「ことば」を満たす<器>になる——鷲田清一『だんまり、つぶやき、語らい——じぶんをひらくことば』、押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』
拝啓
9月だというのに残炎おとろえるところを知りません。ただ、夜の生きものが眠りにつき、昼の生きものが目覚める前の静寂——かのファーブルは「青の時間」と呼びました——は、たしかに秋の訪れを感じます。
先のお手紙で、あなたが沈み込んだ激震の記憶。言葉を失いました。あの日、東京にいた私でも恐怖を抱いた大きな揺れ。仕事先から急いで帰宅しましたが、普段は自動車で15分の距離に、1時間半かかりました。積読の「山」が多少崩れただけで、何の被害も痛みもなかったのに、いまだに胸が締めつけられます。
というもの、あの日から1か月もしない4月のはじめ、仲間達といっしょに福島県相馬市を訪れました。先方の社会福祉協議会と連絡をとり、食糧から寝袋まですべて持参で、1泊2日で炊き出しに向かったのです。陥没や亀裂が手付かずで残る高速道を駆け、夕方にたどり着いた相馬の海は、被災していない者でさえ、いまだに消えない痛みの底に突き落としました。記録として撮れた写真は2枚だけ。2日目の昼時に請われて訪れた南相馬市の避難所からすぐのところに、警察車両とともに立ち入り禁止の規制線が引かれていました。
仲間達としたことは、持参した食材と調理道具で、ひたすら食事をつくるだけ。こちらから、避難している方たちに何かを尋ねたり、慰めの言葉をかけたりすることは一切しない。ただ、天気がよく、屋外で調理していたので、逆に多くの方たちが声をかけてきて、被災した事情を話してくれました。一緒に包丁を握ったり、薪の調整を手伝ってくれたりする方もいました。
あなたの手紙を読んで、久しぶりにGoogleマップで、炊き出しをした相馬東高校の周辺を見てみました。他校と統合し、校舎も建て替わり、周辺の道路も整備されていました。あれから12年。私ができたのは、この胸の痛みを抱き続けることだけです。
そのうえで、あなたがこれまでも何度が言及していた、笹井宏之『えーえんとくちから』をついに手に取りました。あなたが手渡してほしかった詩『無題』には、やはり声が出ませんでした。これ以上の願いがあるでしょうか。
既視の海選の3首を挙げてみます。
そして、鷲田清一さんの著書。実は、あなたから手紙が届く直前に、その鷲田さんが著した『「待つ」ということ』を再読したところだったのです。嬉しい偶然を噛みしめながら、『岐路の前にいる君たちに~鷲田清一 式辞集~』もじっくり読んでみました。6000〜7000人を前に語る大阪大学と、200人程度の京都市立芸術大学では、言葉が違うのは当然です。しかし、違うのはそれだけでしょうか。式辞や告辞で触れたかどうかは別としても、やはり震災後の言葉の方が響いてきます。
この覚悟、しかと受けとめました。いや、あなたはすでに、その想いを体現しています。だからこそ、先の手紙が届いてからの半月あまり、私の心はずっとあなたの「言葉」の淵をたゆたっていました。
自分自身の「本分」は何か? その問いにどうお答えするか、この半月は頭を離れることはありませんでした。
幼い頃、聾唖だった親類のおじさんが大好きでした。耳も聞こえず、話すこともできない。しかし、なに不自由なことはなく、楽しく遊んでもらったよい思い出だけが残っています。しかし、自分が成長するにつれ、そのような障害者は、身体が不自由なのではなく、生きていくことが不自由なのだと感じるようになりました。私が初めて障害者ボランティアに関わったのは、小学5年生、11歳のときです。それ以降、学校の部活動や、ボランティア団体のスタッフなど、何らかの形で障害者と関わってきました。生業にはしなかったものの、障害者とともに生きていく。それが自分の「本分」だと、かつて信じていました。
それが揺らいだのは、ほんの数年前。ふとしたきっかけで押見修造のマンガ『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を読み、これまで障害者にしか目を向けてこなかった自分を恥じました。作中では明記されていませんが、主人公の女子高生・志乃は、話し言葉が滑らかに出てこない吃音症に悩んでいます。
