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クラリッセ・リスペクトル『星の時』
またひとつ、静かな物語。
クラリッセ・リスペクトル『星の時』を読む。
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舞台はブラジル・リオデジャネイロ。歴史的にブラジル文化の起点でありながら、いまでは荒れ地や貧しさやを思い出させる北東部出身の女、マカベーア。幼い頃に両親と死別し、厳しい叔母に育てられて身につけたのは、一文字ずつゆっくりとしか書き写せないタイプライターの打ち方と、「無知でいること」の大切さだった。
拙い技能ゆえにタイピストの職を解雇されそうになったときも、失礼のないようにと上司には「不快なおもいをさせてしまってすみません」とこたえる。恋人だった悪党オリンピコに別れを切り出されても絶望しない。決まったことしかできない性格なので、悲しむことができるのは、時間と余裕のある金持ちだけ、悲しみも贅沢品だという。医師の診察で肺結核の症状があると告げられても、それが何のことだか理解できないので、「ありがとうございます」と返事をする。あくまでも自分は育ちのよい人間だと思い込んでいる。
職を失う瀬戸際に立ち、貧しい暮らしをしながら、ホットドッグとコーラが大好物のマカベーアは、自分が不幸だということにも無知だった。そんな彼女をひそかに慕う語り手の男、ロドリーゴが、マカベーアの生涯を語り、小説として綴ったものが、この『星の時』である。
ロドリーゴという語り手は、もちろん著者クラリッセ・リスペクトルの創作した人物だ。しかし、マカベーアの物語を綴るロドリーゴの、文章や言葉に対する考え方は、クラリッセ・リスペクトル自身のものといってよい。文章をより単純に書く。言葉を飾るつもりはない。飾った言葉でマカベーアを語れば、それは出来事となって、空気をつんざくほどとなる。彼女の繊細であやふやな存在を捉えるためには、単純で控えめな言葉で語りたいという。
クラリッセ・リスペクトルも、やはり北東部出身である。マカベーアの見方や考え方、価値観は、作家自身に負うところも多いだろう。眉をしかめてしまうような言動や行動もある。ロドリーゴ、マカベーアの双方に託した素朴さ、繊細さに、惹かれるものがある。本書は57歳で亡くなった彼女の遺作だという。会ってみたかった。
以前から関心を抱いていた本書を手に取ろうと思ったのは、先日ジュンパ・ラヒリ『思い出すこと』を読んだことから。ラヒリ自身を想起させる詩人・ネリーナが通信販売のカタログを詩に登場させたとき、やはりラヒリが創造したイタリア詩研究者マッジョがつけた註釈で、本書のことに触れていた。
ラヒリがイタリア語で書く小説や詩も、クラリッセ・リスペクトルのこの『星の時』も、無駄な描写がなく、簡潔に書かれている。だが、研ぎ澄まされた言葉がむしろ、ふわりと光や匂い、手触りまで膨らませる。言葉の豊かさを感じるのだ。こんなにうれしいことはない。
またひとつ、偏愛小説が増えた。
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