表を調べると、豊橋駅と途中の飯田駅間を2時間半で結ぶ特急「伊那路」や、秘境駅で停車時間の長い急行「飯田線秘境駅号」もある。だが、冬青さんを見習って「飯田線を端から端まで乗車する」という言葉を実践するには、約7時間かけて豊橋駅と辰野駅間の全94駅に停車する普通列車に乗るしかない。
もう一つ、考えなければならないことがある。辰野駅から豊橋駅に向かう上り線か、豊橋駅から辰野駅に向かう下り線かという選択である。かの川村カネトは、長野側の天竜峡駅から愛知側に向かって測量した。それに合わせるなら上り線だ。だが今回は豊橋駅始発を選んだ。理由は単純だ。東京で暮らしていた内田百閒が「阿房列車を走らせる」とき、西日本なら東京駅から、東日本なら上野駅から出発していたからである。
カネトに合わせて飯田線の上り線に乗るなら、私の地元の駅⇒辰野駅⇒豊橋駅⇒東京駅⇒地元駅という旅程になる。しかし、下り線を選ぶなら、地元駅⇒東京駅⇒豊橋駅⇒辰野駅⇒地元駅となり、内田百閒と同じく、東京駅の喧騒のなか、列車はゆっくりと滑り出していく旅情が味わえるというものだ。
カネトへの思いはある。でも、カネトの足跡をたどることが、この旅の目的ではない。用事をつくってしまったら「阿房列車」にならない。途中の平岡駅には三信鉄道の歴史をたどれる観光施設があったり、道路とつながっておらず電車または徒歩でしか行くことのできない「秘境駅」もあったり、さらには天竜ライン下りも後ろ髪を引かれる思いがあるが、ここはぐっと我慢の子である。
人が阿房といおうとも、人生には、何の役にも立たない趣味も必要である。阿房らしいことを一所懸命に取り組んでこそ、本当の阿房のはず。自分ではもちろん阿房だなどと考へてはゐないけど。
そんなことを時刻表とにらめっこしながら考えつつ、「飯田線阿房列車」を走らせる朝、東京駅へと向かった。
(つづく)