私は目に見える「身体障害者」としか接してこなかった。聾唖なのだけれど、健常者と何ら変わりのない生活をしている友人もいます。しかし、志乃のような吃音は、話さなければ分からない。吃音を隠そうと、発話しやすい言葉に言い換えたり、他人との会話を極力減らしたりしようとするケースもあるようです。
そこで考えたのです。もしかしたら、これまで自分の周りでも、志乃のように吃音に悩んでいる人がいたかもしれない。吃音を恥じたり、私に知られるのを臆したりして、こちらが気づかなかっただけなのかもしれない。吃音は、話すこと以外、読み書きでは何の不都合もありません。でも、あなたも私も愛する「言葉」そのものの運用に痛みを感じているかもしれないのです。何の根拠も確証もありませんが、そんなことを想像して、とても大きな衝撃を受けました。
吃音のケアをすべく、言語聴覚士の国家資格を取ることも考えました。ただ、本業をやりくりして、フルタイムで2年間の養成課程に通うことは、現実として難しい。数年来、もやもやした気持ちを抱えていたところ、今回の『岐路の前にいる君たちに~鷲田清一 式辞集~』にある言葉が、とても胸に響きました。
あなたが鷲田さんの「芸術」という言葉を、自分の表現する「言葉」に引き寄せて考えたように、私も同じことをやってみたのです。つまり、みずからケアの<主体>になるのではなく、人々の<器>として、「ことば」を紡いでいく。吃音そのものはケアできなくても、「ことば」ってそんなに悪いものじゃないよ、「ことば」を忌避せず、むしろ信じられる、託せるような「ことば」を満たす<器>になればいい。そう考えたのです。
そこでもう一冊、鷲田さんの著書を手に取りました。『だんまり、つぶやき、語らい——じぶんをひらくことば』です。これは、コロナ禍がはじまって半年後、愛知県の高校における講演録です。よって対象は、高校生。テーマは「ことばの荒れと枯れから、どのように恢復するか」ということだと、私はとらえました。
テレビでもyoutubeでもSNSでも、「ことば」があふれている。でも、軽かったり、尖っていたり、信用ならなかったり。だから、まず黙ることからコミュニケーションを始めよう。そして、誰に伝えるわけではないけれど、ぼそっと「ことば」を漏らす、つぶやくことを重ねていこう。それらをお互いに聴き合い、お互いの存在を肯定するような語らいになればいい。本書では、そんな「だんまり、つぶやき、語らい」の3ステップが提案されています。
だんまり。はやりの言葉ではなく、饒舌な語り口ではなく、見えざるもの、語り得ないものを表わす「詩のことば」に惹かれます。
つぶやき。あらゆる表現は、告白であり、自画像です。
語らい。この往復書簡は、一方的に自分のことを書いているようでいて実は、あなたも私も実践しているのは、丁寧に、細かく、そして徹底して、相手の手紙、相手の文章、相手の言葉を「読む」ということです。
書物はもちろんのこと、手紙にせよ、発せられた声、発することのできなかった声であれ、「ことば」を「読む」こと、そのうえで考えたこと、感じたことを「書く」こと。その二つは別々のようにみえますが、メビウスの輪のように、「読む」を進めていくと「書く」ことになったり、「書く」を進めていくと「読む」につながったりします。そんな「ことば」で次第に満たしていく<器>になる。そんな<器>でいることが、私の「本分」だと、あなたの手紙を、もし便箋だったら擦りきれ破れてしまうほど繰り返し読んで、考えました。
語り得なかったことを読み取る。言葉にならない想いを「ことば」にする。鷲田さんは『岐路の前〜』で、詩人の長田弘の言葉を引きました。
それをそのまま、自分の胸に刻み込みたい。見えてはいるが、誰も見ていないものを見えるような「ことば」を紡ぐ。それが、私の本分です。
あなたからの、もう一つの問い。
「あなたの元にはどのようにしてこんなにも魅力的な本が集まるのか」
これは、あまり考えたことがありません。でも、どのように自分は本を選んでいるのか、一度考えてみます。ぜひ、あなたの考えも、お聞かせください。
敬具
既視の海