あえて苦しみを引き受ける愛——辻 邦生『光の大地』
拝啓
満開だった桜が少しずつ散り始めました。ふんわりと舞う花びらは、春の光とともに祝福してくれるかのようです。まだ一日のうちで寒暖の差が大きく、寒の戻りもあるかもしれません。でも、暖かい日差しのなかで一歩ずつ大地を踏みしめるあなたを想いながら、辻邦生『光の大地』を手に取りました。
ただ、山本容子さんの挿画からして、舞台は春ではなく、常夏のタヒチですね。タヒチといえばゴーギャン。本書を読む前から、次はきっとサマセット・モーム『月と六ペンス』を手に取りたくなるような予感が。いや、まずは眼の前の『光の大地』を大切に読みます。
学生時代にサーフィンの全国大会でも優勝した由木あぐりは、卒業前に旅行したモルディブでのもてなしに感激し、世界中にリゾートを展開するそのバカンス会社に就職。南太平洋の楽園タヒチに配属されます。<ほほえみ>から始まる幸福を創造するという企業理念と成功哲学を学ぼうと、日本から訪れた旅行業の一団を担当することになったあぐりは、ある事件に巻き込まれ、九死に一生を得ます。療養で滞在したフランス東部のアルザスや、恋人が住まうパリ、さらにはエジプトで新たな「生」を実感していきます。
フランス文学者の辻邦生さんを初めて知ったのは、クリストフ・バタイユ『安南 愛の王国』の訳者としてでした。『安南』はもともと切り詰めたフランス語の単文で書かれていて、それを翻訳するのに苦心したという日本語の端麗さに惹かれたのです。ただ、その後に辻邦生さんの著書で手に取ったのは随筆や講演録、そして水村美苗さんとの往復書簡『手紙、栞を添えて』などで、実は小説を読んだのは、今回が初めて。ちなみに名著『西行花伝』『安土往還記』は絶賛積読中です。
『光の大地』はもともと新聞連載の小説でした。幅広い読者を意識したのか、あぐりが事件に巻き込まれていく様子はサスペンス仕立てで、次はどうなってしまうのだろうと、まさに手に汗を握る展開もあります。しかし、文学や芸術の言葉や知識も随所にちりばめられ、タヒチの風土やフランスの文化をも盛り込んだ物語になっていて、辻さんの文学観が垣間見えます。
病が癒えつつあるアルザスの療養所から、バカンス会社の同僚だった頼母木と一緒に訪れたコルマール美術館で、あぐりがグリューネヴァルトによる『イーゼンハイムの祭壇画』を観る場面がありますその文章だけでもキリストの磔刑図が目に浮かび、あぐりと同じように衝撃を受けました。彼女が巻き込まれた事件は、人が苦しみから逃れるためにはどうしたらよいのか、という考えから起こったものです。それに対し、『イーゼンハイムの祭壇画』について繰り返し自分と対話しながら、あぐりは「人間は、あえて苦しみを引き受けるものだ」、そして正しいこととは「人間が、人間を苦しめないことだ」と気づきます。
祭壇画はもともと、疫病など重篤な感染症患者の治療をしていた施設に飾られていたそうです。新型コロナウイルスをはじめ、どのような病気であれ、人は「なぜ自分ばかりがこんな苦しまなくてはならないのだろう」と考えてしまうものです。その原因や理由を他人や社会に求めてしまい、ときには他人を攻撃したり、差別したりすることもあります。
しかし、自分も、他者も、おなじ人間です。自分の苦しみで他者を苦しめる必要はありません。人間として、あえて苦しみを引き受ける崇高な精神に、自分を包みこむような「愛」があることに気づく。そんなことを、あぐりと一緒に考えました。
本作『光の大地』が新聞に連載されていたのは、1995年から96年にかけてのこと。いまから27年前です。あぐりの恋の行方は当時、どう読まれていたのだろうと、本書を通読しながらずっと考えていました。有名大学のフランス文学教授だった辻邦生さんには、当時の社会風潮からして、反発する声が寄せられたかもしれません。それでも、あぐりの恋が成就して欲しい、本当の「愛」を見つけたことで、自分の「生」を貫いて欲しい。思わずあぐりを励ましてしまいました。
読後は、眼の前にある光景を書かずにはおられない、自分が書かずして、誰が言葉で残してくれるのだろうという創作の源泉を辻邦生さんが語る『言葉の箱』も再読したいと強く感じました。まだ積んである小説も読みたい。それならば、いっそのこと辻邦生全集に挑もう。ただし、全20巻。すぐには実現しませんが、必ず読もうと念じました。
あなたが春の光に包まれながら、左足、右足、また左足と一歩ずつ大地を踏みしめる喜びを味わうように、あなたへの手紙、あなたからの手紙と、往復書簡が実現できたら望外の喜びです。どうぞ、こんな本を読んだよという、あなたの言葉を手紙に託してください。あなたの返事を待っています。
敬具
既視の海